バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

颯爽と。

梅雨が開けたとたん、ぐんぐん上がっていく気温。

冷房をつけた部屋から出るのがイヤで重たくなった足をなんとか動かし、一歩進む。

また一歩。

またまた一歩。

ドアを開けると、通路にセミが落ちていた。

このセミは力尽きてしまったのか?と思い、横目で眺めながら一歩進むと、私の足音を感じたのかセミはバタバタと羽を動かし、その場でブレイクダンスのように回転した。

回転しながら進むセミ

逃げるように階段を降りるワタシ。

 

毎日は平凡でやるせなくなる瞬間がよくあって、それでも面白いこと探して生きるってたいへーんとか思いながらへらへら笑ってる。

へらへら笑ってたら、開いてる口の端に誰かがやわらかくてやさしいものを詰めてくれるような気がして。

そういうの思ったことない?

ほら、日本人って大きく開いている穴とか池とかにチャリーンってお金投げてお願いごとするでしょ?それみたいにさ、誰かがお願いごとするときにほんの少しだけ私のしあわせ願ってさ、やさしさ分けてくれるかもしれないじゃーん。たりきほんがーん。

べつに暑さにやられてるわけじゃないよ。

わたしはわたしらしくいたいだけ。

ただ、それだけ。

 


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夏になると、こういうレトロでチープっぽい大ぶりのピアスをしたくなる。

原色の服を着て颯爽と歩きたくなる。

背筋をぴんと伸ばして。

顔を上げて歩くのよ。

 

 


Special Favorite Music「Royal Memories」(Official Video) - YouTube

 

 

もうすぐ梅雨明けらしい

もうすぐ梅雨明けらしい。

梅雨明けの直前は不安定な天気が続くようで、朝は晴れていたのに午後からざぁざぁ降りになることがここのところ多かった。

私は洗濯物をベランダに干すか部屋干しにするか、毎日戦っている。

この10日ぐらいのあいだに、「ベランダに干しますぞー!」と朝7時前に干した洗濯物が2回もざぁざぁ雨にやられてぐっしょぐっしょのびっちびっちになった。雨に濡れた洗濯物は私の心より重く感じた。私は重くなった洗濯物をかごに入れ、えっちらおっちら運ぶと再度洗濯機にぶちこんだ。

「相手の方が一枚上手だったな」と呟きながら。

2回もそんな目にあったのならもう止めればいいのに、私は戦うことを止めず、また、ベランダに洗濯物を干した。天気予報では降水確率30%らしかった。

出勤すると、皆は部屋干しにして来たと言っていた。私はまたloserになるのだろうか。

不安になりながら迎えた午後。なんとその日は雨が降らなかった。私は3回目にしてやっとwinnerになったのである。

帰宅後、すぐにベランダに出て戦い終えた洗濯物たちを労った。

縫い目部分や脇の下など、乾きづらい部分もさらさらに乾いていたのだった。

 


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娘の塾がある日の夕飯は短時間で作る必要にせまられるので、この日は夏野菜を入れたキーマカーレーを作った。具材を細かく切らなければならないが、火を通す時間は短いため通常のカレーより早くできる。これは25分くらい。いんげんがあったので素揚げにしてトッピング。揚げたいんげんは味がぎゅっと濃縮されておいしい。

 

日曜日。息子が行きたい場所があると言うので、指示通りにいくつかお店により、せっかくなので私のリクエスト、「CAFEめがね書房」さんに寄らせてもらった。


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かき氷、コーヒーミルク。淡い色で味も優しく美味しかった。

息子はプリンを食べていた。画像をちょうだいとお願いしたのに、まだ送られてこない。

 

CAFEめがね書房さんで『喫茶店松本隆さんから聞いたこと』(夏葉社)を購入した。
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タイトル通り、著者、山下賢二さんが喫茶店松本隆さんから聞いた話の数々が収められていた。

松本隆さんのさりげないように見えて何かを感じさせる言葉の数々にしびれた。とても良い本だと思う。また、読み返したい。

私はもう少し孤独に慣れる必要があると感じたし、私は孤独と仲良くなれるとも思った。

 

まだまだわからないことも多いけれど、

私らしさを失わないように過ごしていくつもり。

まずは夏を楽しみましょうかね。

 

 

 

わたしはいつもそこで。


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ブログにも時々書いているが、現在、私の父は脳梗塞による認知症のため入院をしている。私はもう1年以上会っていないし、他の家族もリモートで会話をしたのが半年以上前らしい。この時世なので仕方がないことだと思いながら日々を過ごしている。

今年に入って病院から2回ほど容体が悪化したとの連絡があった。その都度、母に延命治療をするか意思確認の連絡が入った。母、兄、私は事前に延命治療はしないと決めているが、人の生死や尊厳が関わることなので、病院側は毎回確認をして下さる。そして、母も毎回、私に電話をしてきて確認をする。もう言ってあるよね?などとはならない。人の気持ちは変わるものであることの他に、母自身が自分の意思決定に再度、私の同調を求めていると思うからだ。人の生死が関わる問題を決定づけることは延々と迷うことだと思う。「あちらを選んだら?」などのたらればは、これから先もずっと抱いていくのだろう。

私たちが延命治療を望まない理由はいくつかあるけれど、一番大きいのは「父だったら望まないだろう」に尽きる。私達が見てきた父だったら望まない。ならば、答えは一択だ。それに反した答えを導くことは私達、残されるだろう者のエゴに他ならないと考えている。

私達の考えを私は子ども達にも話している。子ども達は概ね理解しているようだ。ただ、ここで、間違ってはいけないのは、私達の考えはあくまでも私達家族の話であることだ。それはこども達にも伝えており、もし、延命治療を望むご家族がいるならば、それも正しいことだと理解することが大事だと思う。

自分達が正しいと思い込むほど怖いことはないし、他者の言葉が届かなくなるほど傲慢になってもいけない。

子ども達は私が選んだ道をともに歩んで来た同士でもあるので、意見の違う人の言葉にも耳を傾ける必要性を肌で感じできたことだろう。本当に大変な思いをさせてしまったと思っているが、私にできることは子ども達が家を「居場所」として認識できる場にしていくことだと思っている。泣いても笑っても怒ってもいい。感情が出せる相手が私であるならば、それらを受け止めようと思う。

***

岸田奈美さんが期間限定で公開していたnote「ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬」を読んだ。ワクチンを打つか打たないかはそれぞれの人の背景を含めて考えたらいいと思うので、そこに触れるつもりないのだが、私がこちらの文章で大きく頷いてしまったのは、家族が死んでしまうときに、医者にたいして怒りをぶつけることと、それを黙って引き受けた医者についてだ。

悲しみ、怒り、それらを言い返すわけでもなく、引き受けてくれた人。

その医者の姿に私は自分が依頼した弁護士を思った。私が相手から向けられた悪意は、当時、弁護士にたいしても向けられ、そのような文章が届いたという。内容を聞くことまでは私が耐えられないのでしなかったけれど「それが仕事だから」では済ませていい話ではないと思った。

弁護士と話をしているとき、「こんなに重い事案をいくつも引き受けていたら疲弊しませんか?」と尋ねたことがある。やはり弁護士も人なので、あまりにも重くなったときは調整するとのことだった。

特に、最初の相談で自分とは明らかに考え方が異なり、寄り添えないと判断した場合「お力になれそうにない」と伝えたりするのだそうだ。その話をしているとき、弁護士はこう続けた。

「弁護士はね、こちらもある程度選べるから良いんですよ。でも医者はそういうわけにはいきませんよね」

微笑みながら語られた言葉を私は忘れないと思う。

人を支えることは並大抵の精神力では難しいね、と、弁護士と接してから息子と話したことがある。

私は弁護士にかかる費用以上のことをしてもらったと思っているし、何より、頼る人のいなかった私を支え、不安を和らげてくれる存在であった。とても頼もしかった。

***

私は多くの人に関する関わりながら、今を生きている。

月曜日に出社すると、1枚のFAXが届いていた。何度も話したことのある取引先の方が、亡くなられたと書かれていた。50歳手前だった。人がひとりいなくなった世界はいつもと変わらないように回っていた。

きっとこの先もそうだろう。

私がいずれいなくなったとしても。