バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200916

できるだけ平静を装って生活しているが、体がぞわぞわするような日々を過ごしている。頑張ろうとすると苦しくなるので、自分を許しながらやっていくしかないと思っている。

 

車の中でラッキーオールドサンの「二十一世紀」を聴いていた。

明日のことはきっとうまくいく気がするよ

根拠はないさ

この歌詞の部分が心を落ち着けてくれる。理由や根拠を求め過ぎず、グレーの中にしばらく身をおきたい。

 

それにしても二十一世紀ってなんだろう。子どもの頃、ドラえもんを観ながら二十一世紀に夢を描いた。私の歩んでいる二十一世紀はなんと形容できるだろう。

 

二十一世紀を考えていたら、読んでいる本にも二十一世紀の文字があった。ずっと会うことのなかった人が、フェイスブックで僕を探していたという話の中で僕が相手に問う。

ところで、どうしてフェイスブックで僕を探そうと思ったのですか?

相手は優しい笑顔でこう言った。

二十一世紀じゃないの。

 

いろんなことに不安を抱きすぎて、フェイスブックもLINEもやっていない私は二十一世紀に溶け込んでいないのかもしれない。人に心を許すことは難しい。

 

そういえば二十一世紀って梨の品種にもあったような……と、思ったらあれは二十世紀だった。

 


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こってりしたものが食べたくなったので、ベーコンときのこのクリームパスタを作った。

本当はもっと心をオープンにしたいなと、舌にねっとりからんだクリームを味わいながら思っていたんだ。

 

 

20200829

1ヶ月ほど前にニトリのネットストアで注文した商品が届いた。パソコンデスクとカウンターチェア。パソコンデスクは息子が自分のバイト代で購入したもので、箱が重く、運ぶだけで汗が流れてきた。パーツを広げ、組み立て始める息子を横目に私は別の部屋でカウンターチェアを組み立てた。アパートの部屋に備え付けのカウンターがあるため、そこを有効活用しようと思っていたのだ。チェアを組み立て、カウンターの前に持っていく。高さを調整し、座ってみた。

不思議なことに、いつも使っている部屋なのにひとつの新しい空間が生まれた気がした。

部屋にダンボールが山積みになったので回収場所へ持っていくことにした。ついでに、面倒で後回しにしていた不燃物を不燃物処理センターへ持ち込むことにした。いつも10台以上の列になっている処理センターは夏の暑い日にゴミを出しに行く人が少ないためか、1台しか止まっていなかった。職員が私の車を誘導したので、ゆっくりと動かし、職員の前に車を止め、窓をあけた。コロナ対策なのか、名前や住所を自分で紙に記入するのではなく、口頭で職員へ伝えるように促された。名前を聞かれ、18年ぶりに生まれたときに与えられた姓を名乗った。あとから最初に名乗るのがココだったのかと思うと可笑しくなってきた。まだ違和感があったが、少しずつ馴染んでいくことだろう。

流れるように仕事をする職員には私の思いなど知る術はない。

もしかしたら、今日、スーパーですれ違った人達もいろんな思いを抱えているかもしれない。

人々の交錯した感情の中で今日が形成されていると考えると、やはり同じ日がやって来ることはないのだ。私が今日感じ取れたことは明日には微妙に変化してしまう。

なので、喜びも悲しみも言葉にしたいと思えた日は今までのように、日記として綴ることにする。

ムリをしない程度に。

 

 

私の言葉を聞いてくれた紗穂さんにも、メールをしよう。

無事に離婚できました。と。

 


https://youtu.be/hetdG12-Ti0

離婚しました。

先日、調停離婚が成立した。

離婚が成立すると、心が軽くなるのかと思ったがまだ何か重たいものが残っている。届いた調書を役所へ提出したらまた少しだけ軽くなるような気はしている。

 

調停を申し立てるにあたり、裁判へ移行することも想定していたので、短い期間で終えられたことにホッとしている。特に用意していた多くの資料を使わずにすんだことに安堵した。

調停は話し合いの場であり、ここで何もかも話すことは得策ではないと、弁護士と決めていたのだ。

今回のことで離婚調停、裁判にたいする知見を得たことは今後に生かせるような気がしている。何事も学びなので、ただの辛かった思い出で終わらせることはしないと決めている。

 

調停は調停員の心証次第でその先の流れが変わってくる。先ほど、調べたら調停員に対する話し方などをレクチャーした記事をいくつか見つけたのだが、私はそれらをまったく見ずに挑んだ。もし、話すのが苦手な場合はそういったものを参考にした方が良いのかもしれない。

私は、今までに学校との交渉や話し合いを何度か経験しているため、それが少なからず役に立ったと思っている。

事前に頭を整理し、時系列で事実を伝えること。感情を出しすぎないこと(ポロッと出てしまうのは構わない)。話すことに一貫性があれば、相手がその意見を採用しやすくなることは明確である。

私は代理人として弁護士に依頼していたので、足りないところはフォローしてもらったが、弁護士から「あなたの言葉で十分だと思います。資料を提出するより話していきましょう」と言われた。

私の言葉で話すことの意味とそれが可能と考えてくれた弁護士との信頼関係が私に自信を持たせてくれた。ずっと手を握りしめ、過去を思い出しながら話した。時々、手が震えた。緊張というより、過去を思い出し、言葉にすることが苦しかった。

何かを決めると言うことは、それほどの痛みと恐怖にもう一度向き合うことなのだ。

 

調停離婚が成立し、裁判官が調書を読み上げる最後の最後まで私は相手と同じ空間に入ることを拒否した。

それが私を守ることだった。

 

昨年の4月に別居を開始してから、自分がどれだけ痛みを伴っていたのか、さまざまな場面で知ることとなった。当初は書類に相手の名を書くことさえ、手が震えて出来なかった。一緒に住んでいた家の前に面している道は未だに通ることができない。調停は調停員がいる部屋に交互に呼ばれるのだが、相手が先ほどまでこの部屋にいたのかと考えてしまうと、呼吸が苦しくなったので考えないようにした。

 

公の場でひとつの区切りがつけられても、私の心はスパッと区切りがつけられるほど器用には出来ていない。

ただ、それでも過去に縛られて生きていくことは、まだ長いであろう私の人生に彩りがなくなると思うので少しずつ解放していく。

 

もう、未来しか見なくて良いのではないだろうか。

未来は希望で埋め尽くされているわけではないと理解しているが、だからと言って悲観的になることもない。

知らないものが待っている。

知らない明日がやってくる。

未知なるものに対する好奇心を今こそ、存分に発揮するときだと私は考えているのだ。

 

***

私を心配してくれた方、寄り添ってくださった方、ありがとうございます。

また、家族としてのカタチを再構築して楽しく暮らしていくつもりです!