バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

手を伸ばせば

意識の遠くでバイクのエンジン音が聞こえる。近づいてきたエンジン音とバイクのスタンドを立てる音が混ざり合ったのち、素早く動く足音が響いてくる。

深夜のできごと。

新聞配達の音を聞いたときは明らかに眠れていないことを示している。深夜でも誰かの気配を感じられた安堵感と眠れないことに対する不安はいつも同時にやってくる。

安心と不安は交互にやってくるようでいて、それらは同時にやってくる。おそらく表裏一体なのだろう。

誰かに優しくされたらそのまま受け止めれば良いのに、私に何が返せるだろうかと考えたりする。楽しい時間のあとの孤独に耐えられそうにないときは、楽しい時間になるであろう事柄から距離を取る。

自己を守るのに精一杯になりすぎると他者を蔑ろにしてしまう可能性があるのでまた距離を取る。

距離の取り方や感情のコントロールが上手くないと自覚しているのでSNSは複数やらないと決めている。よってLINEもInstagramもやっていない。私が私としていられる最低限の連絡手段があればいい。

 

とはいえ、誕生日に誰からも祝ってもらえないのはさみしいので、Xで皆さんからお祝いの言葉を頂くことにした。

昨日は私の誕生日だったのだ。
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その行為すら恥ずかしいことなのかもしれないが、何も言わずに悲劇のヒロインぶるのも気が滅入るのでなりふり構ってなどいられない。

私を喜ばせるのも貶めるのも私の役目なのだから。

 

自らの手で未来へ進めない者がいる。

与えられた環境を受け入れざるを得ない者もいる。

手を伸ばせば何かを掴める場所にいる者はおそらく掴みにいくべきなのだと思う。

 

先日、娘が修学旅行先の台湾から帰ってきた。パイロットに憧れている娘は、空港にいたパイロットに英語で写真を撮ってほしいとお願いしたらしい。何人かいたパイロットたちは「彼と撮るといいよ」と若手のホープらしい爽やかなパイロットを勧めてきた。先輩パイロットが娘のスマホを持ち、ツーショットの写真を撮ってくれた。

娘に「なかなか声をかけられないよ、すごいね」と話すと「今を逃せばもう、その機会はないと思った」と娘は答えたのだった。