バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20190617 ~ナポリタン

先日、スーパーへ行った際にスパゲッティを買おうと売り場を見ていたら、こんなものが売っていた。

 

 

2.2mmもある太麺のスパゲッティである。

これを見た時に「ナポリタンが食べたい!」と思った。

パスタを作る時は子ども達の意見を取り入れることが多く、鮭のクリームパスタ、ペペロンチーノ、ミートソースなどになることが多いのだが、今回は絶対に「ナポリタン!」である。

家で冷蔵庫の野菜室をのぞいたら玉ねぎ、ピーマン、ミニトマトがあったので使用決定。冷凍庫にしめじ、カットしたベーコンがあったのでこれも使用決定。

冷蔵庫にあるものだけで作るスパゲッティ。

にんにくのみじん切りも入れよう。にんにくを刻んでフライパンへ。サラダ油を入れて香りが立ってきたらベーコンを入れてその他の野菜もぽいぽいっと入れる。ケチャップを惜しみなくびゅーびゅーっと入れ、ゆでたスパゲッティをイン!

馴染ませたらケチャップの良い香りがしてきた。

お皿に盛って粉チーズかけたらできあがり。

f:id:bambi_eco1020:20190617153956j:plain

食べてみたら、太麺がもちもち良い食感で思っていた以上に美味しかった。

いつもはナポリタンにさほど興味を示さない息子が「おいしい!」とおかわりをしていた。

ナポリタンは麺が太い方がやっぱり美味しいな。

ゆで時間が長いのが難点だけど、このもちもちを食べれば納得。

(後から調べたら水につけて一晩置いておく人もいるらしい。私は前日からナポリタン!って決めることがほぼないのでアレだけど!)

 

最近、子ども達と夕飯を一緒に食べられるのはいつまでかと考える。

というのも、息子が夕方にバイトを入れている日があり、その時は「夕飯不要」だからである。

バランスも考えながらこどもの好きな食事を作ってあげたいと思う。

笑顔で安心して今日のできごとが話せる場を作っていきたいと思う。

 

20190601 ~花を飾ること

花を飾りたい。

とても暗い海の底から浮上し、明かりが見えたように感じた日にそう思った。

だが、花は何日か経つと枯れていく。定期的に買うとすると出費もバカにならない。

頭の中で花のことを考えながら何日か過ごしていた時にスーパーの片隅で見切り品の花を見つけた。これだと思った。束になった花はややしおれたものを含んでいることもあったが、私が部屋に飾るには申し分のないものだった。見切り品なので当然選べる花は限られている。その数少ない中から私とともに過ごしてくれそうな花を選んだ。

f:id:bambi_eco1020:20190601223455j:image
花に詳しい訳ではないけれど、単純に咲いている花は美しいと思った。「花が美しい」と思う感情が機能していたことに安心した。それはかつて夜空に浮かんでいる星が美しいと思えるかどうか心配したあの日に似ていた。


f:id:bambi_eco1020:20190601224101j:image

花は蕾であったものはしだいに膨れ、膨らみに気づいた翌日には開いて花を咲かせた。目の前にある「今日」を消化することに懸命になり、曜日感覚が鈍り始めた私に時間が動いていることを教えてくれた。また良い香りを運んで私をリラックスさせてくれた。

 

今日、スーパーの片隅で見切られていたのはオレンジとピンクがひとくくりにされていたバラだった。きれいだと思い、手を伸ばしたが花瓶にオレンジとピンクが一緒にあるところを想像してしばらく考えた。そして私は2束購入することに決めた。

家で2束の花をばらしてピンクとオレンジに分けた。

f:id:bambi_eco1020:20190601225128j:image

うん。この方がいい。

オレンジとピンク。

ひとつを玄関に、もうひとつをリビングに飾った。

f:id:bambi_eco1020:20190601224544j:image

自分で選んだ花を家の中心に置けることは喜びでもある。

そこに花を置いても誰も文句を言わない。私の行動を咎められることはない。私が私でいることを許される場であることを意味している。

私は今日も花が美しいと感じた。

蛙の声が賑やかだと感じた。

用水路を流れる水の音が心地よいと感じた。

夜のひんやりした風は私の横をすり抜けていった。

 

 

 

寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読みましたが、感想ではなく思い出話を書きました。

私が住んでいた街のデパートより小規模の商業施設の屋上でヒーローショーが行われるというチラシが新聞に挟まれて家に届いた。兄が「行きたい!行きたい!」と親にせがんだため、私も共にヒーローショーへ行くことになった。

商業施設の屋上は3分の1程度がゲームセンターになっており、私には慣れた場所だった。よく綿菓子を作って食べた。10円を投入するとザラメがでてくるので、私はケースから取り出したわりばしをぐるぐる回して糸くずのような綿菓子のこどもをわりばしにひっつけることに夢中になった。出来上がった綿菓子は屋台にあるような立派なものではなかったが、それでも十分美味しかった。

ヒーローショーが行われる日は屋上にたくさんの親子が集まっていた。ヒーローに会える期待でこども達はテンション高めで熱気に満ち溢れていた。まもなく、ショーが始まった。テレビの中でしか会ったことがなかったヒーローが目の前で動いている興奮が手伝い、皆がヒーローの名を呼んでいた。私はこどもであったが、それらをわりと冷静に見ていた。しばらくして悪者が登場し、ヒーローショーど定番の会場の子が悪者に連れ去られる場面がやってきた。悪者が誰にしようかなと会場を見渡していた時に私はややパニックになり「こんなの聞いてない。どうしよう」と、親の後ろに隠れた。だって、悪者だ。こわいに決まってるじゃないか。それなのに大人は全力でこどもを守る訳でもなく、にこにこしながら笑っている。どういうことなのだろう。いつも優しい私の母でさえ、私を守ってくれている感じには見えなかった。

ステージでは私ではない子どもが悪者に連れ去られ、ヒーローが悪者を撃退していた。みんながヒーローを褒めたたえていた。私はそれ以外にできることがあったのではないかと思うと、みんなの笑顔が不思議でならなかった。

 

***

f:id:bambi_eco1020:20190523164925j:plain

寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読んだ。

大阪市近郊にある暁町。閉店が決まった「あかつきマーケット」のマスコット・あかつきんが突然失踪した。かと思いきや、町のあちこちに出没し、人助けをしているという。いったいなぜ――? さまざまな葛藤を抱えながら今日も頑張る人たちに寄りそう、心にやさしい明かりをともす13の物語。

あかつきマーケットに関わる人を中心とした連作短編集だ。私はこの本を少しずつ、1ヶ月かけて読んだ。もしかしたら少しずつ読むのが正解であったのかもしれないと思うほど、本を読み続ける毎日は穏やかで私の心はあかつきんを探していた。

同じ場にいたとしても他の人の心はわからない。同じものを見ていたとしても同様のことが言える。だから私は相手の気持ちを知った気になるのだけはよそうと思っている。相手が苦しいと言えば、私がたいしたことないと思っても苦しいのだと思う。相手が嬉しいと言う時は私も一緒に嬉しい気持ちになりたいと思う。どれだけの年月生きてもそれだけは守りたいのだ。

はるなさんの文章はさらさら流れるように読めるのに、ハッと思わされる一文がそこかしこに散らばっていて、さながら砂浜に落ちている貝殻のようだ。ちょっぴり目に涙を浮かべてしまった一文もあった。それは読んでいるその時の私の心とシンクロしたためであった。きっと1年後に読んだら私は涙を浮かべるどころかけらけら笑っていることだろう。

内容にはあえて触れない。

皆が散らばっている貝殻をみつけたらいい。

そして貝殻を耳にあててみたらいい。

 

夜が暗いとはかぎらない

夜が暗いとはかぎらない