バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20分休み

通勤時と料理をしているときにPodcast番組を聴いている。そのうちのひとつに『岸政彦の20分休み』がある。この番組は社会学者の岸政彦さんが小学校の20分休み程度のゆるさの他愛もない話をする番組だ。ながら時間に気負いなく聴けるし、岸先生が話している後ろで岸先生の愛犬、ちくわがおもちゃとじゃれている音なども入っているのが「生活」って感じがしてとても良い。

さて、タイトルにも入っている「20分休み」は、地域によっていくつもの呼び名があるようだが、基本的には2時限目と3時限目のあいだのちょっとだけ時間の長い休み時間を指している。自分が小学生の頃にこの時間に何をしていたか思い出してみたのだが、外に出て遊具で遊んでいた気がする。チャイムが鳴り終わると、校舎の2階や3階の教室から飛び出て階段を駆け下りて昇降口で靴に履き替える。その後、校庭で遊びまたチャイムの音を聞いてから靴を履き替え階段を駆け上がる。この一連の流れをたった20分のあいだに行っていたのだ。今振り返ると当たり前にやっていたけれど小学生のパワーって半端ないなと思う。今の私が20分の休みを与えられたら机でぼーっとしてトイレ行ってぼーっとして次の授業の用意をして終えるだろう。

小学生の頃の私は20分休みを長い時間だと思っていた。20分休みを長いと感じるくらいなのだから、夏休みなんてとんでもなく長かった。夏休みに家族旅行へ行っていたけれど、それ以外の30日以上は市民プールに友達と行くのはイベントで、多くはアニメの再放送を観ながらチューペットアイスをかじり、床の上をごろごろしていた。時々、扇風機に「あ゛ーーっ」と言って震える声を楽しみ、いつの間にか昼寝をしていた。インターネットもスマホもなかった子ども時代は、良くも悪くも情報に左右されずにのんびり過ごした。

夏休み。ふと、昼寝から起きたときにこの世に自分だけしかいない錯覚に陥り、慌てて階段を駆け下り、大相撲を観ていたおばあちゃんの姿を見てホッとしたりしていたのだった。

今日、映画を観ている最中に私が好きだったひとの手が頭に浮かんでしまい、知らぬ間に頬に涙が伝っていた。これはきっとパブロフの犬的なやつだ。何処かでホッとしたいと願ったから手を思い出したのだ。

自分の手のひらを眺めてからぎゅっと握りしめてみた。

手に寄った皺の数だけ多くのことに触れ、痛み、尊み、温かみを感じてきた。これからはあの日に私をホッとさせてくれたおばあちゃんみたいな存在に近づけていけたらいい。そして20分休み程度のゆるく他愛もない会話をしていければいい。

 

20240724

スカート×街裏ぴんくのライブを観に名古屋クアトロへ行った。クアトロにはライブで何度も足を運んでいるが、いつもはなにもないフロア部分に椅子が並べてあって安心した。スカートのライブを観る分にはスタンディングでも平気だけれども、街裏ぴんくの漫談は座って観たいなあとおもっていたのだ。

あとからきた友人(書いていて友人と呼んで相手がイヤじゃないかなあと考えたが、とりあえず友人と記しておく)と合流し、着席。友人が先日の飲み会帰りの記憶が飛んでいることが判明し、消えている部分の解説をしていたらライブが始まった。名古屋公演のあとに東京公演があるため、詳しく語ることはできないが面白くてカオスで時折「この空間なんやねん!」と脳内セルフツッコミをしながら楽しんだ。

映画『水深ゼロメートルから』を観たのもあって澤部さんが歌う『波のない夏』がひどく刺さった。あの映画のラストカットは素晴らしく、そこからすぐに主題歌である『波のない夏』がエンドロールとともに流れてゆく。そのことを思い出し、ややエモさを感じたところだったのにお構いなく街裏ぴんくの漫談がはじまる。今度は笑いのターン。話術で人を笑わせるのってすごいし単純に笑って気持ちがスカッとした。某テレビ番組ではスカッとしたことないが、誰も痛まない笑いはカラッとしていて良い。音楽を楽しみ、笑いを楽しんだあっと言う間の三時間だった。

終演後、エレベーターに乗り外へ出た。都会の夏特有の肌に張りつくベタつきを伴ったムワっとした空気を纏いながら地下鉄の駅まで大通りを歩く。人の気配が少なくなった大通りが気持ちよくてスキップをしたくなったが、友人かいる手前止めておいた。ふと天を見上げたらライトアップされたテレビ塔が美しくてふふっと笑った。

 

夏の夜

先日、本が好きな界隈の仲間と飲む機会があった。居酒屋へ行くことすら日常ではなく、前回居酒屋へ行ったのはいつだろうと考えてみたら、冬に同じ仲間と飲んだときだと気がついた。子どもがいるとパートナーや親など自分の他に子の監護をする者がいなければ夜間に外出ができない。私の場合、子が幼い頃は監護をお願いして外出出来たとしても、子や家のことが気にかかり心の底から楽しめず、できるだけ急いで帰宅したものだった。今、娘が義務教育を終えたことでやっと飲みに行くことができるようになった。

お酒は弱くないが、お酒が好きというほどでもなくその場の雰囲気の方がよっぽど酔える。口数が多くなる者、いつもよりフランクな接し方になる者、困りごとを柔らかく話す者、いつも同じ面々なのにいつもとは異なる顔がそこにあり「人の奥深さ」たる言葉が頭をよぎったが、それすらまやかしで本当は皆、良い意味で薄っぺらいのかも知れない。わたしも含めて。

 

夏の夜でしか得られない香りがある。

湿度と熱が体を纏い、私を夏から逃れられなくするのだ。じっとりとした腕をさすりながら夏の香りはなんて切ないのだろうと空を見上げたとき涙が浮かんでくるのだった。