バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20201127

なだらかな坂道を車でのぼっていく。前を走る車は高齢者を意味するマークがつけられており、ブレーキを必要以上に踏むのかブレーキランプがちかっ、ちかっ、と頻繁に光っていた。

「←駐車場」

と書かれた目印をを頼りに左折してみると、すぐに砂利が敷き詰められた駐車場が現れた。

駐車場と言っても、一台分ずつの区切りがされているわけではなく、砂利を敷き詰めた、ただの広い場所だった。車を動かし、空いている場所に止めた。

ふぅ。

息を吐いてから外へ出た。駐車場から、人がひとり通れる幅の小さな階段を使い、道路へ出る。地図が描かれた看板の前で足を止める若い男女の後ろを通り、適当に歩きだした。

高齢の女性が両腕を支えられながら坂道をゆっくり下っていたので、その後ろを同じ速度にあわせ、ゆっくり下った。

「よいしょ、よいしょ」

高齢の女性の歩みに合わせ、心の中で唱えている自分に気がつき、なんだか可笑しくなった。


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ひんやりした空気が私を包む。木々の葉は自分が染まりたい色を選んでいるかのように自由だった。自然の色を私は上手く表現することができないなぁと考えていた。

川に沿ってしばらく歩いていると、前方に小さな橋が見えてきた。


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私は橋が好きなため、知らぬ間に早足で歩いていた。前には小さな子どもと手を繋いで歩く2組の親子がいた。まだ、ひとりで歩くのには覚束ない子を、手で誘導しながら歩いたことが私にもあった。もちもちした手を握って歩いたのはほんのわずかな期間だったが、今でも思い出すことができる。毎日、大変だけれど、時折見られる柔らかい時間は10年以上たった今は子どものふとした動作の中で甦る。面白いことだ。

橋には3段程度の階段があり、よちよち歩く子どもが降りるには1段がやや高かった。階段の前で足を踏み出すことをためらう子を母親がひょいっと抱き抱える。

「ワープ!」

私はその行為をワープと呼んでいたことを思い出したのだった。

子どもは抱き抱えられたことにより、後ろを歩いていた私と目があった。クマを模したもこもこの帽子を被っている後ろ姿で、なんとなく女の子だと思っていたが、目があったその子は男の子だった。私が微笑むとにこっと笑ってくれた。可愛らしかった。

母親が私に道を譲ってくれた。子ども連れは気兼ねなくゆっくり歩きたいだろうから、私は先に行かせてもらうことにした。


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木々のあいだから見える空が綺麗だった。

ひとりで歩くことでしか感じることのない景色がある。

誰かとともに、歩くのも良いが、私にはひとりの時間も必要であり、大事にしていきたい。

 

集団で歩く年配の男性が蹴飛ばした石ころが、私の前を転がり、川に落ちた。

多くの人々のなかで、わたしは「わたし」として生きている。

どれだけ恨まれようとも、どれだけ蔑まれようとも、わたしは胸を張って歩く。

 

 

笑顔でさようなら


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小冊子『murren』vol.25 「ネパールの音」を読んだ。壮大な自然とそこで生きる人達の話は遠くのことのようでいて、自分の身近に落ちている話であるような気がした。おそらく、世界のどこであっても「今日を生きている」ことが共通しているからなのだろう。

この本に「石のチョータラ」という話があった。チョータラは石造りのベンチのことで、たいていはスレートのような薄い石を積み上げて造られている。チョータラは村で財を成した老人が造るもので、その人の死後は◯◯さんのチョータラと呼ばれて、皆が休む場所になるそうだ。著者は「自分が死んだ後に隣人の役に立つものを遺すという考えがいい」と思ったようで、私も読みながら賛同するように頷いていた。

 

母と時々、電話で話をしている。元々、頻繁に連絡を取り合う感じではないのだが、お互いに話さなければいけない事が多くなった。

「No news is good news」

そういうことだ。

入院している父が要介護認定1だったのが、要介護4になっていると母は言った。

「だからもう、お父さんはお家に帰れないと思うわ」

母は平静を装っていたけれど、電話ごしにも心の揺れが感じ取れてしまった。母以上に、何事もないふうを装って話す私の言葉から、母も何かを感じ取ったに違いない。

親の老いを感じるとともに、母の状態を気にかけてしまう。そんな母は私の現在の状態を気にかけている。

「そっちはどう?わたしはなんとか」

この言葉にそのすべてが凝縮されている。

 

以前にも書いているが、父が私の名を呼ぶことはおそらくもう、ないと思う。

そのことは私を寂しい気持ちにはさせないが、私がずっと引っかかっているのは、父の記憶の最後にある私が笑顔だったか、である。

母と話をする中で考えていたのだが、父の記憶が曖昧になった頃は、私だけではなく息子もだいぶ辛い状況にあった。当時、中学生だった息子は私の実家に帰省したあと、ひとりで電車を乗り継ぎ、家へ帰ってくる予定だった。だが、その前日の夜から「家に帰りたくない」と泣いた。当日も、同じような状態が続いており、父は「かわいそうだ」とともに涙を流していたらしい。母はそのまま帰さない選択もあったけれど、すべてを私に委ねてくれた。

息子に「お母さんが心配するからとりあえず帰りなさい。そこからまた考えればいい」と話してくれたようだ。私は本当に息子が帰ってくるのか心配で堪らなかったが、それよりも息子への申し訳なさで胸が締めつけられる思いだった。その後のことは、今のわたしたちの状況から察してほしい。

そんなことがあったせいだろう。父は記憶が曖昧になってから、息子に会うと目に涙をためて「かわいそうな子だ」と話すことがあった。父の記憶の中の息子は「かわいそう」で留まってしまったのだ。それなら私はどうなのだろう。私は楽しそうに笑えていたのだろうか。

 

「最後の記憶の私は笑っていたのか」

この頃、考えるのだ。

父だけでなく、出会ったすべての人と何気ない日をともにしたあと。

「さようなら」のあと。

あなたの記憶の中の私は、楽しそうに笑っていましたか。

そうであるならば、嬉しい。

 

エゴでしかない思いだけれど「なんだか楽しそうな人だった」と思ってもらえることは、私の心に幾つかの小さな花を咲かせてくれるのだ。

 

 


https://youtu.be/-ir91_XsJeA

20201124


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歩いたことがない道を歩いた。

はじめて歩く道はわくわくする。

マンションのベランダでひらひらしているタオルを見ただけで新しい何かを発見したような気分になる。

気持ちを切り替えたいときは、知らない場所を散歩するに限る。


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空の青さに負けない柿の存在感が眩しかった。

何者にならなくていい。

ただそこにいるだけでいい。

漂うように。時には空気のように。

存在を意識しないぐらい、佇むようなモノでありたい。


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陶器のブローチが可愛かったので購入した。本、鳥、花……など色々あったので、迷いながらりんごとクロネコにした。1つ500円なら2つ買ってもいいかなって思った。(言い訳)


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歩いていて、なにか視線を感じる!と思ったら、ねこがいた。このねこ、まったく動かなかったので「もしや、本物そっくりのニセモノなのではないか?」と思い始め、しばらくにらめっこをした。1分が経ったころ、くるっと背を向けねこが動いた。

 

ああ、本物だったんだ。

 

 


https://youtu.be/shMW6xhNtis

宮本さんがカバーアルバムを発売したようで、ラジオでかかっていた。

存在感ありありな感じがいいね。