書き出せば次から次へとことばが溢れてくるのに書くことを1週間以上していなかった。
これは良くない。精神的に。
できるだけ楽しく穏やかに過ごそうとしているし、それなりに楽しい日々を送っているが、ずっと抱えている感情があり、時々それが大きくなって私自身を攻撃してくる。苦しく悲しい時間をどうやってやり過ごすかいつも試されている気がしてなんとなく落ち着かない。
内から溢れる自身の感情を自身で抑えるってなんだろうと考えたりする。(断っておくが生死に関わることでは一切ないので心配しないでほしい)
喜怒哀楽、思いのままでいられる幼い子になりたいなって時々思う。ほんの数分でもいい。わがままに感情を外に出していい時間が欲しい。
前日の残りでおひるごはん。
残り物でも並べればそれなりの見映えになるし、食欲をそそる。残り物を残り物として扱わなければいつもなにかあたらしい。
純生クリームが半額で売っていたので、ロールケーキを作った。いつもスポンジにヒビが入ってしまう。前回は生地が乾いてしまったのがいけなかったのかと思ったが、今回は焼き具合が微妙なのかもしれないと感じた。卵の泡立て加減(温度にいたるまで)や混ぜ具合はそこまで失敗しているとは思えないので、私とオーブンの呼吸の問題な気がする。いつになったらあうんの呼吸になるやら。スポンジはパウンドより正直だ。
映画『幕が下りたら会いましょう』を観た。松井玲奈主演の映画なのだが、良い意味で松井玲奈感を消していたように思う。強引に話を持っていっている部分もあったが、私はこの映画が好きだ。映画の中で松井玲奈の妹役を筧美和子が演じているが、こんなセリフがあった。
「笑っていたらそれでいいの?」(もしかしたらちょっと違うかもしれない)
他人の幸せを願うときに「笑っていてほしい」と思うが、これはその人のエゴであるし、こちらは苦しいのだと筧美和子は発していたのだと感じた。
他人の幸せを願うって難しい。私は大きなトラブルに巻き込まれないことを願おうかな。あなたが自分からのアクションではなく、外からの刺激によって痛むことがないように願うね。
僕のマリ『まばゆい』を読んだ。とてもとても良いエッセイだった。文章のあいだから身近な人への愛が溢れていて、そこにある心に触れていいか躊躇うほどだった。きっとたくさんのことを経験し、越えて、ここにいらっしゃるのだろう。そうでなければこの文章にはならないと思う。
『わたしにとって書くことは、自分を救うことだった。』
私も書くことに救われていた期間があったことを思い出した。何処にも発することのできない感情を包み、言葉を変身させながらひたすら文章を書いていた頃。その行為を咎められても頑なに止めなかった。だって書くことを止めたら誰が私の声を聞いてくれるのですか。
ふと、もしかしたら今も書いた方が良いのかもしれないと思った。
今日は一日眠かった。
たった一文でも積み重ねればカタチが現れるはず。