バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ロビンソン

シャッフル再生をしていたらスピッツの「ロビンソン」が流れてきた。4月にこの曲を聴くと憂いを感じてしまう私がいる。

春の柔らかな風と桜の淡い色はいとも簡単に心を浮き立たせる。それは夏であれば花火のようでもあるし、秋であれば紅葉であり、冬ならば雪だろう。淡々と過ぎ去る日々の中で、こちらの意図とはまったく関係なくそれらは現れ、私の気持ちを浮き立たせていく。

ただ、それらはいつまでも続くわけではなく、過ぎ去ったあとの儚さと少しの寂しさに私はどうにもやるせなくなってしまうのだった。

「ロビンソン」はそのときの感情に似ているなにかを連れてくる。あの煌めきがあった日が遠い昔のように感じられ、現在の立ち位置が揺らぐなにか。土が波を打ち、足を取られそうになりながら、それでも歩かねばならず必死になる。

本当に必死な時は誰かに笑われようとも、なりふり構ってなどいられない。私が私の未来を作るのであり、あなたにとやかく言われるものではない。

強さと悲しさと儚さと。どこかで聴いた曲のタイトルみたいな多くの感情が混ぜ合わさって苦しくなってくる。それでも自分で生きることを選び、歩んでいけることは喜びだ。

あの、制限のある生活には二度と戻りたくないし、戻るつもりもない。

あのときの私と今の私はまったく別のものであるとは言い切れない。けれど同じではない。同じではないことは未来を変えることであり、きっとまだ歩けるということなのだと思う。