バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

家族の在り方

先日、Twitterでも呟いたが、調停を開始した。昨年、別居してからどうしていくのが良いのかを頭が痛くなるくらい考えた。

家を出る前に「出ていくならすぐに調停をする」と書かれた書面をもらっていたため、相手がそうするなら流れに乗るしかないとは思っていた。だが、一向に申し立てられることはなく、こちらから動くこととなった。協議も考えたりしたが、今後のことを考えると調停の方がなあなあにならずに物事がひとつずつ明確になっていく気がしたのでこちらを選択した。

自分ですべてを判断すると、偏った考えになるので、息子と話したり、法律事務所へ相談にも行った。相談は2ヶ所伺った。慎重に進めるために弁護士の考え方、自分との相性をさまざまな角度から考えた。

依頼した弁護士との相性はとても良いと思っている。私が意図することをくみ取ってくれることや、経験と知識からよりベターな方向を導きだし、それを説明してくれることなどが信頼に値する。また、待ち時間などは雑談にも応じてくれ、リラックスすることができた。

弁護士に依頼することはお金のかかることである。依頼する前は私の知識を補完するため、お金はかかっても専門の人に任せたい思いが強かったが、いざ始まってみると、弁護士は知識うんぬんだけではなく、不安な気持ちを和らげてくれ、とても心強い存在なのだと身をもって理解した。

まだはじまったばかりで、今後どうなっていくのかはわからない。けれど、お互いにとってより良い方向へ進めたら良いと思っている。

いつも子どもたちが安心した生活を送れるように頑張ろうと思っている。だが、思いが空回りして、体調を崩すこともある。

「お母さんはすぐ気持ちが落ちちゃうんだから~」

娘は呆れながらも楽しくなるような話をしてくれる。息子は静かに自分のやるべきことをこなしてくれる。

何でもないことで笑い合い、時々言い合いをする日常が、ふとした瞬間に尊いものに感じる。

当たり前のことだけど、家族であっても性格や考え方は違う。だが、そこで、自分の意のように操ったり、見捨てることなく、お互いを理解し合う姿勢を持てていることに安心する。

それは綺麗事だとおもうけれど、綺麗事の中におさまるうちはそこで楽しく暮らしていたいと思う。

 

 

20200619 ~流れるままに

手に力が入らないことがたびたびある。

極度の不安からきているのではないかと推測しているが、心の在り方がどうにもわからず、もやもやした日々を送っている。

「行動すること」がいちばんの近道だと数ヵ月前に心を決め、動き出した。だが、世の中の動きと合致せず、決めた心がゆらゆら揺らいでしまい、現状に至っている。

一度、揺らいだ心を立て直すことは、容易ではないのだなと身をもって感じた。

 

先日、教会へ行った。

娘が「行きたい」と言ったのがきっかけなのだが、私は幼少期に教会へ通っていたし、加えて、知人の牧師がいる教会を選んだのでそこまでハードルの高いことではなかった。

それでも新しい場へ赴くことが苦手なため、目的の教会が近づくに連れて緊張していた。入り口がどこかもわからずにくるくるしてしまったが、入ってみると妙に落ち着くことができた。おそらく、教会は違えど、私はこの空気を知っているからなのだと思った。長椅子に腰かけて礼拝前の雰囲気を久しぶりに感じた。窓から入ってくる風が気持ち良かった。オルガンの音も心を落ち着けてくれた。「主の祈り」は何年も口にしていなかったのに、口から勝手に言葉が飛び出していった。牧師の説教は時に緊張し、時ににやにやしながら聞いていた。

話しかけて下さる方の穏やかな声のトーンが優しかった。

 

春夏秋冬の順番を変えることができないように抗うことのできない流れはある。自分の手でどうにもならないことは、流れるままでいてもいいのだろう。そこでじたばたしても手足に傷を作るだけなのだろう。

ただ、季節の順番が変わったら面白いよなぁと願ったり、思うことは自由だ。

 

何度も心を立て直すことを繰り返している。とても苦しく、先が見えないのだが、一筋の希望があるとするならば毎回がゼロからの出発ではないように感じることだ。

イメージとしては、ブロックで組み立てた家を誤って壊してしまったときに似ている。全部のピースがばらばらになることは少なく、たいていは土台であったり、家のどこかの部分は繋がった状態からもう一度作り直すことができる。また、出来上がったカタチを思い描けるため、改善することもできる。

 

不器用なのだから、ゆっくりやっていこう。

基盤となる生活を見つめていこう。

「私らしさ」を取り戻すために、行動することを恐れないで進んでいきたい。

動くことは怖いけれど、何も変わらずにこの場に留まることはもっと怖いことなのだと理解しているのだから。

 

 

20200612

娘がavailへ行きたいと言ったので買い物へ出かけた。availはしまむらグループの衣料品店である。

娘はクラシックな雰囲気の服を好んで着ている。ふわっとしたスカート、丸い襟、ウエストの絞った服など、細かいディテールにこだわりがある。あとはセーラー襟も好きだ。

今まで娘の服は通販で買うことが多かった。あまりそういった服が売っていないのもあるが、一緒に洋服を買いに行くことすら難しかった期間が3年強あり、私が娘の好みを聞き、買ってあげるしかなかった。一緒に買い物へ行けないと不便なのがサイズがわからないことである。あと、小学校の宿泊学習などのときにタオルのひとつでさえ、私が娘を思い浮かべて買ってあげるしかなく、なんとなく寂しくて申し訳なかった。

昨年から娘と一緒に買い物へ行けるようになった。availは娘が色々調べていたら、良さそうな服があるらしいから行きたいと言われたので出掛けることにした。娘とavailに行くのははじめてだった。

一緒にこの服のここが良いだとか、試着をして「着ると思ったより似合わないね」などと笑いあったりした。つけ襟も売っているavail、すごいな。

シンプルなブラウスにつけ襟をし、スカートの下にペチコートをはく娘は「お母さんがどんな服を着ても何も言わないひとで良かった」と言った。

「好きなものを身につけて、自分が楽しくなれればそれでいいじゃない。私が決めることではないよ」

そう言った。

 

まずは自分が楽しくなれるような日々を送ること。誰のことも後回しにして自分を大事にすること。

自分が安定したらきっと周りの人のことも見えてくるよと娘に話しつつ、これはブーメランで私に話してることにもなるなぁと思った。

焦りと不安が大きく、心の安定がはかれない。

やらなきゃ、やらなきゃ、って思うほど前に進むことができない。

それでも生きるために最低限の日常はこなさなければならず、心を公園のベンチに置いてきてしまったような気持ちになる。

それならそれで、雨でも降って心を洗い流してくれたら良いのにと思う。

 

まあ、楽しいと思えることはあるし、明日も生きていこう。

みなさんも一緒にね。


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バッグを購入したのだが、シンプルすぎてさびしい気がしたので、ミミズクのブローチをつけてみた。

気持ちが少しだけ軽くなった。