夏は嫌いではない。けれど、冬ほど好きではない。
夏は馬鹿みたいに騒いで動きたくなるけれど、それ以上の日差しと眩しさにクラクラしてしまい、なんだか辛くなってしまうのだ。だが、夏の終わりの雰囲気は大好きだったりする。
弾けた後のゆっくり流れる空気は、以前に書いた「お祭りのあと、暗闇を歩くのが好きだ」って話に近いと思う。私の心の中は散らばっていたモノを拾い集める作業に追われていて、考えを整理しきれずにきっと秋を迎えるのだろう。
何日か前、どんな話からそうなったのかはよく覚えていないのだが、息子に「お母さん、無理心中だけはやめてよね」と言われた。
「するわけがない。私は死ぬまで生きていくつもりだし、キミ達の明日を私が選択するべきではない」
そう答えると、息子は「正しいと思う」とぽつりと言った。
こどもは語彙力がないため、思いの丈を伝えるのが困難なだけで、心は大人と同じ、またはそれ以上に複雑に動いていると感じている。
Qkaさんが書いたこちらを読んだのだが、私もQkaさん同様、こどもは大人を、親であってもあまり信頼してはいないと思っている。こどもは私をシビアな目で見ているはずで、時々それが突き刺さって痛くなることもある。何をすれば良いのか不安になったりするけれど、私は間違いなく親なので、しっかりと見つめることだけはすべきだと自分に言い聞かせている。
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夏の終わりの絡み合った心は『夜とコンクリート』を読むことで少しずつ解れていく。「夜とコンクリート」は素晴らしい漫画だ。4編のお話がつまっているのだが、「夏休みの町」「青いサイダー」は私の心をぐわっと鷲掴みにする。絵が上手い訳ではないと思うのだが、細い線と、余白と、町田洋が作り出す雰囲気が素晴らしいのだ。
喧騒のない静かな場所へ連れて行ってくれる、ひとときのトリップ。
「大人になればどこへでも行ける」
必ずしもそうでないかも知れないけれど、大人になることを恐れないでほしい。
そして、大人になってほしいとひっそり願う。
また、あした。