バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

卒業式でした

娘の中学校卒業式だった。

新型ウイルスのために、中学校入学式を終えた翌々日から約2ヶ月の休校、クラスメイトとも顔を合わせることもなく、スタートした中学校生活だった。行事も中止、縮小を余儀なくされ、息子が中学生だった頃と比較すると、校外学習、職業体験なども行われることがなかった。

そんな学年の卒業式は入学式のようにマスクを着用して行われた。国の通達を受け、マスクの着用は自由とされたが、卒業式の2日後に県立高校後期入試が予定されていることもあり、ほとんどの人がマスクを着用していた。

天候にも恵まれ、暖かく柔らかい空気に包まれた卒業式は滞りなく終わっていった。

卒業式を終え、卒業生が去っていった後、学年主任が保護者へ向けて挨拶をして下さった。私は卒業式そのものよりも、学年主任の顔を見て、言葉を聞いているうちに胸がいっぱいになってしまった。

思えば、入学式終了後に提出書類のひとつである「家庭調査票」の記入について、直接学年主任に質問したのだ。当時、私は子どもを連れて別居状態にあり、家庭調査票の記入についての質問を兼ね、こちらの状況を知らせる手段として学年主任に話しかけたのだった。まだ、娘のことを何一つ知らない先生方にこちらの状況を理解してもらうことが難しいと思い、極力自分から関りを持ち、気にかけてもらう必要があった。学年主任は私の話を受け、簡潔に答えを下さった。とても信頼できると思った。その思いは卒業するまで変わらず、安心して過ごすことができた。

娘が1年生の時には調停離婚が成立し、途中で名字が変更となったが、名札やその他書類についてもできるだけ早く変更して頂いた。昔は子どもの名字変更を気にする人も多かったように思うが、今は子ども達の方が保護者よりも柔軟に対応しているように感じた。その子の名が変わろうともその子が変わるわけではない。それぞれの子ども達の背景にはさまざまな問題が潜んでいるのかもしれないが、本人が語らないかぎりどうでもよいことなのかもしれない。

娘は1、2年生の頃、市の中学生を対象にした人権ネットワークに自ら参加していたが、その時間は娘の心や思考を安定するためにだいぶ助けられたように感じている。同年代の子だけでなく、高校生や大学生、社会人の方など年齢の異なる人々と人権について語れる場が存在していたことを、自分の家庭が崩れるまで知らずに過ごしていたことに無知である自分を恥じた。

 

卒業式の受付で娘からの手紙を受け取った。

そこにはこう、書かれていた。

 

本日義務教育課程を修了することとなりました。

私にとっては激動の9年間でした。

私を除く家族の皆様におかれましてもそうであることと思います。

お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

私はこれからも学び続けることを望んでいます。そのため、この先10年ほどはお世話になると思います。

何卒よろしくお願いいたします。

 

娘にとって家族の在り方、自分の在り方について考えた数年間だったと思う。

私は娘が小学校6年生に上がるときに、子どもを連れて別居に踏み切ったのだが、当時の娘に私と暮らすメリットとデメリットを話したうえで、「私と暮らすことを選ぶか、考えてみて欲しい」と伝えた。私と息子は元配偶者と暮らす世界を想像できなかったが、娘にとってはどうであるか判断がつかなかったし、私の一存で決めるのは娘の年齢を考えると少々乱暴だと思ったのだ。娘は私達と一緒に暮らしたいと言った。不安になってもう一度聞き返した私に「私のことが信用できないの?」と逆に質問を返された。私は必ずこの子の気持ちを汲んで、親権を得ることを最優先に考えなければいけないと決めた瞬間だった。揺れない。何を失くしても親権だけは必ず得ると決めたときに少しだけ強くなれた気がした。

 

娘が義務教育を終えたことで少しだけ肩の荷が下りた。

過ぎたことの苦しみから少しずつ解放されつつある私たちに、新しい風が吹くことを心から願っている。

 

 

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