バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

『夕寝』6号より

昨日、津市久居にあるひびうたで行われたブックマルシェにて一箱古本を出店しました。

一箱に出店するにあたり、何か自分らしさを表現したいと思い、フリーペーパーをお配りしているのですが、今回お渡しした『夕寝』6号の内容をこちらに載せておきます。

アナログなフリーペーパー(折本)が欲しいよって方がいらっしゃいましたら、お声がけ下さい。

今回は何を書こうか考えすぎたのか、何も出てこなくなり慌てて前日に書いたものになりますがよろしかったら、お読み下さい。

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『夕寝』6号より

 

先日、行きたいライブがあったので名古屋へ向かった。あまり変わり映えのしない町に住んでいるため、多くの人が行き交う都市を訪れることは同時に刺激を受けることでもあった。だが、この日に私が一番衝撃だったのは人の多さであった。

関東で生まれ育ち、東京で遊ぶことも多かった私は、人の多さには慣れている。はじめて名古屋を訪れた際は、人はいるけれど東京ほどではなく歩きやすいとさえ思った。

なのに、だ。

おそらく、新型ウイルスの生活が長く続き、人々の動きが鈍かった記憶を持ったまま名古屋へ向かったからだと思われる。人の多さにも驚いたが人と人の物理的な距離の近さが衝撃だった。「ソーシャルディスタンス」という言葉を一日に何十回と聞かされた日々は何年前だっただろう。

何も危機感がない、などど言うつもりはない。

人は良くも悪くもその環境に順応する。そのことを目の当たりにしたのだった。

制限のある生活は心も体も蝕まれる。危機から逃れるため、その生活を強いられていると理解していても、「危機」よりも先に自身が崩壊していく恐れに怯える。

どこに自由があるのだろうと、今までの生活がどれほど自由であったのかと理解し、振り返ったときはもう遅い。この先、今よりも厳しい世の中が待っているかもしれず、文句を言いながらもなんとか生活している今が輝いて見えるかもしれない。

ときどき、そういったことを考える。

他国では紛争がおさまっておらず、当初は遠い国のことでありながら、心が落ち着かなかったが今はどうだろう。そのことを思えば落ち着かなくもなるが、日々の生活の中でどれほどそのことを思い出しているだろう。自身の心を平穏に保つための術として、心を大きくかき乱すような情報を知らぬ間にシャットアウトしている。シャットアウトしても自分の生活を脅かすことがないのだから。

最近、無関心は一番の罪ではないかと思うようになった。少し前までは無関心は身を守る術として有効だと思っていたが、それは一時的でしかない。この先の私の、家族の、大好きな人たちの未来を考えたときに目をそらしてはいけないことがたくさんあると気がついた。他国の人も隣人であるし、何かできるのではないかと模索し続けることが私にできることであり、それは自国を少しでも豊かにするために、選挙に投票することも含まれる。

自分が世界のどこに立っていて、誰に支えれて生きているのか今一度振り返る。

おそらく、まだ出会ったことのない人々にも支えられ、私は今、呼吸をしている。