
娘は頭の中がわーっとなると、家を出てその辺をうろつき回る。小学生の頃からそうなのだが、さすがに中学生まではいわゆる補導されない時間に歩き回るように伝えていた。それでも頭がわーっとするのが深夜になることもあり、ちょうどいいバランスを保つのにやや思案した。高校生の年齢になってからはある程度寛容になり、自己判断の範囲で任せている。
親としての義務と放任の具合は常に頭の片隅に置いているけれど、適切な距離がどこなのか多くの親が頭を悩ませているに違いない。
私の場合、子がこの世に誕生してからずっと、この子が他人であることの意識が強かったため、私と同一に物事を考えることがほとんどない。
娘がSNSを眺めていて、中学受験する子の親の中に、子の受験成功が親の手柄のように話す人が一定数いるのは何でだろうと話していた。
私としては色々思うところがあるが、親は子を養うのが当然の行為(義務)とされているので、親の日々のしんどさは当たり前と片付けられることが多く、親側の手応えのなさが子の成功に依存されるのではないかと考えている。ただ、許容できる範囲を越えたサポートには顔をしかめる。
私自身はそんなに出来た親ではなく、失敗も多いので人に何かを物申す立場にはいないけれど、他者の助言にはできるだけ耳を傾けるようにしている。例え、耳障りなことであったり、異なる意見であってもそこから見える何かを探りたいと思っている。
「自分はに間違いはない」と疑わない姿勢はプライドがあり、芯があるのかもしれないが、時として周りから置いていかれる存在になる。ひとりで生きるにしても本当にひとりでいることは難しく、結局は誰かの手を握る可能性が高いことを忘れてはいけない。
と、私自身の肝に銘じておく。