急に強い雨が降ったり止んだりする日が続いている。階段に足をかけようとしたら、どこから来たのかぴょこっとカエルが跳ねた。
翌日も同じ場所でカエルが跳ねたので、その辺りを寝床にしているのかも知れない。
実家の玄関に丸い灯りがある。壁から土台になる茶色いバーが出ていて、その上に丸い灯りが乗っかっている。その茶色いバーの場所に毎年同じカエルがやってくる。おそらくは夜間、灯りに引き寄せられてやってきた虫を捕食するためにいるのだろうけれど、帰宅時にカエルが当たり前の顔をしてそこにいると、自分を待ってくれていたような気がして嬉しくなったものだ。
数年前、体調を崩し、3ヶ月ほど休職した。その頃は出来るだけゆっくりとした生活が出来るように心がけていたので、お昼過ぎにお菓子を作り、子どもたちの帰宅を待っていた。焼いたパウンドケーキの香りが残っている部屋で「おかえり」と娘に声をかけることは私の心を穏やかにした。帰宅した娘も「おかえりって言ってくれる人がいて、しかもお菓子が食べられるなんて……!」と喜んでいた。
私の職場復帰が近づくと、その日々の終わりを肌で感じたようで「もっと休んでほしいな……」と娘はこぼしていた。
シングルマザーの道を選んだ以上、懸命に働く選択しかなく、もはや娘の帰りを家で待つ行為は夢のような話であり、今後そういう日々が訪れないことはことはお互いにわかっていた。
子どもの年齢と私の年齢、また、世の中の動きが合致して生まれる柔らかい日がいくつもあった。大変なこともあるけれど、思い出されるそんな出来事たちに救われている部分はある。
渦中にいると気づけないささやかな日が、私を支えている。
「お母さん、カルボナーラも作れるんだ」
青いお皿に手をかけながら、娘が言った。
クリームパスタは度々作るが、カルボナーラはなんとなく重たい気がして家で作ることはあまりなかった。なのに、今回はスーパーで厚切りベーコンを見かけて「あ、カルボナーラ作ろう!」と思ったのだった。
食欲が出てきた=健康に近づいているのでは?などと考えながら作ったカルボナーラは想像通り、私には重たかった。(美味しかったけれど)
サラダを用意していて正解。サラダはレタスの上にきゅうり、豆類、コーンを乗せたものにした。レタスは置きすぎるとしなびてしまうので、ハーフカットになったものを使い切った。豆はゆで豆ミックスが半額になっていたから使ったのだけど「この豆が良い味出してるね」って息子が言ってくれたので良かったと思う。
もはや名ばかりになっているが管理栄養士の資格を所持しているので、メインを作りながら、足りなさそうな栄養素を思い浮かべることは当たり前のように出来る。
「わかなくなったら、とりあえず彩りよくするといいよ。色が豊富であれば栄養が偏ってないことが多いよ」
昔、誰かに教えてもらったその言葉を時々思い出し、色の偏りがないようにお皿に盛る。絵を描くのは苦手だが、お皿の上に私らしさを出すことは得意かもしれない。
ナイトクルージング nightcruising clammbon - YouTube
クラムボンのナイトクルージングを生で聴いたとき、泣きそうになりました。