バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200527

心の密度が上がったり、すかすかになったりしている。体と心が別の動きをしているようだ。

こどもの頃、花いちもんめをして最後まで名を呼ばれなかった寂しさのような気持ちが毎日やってきては、渦を巻いた場所へ私を連れていく。

明るさと暗さと。

どちらも手放して。

どちらも手に入れて。

せめて渦の色が変化し、見たこともない色に変わればいいのに。

 

 

 

 

20200526


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紙モノが好きなため、出かけた先でかわいいポストカードが売っているとついつい買ってしまう。一応、ファイリングはしているものの、ごちゃごちゃしてきたので音楽を聴きながら整理した。

ポストカードは私の記憶と紐づいている。あの日の展覧会で購入した、始めて訪れた本屋さんで出会った、仲の良い人と雑貨屋さんに入ったら目があった、など、ひとつひとつを手に取りながら眺める。

アルバムのようなものだと思った。

 

初対面の人と話をしたとき、私はもしかしたら先入観を持ってしまっているのではないかと感じた。勝手な想像を抱いてしまうと、相手の本質が見えづらくなってしまうのに。なんだか自分の小ささが見えてきてしまったみたいで、ちょっぴり苦しくなったけれど、気づけたのだから、今後はもう少しだけ上手くやれるのではないかと思った。ここは前向きにとらえよう。

 

毎日、YouTubeのかわいいお姉さんをみながら、一緒に体を動かしている。時間は短いのにすぐに筋肉痛になって驚いた。驚いたのは考え抜かれたメニューにまったくついていけていなかったこの、衰えた体だよ……!

痛みのあるところは普段作っていなかった部分だと思うと、私は全身のうち、ほんの一部分だけを使って生活していたことがわかってくる。使っていなかった筋肉さん、ごめんなさい。本来、必要であるから作られた箇所を使わないのはよくないなぁと思う。そういう部分って退化し、長い歴史を経ていずれなくなってしまうのかもしれない。

 

一手間かかることに「美」があるように、自身の肉体をあますことなく使うのは「美」なのかもしれない。

 

 

20200525

人と話していて気がついたのだが、私は全身モノトーンのような服装がどうにもできず、ついついどこかに色を入れてしまう傾向にあるようだ。ずっと「差し色を入れたくなっちゃうの」と人にも言っていたし、実際にそうなのだけれど、それとは別に私の気持ちを上げたいからなんだなぁと今日、思ったのだ。

服の色が大人しくても、色のある下着をつけるとか、自己満足でしかないけれど、自分のテンションを少しでもあげようとしてる行為だ。だって誰に見せるわけでもないもの。

大ぶりのピアスをする、黄色いエナメルの靴を履く。自分が身につけるものに色があると、気持ちがふさぎこんでいても、ちょっとだけ明るくなれる。

幸いにも今の職場は私がどんな服装で行っても咎められることはないので好き勝手にしている。

「お母さんみたいなピアスしてるお母さん、周りにいないよ」

こども達は笑いながら言うけれど、

「でも、それで良いと思うよ」

とも、言ってくれる。

 

好きなものを身につけていたい。

私を一番大事にできるのは私なのだから。

 


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少し前にTwitterで、どこに属してよいかわからないものを集めた箱があるという話を見かけた。こないだ、部屋の片付けをしていたら、私にもそんなものが詰められた缶があったので開けてみた。

おみやげのキーホルダー、娘が使わなくなったピン、あひるのクリップ、友人からもらったがいこつ、同じく友人からもらった編みきのこ、りんごのキャンドル……などなど、まとまりもなくごちゃごちゃ入っていた。でも、どれも捨てる気にはならないので、また、缶の中へ戻した。

 

関連性のないものの集合体が私を支えてくれることもある。

あの日の友人の言葉が私を支えてくれることもある。

明日からまた、大きなピアスをして大股で歩くことにする。