バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

環境は大事

塾の保護者会があった。

勉強法や受験の説明などを聞いたのだが、その中で「成績を上げるためには次の3つが大事です」と黒板に書かれた文字を指しながら、塾講師が話始めた。

2つは省略するが、最後の1つに「環境」と書かれていた。

娘と顔を合わせ「環境は本当に大事だよね。先生、わかってる」と小声で話したあと、説明を始めた塾講師。ここで私達が思っていた「環境」と塾講師が話そうとした「環境」が大きく違うことに気づかされた。

塾講師が話したのは、スマホやゲームの誘惑から逃れ、意志を持って勉強することの大切さだった。たぶん、多くの親が制限したり心配していることだろう。わかる。とてもわかる。

けれど、私達が思う成績を上げるために必要な環境とは「安心できる場であること」なのだった。スマホやゲームなどの話をするよりももっともっと根本的なもの。

家庭が安心できる場であること前提で話をすることに違和感はないけれど(おそらく塾に通っている多くの家で成り立っているのだろうから)なんとなく寂しかった。私がしてあげられなかったものの1つであり、私がずっと目標としていることでもある。そしてずっと子ども達にそう思ってもらえているのか不安なことでもある。

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子どもの定期テストや通知表の評価に一喜一憂する親がいる。私も成績が良ければ素直に嬉しいし、あまりにも悪ければちょっと不安になる。ただ、だからと言ってその都度子どもに厳しい言葉をかけることはしないようにしている。

ここから先はあくまでも私の考えなので、考え方の違う人はそういう人もいるんだと思うか、そっと戻ってほしい。

娘自身も定期テストの結果が芳しくないと、やや落ち込むことがある。それは良くある感情であるし、大事だと思う。

ただ私が娘に一貫して伝えているのは、最終的に受験時がピークになるように設定出来れば良いのではないかと言うことだ。もちろん、内申があまりにも悪すぎるのは響いてくるけれど、定期テストは理解出来ていなかった箇所を知る機会を与えられたと考えるのが良いのではないかと話している。

定期テストの結果が悪い→自身が落ち込む上に親にもガミガミ言われる

これが続くと、ただ落ち込むだけで何も改善されない気がしている。中にはそれがやる気に拍車をかける子もいるでしょうけど、なかなか難しいような気がする。

娘に「お母さんは成績が悪くても怒らない」と言われるが、そもそも怒ると言うのが私にはわからない。本人のプライドに見合った最低限をクリアしていけばそれでいい。

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塾保護者会の感想プリントに「どんな大人になってほしいか」書く欄があった。

周りに流されず自分の意見を持てる大人になってほしい。ただし、周りの意見に耳を傾けることもしてほしい。

そう、書いた。他に何か書けば良かったかなと考えたが、今はそれだけあれば十分な気がしている。

 

思いを言葉にする


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土曜日。

津あけぼの座で下鴨車窓『透明な山羊』を観た。下鴨車窓を観るのは『漂着』に続いて2度目。

実は『漂着』はあまり好きなタイプではなかった。私が『漂着』を観たのは調べてみると6年前。私が三重県立文化センターで演劇を観始めたのは8年前ぐらいなので、おそらくあの頃のペースで考えると演劇を観始めて5、6回目くらいだと思われる。それまで観た舞台はどれもある程度は自分で消化でき、心が軽やかになっていくばかりだったので「演劇面白い!サイコー!」というお花畑にいるような心地で観劇していた。そんな私にとって『漂着』は、なんだかある意味刺激的であり、難解であり、演劇の話をする相手がいなかった私にはモヤついた思いだけを残す作品となってしまっていた。

あれから数年。

ここにきて、「1度しか観ていない下鴨車窓に苦手意識を持ってはいかん!と思い、今回は『透明な山羊』を観劇した次第である。

さて、では『透明な山羊』はどうだったのかと言うと、ペラっとした感想で言えば面白かった。この「面白い」はお花畑にいるような心地で感じる「面白い」ではない。『漂着』を観てから色んな舞台を観て、人と話し、さまざまな角度から1つのモノを観る楽しみを知った。それらがあっての「面白い」だったように思う。

翌日、ニネンノハコで行われた「勝手にアフタートーク」に参加し、下鴨車窓『透明な山羊』についてたくさんの思いを話した。

スタートは気心の知れた演劇を愛する方々と話をしたため、ヒートアップしすぎて言葉が乱れ、周りをビクつかせていたけれど、それも含めて『透明な山羊』は面白かったと言えるのではないか。

答えのない物事を「私ではない誰か」はどんなふうに感じているのか。それが新しい視点であるほど、より深みを増し、投げかけられた疑問に皆で頭を悩ませることもまた楽しい。

人の生み出した作品にあーだこーだ話す相手がいることの楽しさを、私は手に入れることが出来ているのだと、実は静かに喜んでいた。

楽しい場を設けて下さり、ありがとうございます。

 

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ここ数年、自由についてよく考えている。行動の制限から解放される自由もあれば、閉ざしていた心をオープンにする自由もある。

私は長く好きなものを語ることが怖くて仕方なかったのだが、受け入れてくれる相手ができたため、最近は虫が好きだとかきのこが好きだとか何でも勝手に話している。


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私は誰かの「好き」な話を聞くのは大好きなので、今度お話しましょう。

何処かですれ違ったら声をかけて下さいね。

とりあえず、猫をかぶって静かに聞きます!

わたし、すぐうるさくなるので!!

 

傘のむこう

意識せずとも鼻腔を刺激していた金木犀の香りはいつの間にか何処かへ消えていった。

半袖を着ればいいのか、それとも長袖にするか、悩んでしまうような気候は私の移ろいやすく、ぐらぐらしている心のようだと思う。

手を伸ばしても届かないものへ思いを馳せ、これではいけないと手を引っ込める。

それでもやっぱり欲しくて欲しくて恐る恐る手を前へ伸ばす。

「もう、だれか私の手を引っ張ってくれないだろうか」

期待しながら静かに絶望する。

 

1年前の出来事が遠い昔のことのように感じる。それなのに2年前のことは昨日毛布でくるまれていた気持ち良さのようにいつでも思い出せる。棘のあるものは排除し、柔らかいもので心を満たそうとする私の防御反応。

現実を直視していないと言われればそれまでだが、現実を受け止めながら防御するのは生きる術なのではないだろうか。

 

先日、寺尾紗穂さんが下さったメールに寄せ植えのお花中心の生活をしていると書かれていた。誰もがこの世の中の閉塞感から身を守るために生きる術を探してる気がする。

「こんな時だから!」と明るく振る舞うあのひとの心のうちなど誰も知らない。声を発することもなく、静かに耐えているあのひとの心のうちなど誰も知らない。

私に見えている誰かの姿はそのひとを形成する何パーセントなのかと目を凝らし、首を傾げている。

私の不安はきっと尽きない。

だからできることをやっていくだけ。

 


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ルイーズ・グリュック『野生のアイリス』を読んでいる。気が向いたときにぱらぱらめくり、目に留まった詩を読む。

それだけでもう何もかも良いような気がする。

 

 


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