バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

それくらいのサイクルで。

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7月も終盤に差し掛かったというのに驚くほど涼しい。果たして今は夏なのかと疑ってしまう時もあるのだけれど、風に吹かれて響いた風鈴の音があまりにも夏っぽかったので、やはり今は夏なのだと思い直した。

夜。窓を開けていると人の声が部屋まで入り込んでくる。夜に話し声が響いていると、なんだか夏だなって気がする。冬は窓を閉め切っているという理由もあるけれど、冬に人はあんなに大きな声を出さないような気がする。夏の夜はちょっとだけ声を張って話をしたくなるのだろう。着ている服の枚数が少ないように普段は隠れていた、隠していた心がちょっぴり現れるのかも知れない。

ずっと心に閉まっていたこと、といっても大したことじゃなく他愛もないことなのだけれどそれを言葉にしたらボール一個分ぐらい心が軽くなった。たまにはそういうの出していった方が良いような気がした。ガチャガチャみたいにぐるっとハンドル回転させてポコンと1つ出てくるみたいな、それくらいのサイクルで。

  

youtu.be

 

『夜がきてまた僕らは手をつなぎ歩いていく』

冬の夜空は素敵だけど、夏の夜空も素敵だと思う。

 

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それにしても詩織ちゃん可愛いなー。

活動休止中のthe telephonesの石毛さんの声と詩織ちゃんの声が合わさるとこうなるのねって思った。

ちょっと聴いてみてよ。

 

 

今 夏の香りがしました

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通りかかった川の上にとんぼがたくさん飛んでいた。

とんぼを見るとかこさとしの「とんぼのうんどうかい」を思い出す。力を合わせてギャングこうもりをやっつけるのが清々しくて好きだった。

こどもの頃に読んだ絵本というのは絵本の内容もさることながら、その時のシチュエーションによって記憶への留まり方が変わるように思う。私の母は寝る前に読み聞かせをしてくれていたが、時々、途中でうとうと眠ってしまうことがあった。もう、何度も読んでいる絵本であれば、私はひとり静かに絵本を読み続けた。新しい絵本であれば、「つづき は あした」と呪文のように唱え、うとうとしている母の横で毛布にくるまった。

幼い頃に一番好きだった絵本はどれだろう?と時々考えて見るのだけれど、「これ!」と決められるような絵本が思い浮かばない。たくさんの絵本を読み聞かせてもらったし、自分でも読んでいたはずなのに。

私はどの絵本が一番好きだったのかな?

母に聞けばわかるかしら?

母は私が幼かった頃をまだ覚えていてくれるかしら?

 

私は息子と娘が好きだった絵本がどれか知っている。幼い頃の彼らに私がしてあげられたのは読み聞かせだった。息子は積極的に読んで!という感じではなく反応も薄かったけれど、小学生の頃に思い出の絵本を発表する時間があり、彼は迷いなく1冊の絵本を選んだ。その時に「ああ、それだったんだ」と思った。娘は絵本がとにかく好きで、音や動作が面白いものを好んでいたように思う。

私が幼き日の彼らの姿を思い浮かべる時、真っ先に思い浮かぶのは特別な日ではなく、何気ない日常の一コマであることが多い。動画を撮ってみたくて「とりあえずなんかしゃべってみてよ!」と娘に話しかけたら、当時3歳の娘はカメラに向かって首を傾げながら「……なんでやろ??」と言った。それがあまりにも可愛くて息子と笑いながら何度も再生した。娘ももう少し大きくなってから自分で見て笑っていた。

たぶん、そんなちょっとしたことが一番楽しいのだと思う。

 

***

中学校へ息子の成績表をもらいに行った帰り、ふたりの女子中学生が私に向かって「さようなら!」「こんにちは!」と同時に挨拶してくれた。女の子はふたりで顔を見合わせて笑っていたので、「さようなら!とこんにちは!」って返したらさらに笑ってくれた。

そういうの、嫌いじゃない。

笑ってる人見るの、好きなんです。

 

 

GRAPEVINE - 風待ち

 

「また 夏の感じがしました 明日も晴れだったなら 会いに行こうかなあ」

 

 

『なきむしこぞう』を読みました ~愛らしくてきらきらした宝石が落ちるようなお話でした

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幼い頃、気がついたら白いうさぎのぬいぐるみがそばにあった。くたっとしたうさぎのぬいぐるみは座らせることもできず、ひげは切り取られ、お腹のあたりは赤と黒の縞々になっていた。目はぎょろりとしていて特別可愛いと思うぬいぐるみではなかった。当時、私は動物のぬいぐるみが好きで誕生日やクリスマスにひとつずつ新しい動物が買ってもらっていた。らいおん、ねずみ、ぶた、くま、こあら、いぬ、ねこ、はむすたー……どれも可愛らしくて毎晩枕元に並べては「今日はくまちゃんのとなりで寝る!」と言っていた。となりに寝るぬいぐるみは日替わりだったけれど、うさぎのぬいぐるみがとなりになることはあまりなかった。けれど、必ず並べられた動物の群れの端っこにうさぎもいた。うさぎのぬいぐるみはひとりぼっちで寂しくなった時にぎゅっと抱きしめるのにちょうど良かった。うさぎのくたっとした体は小さな私の腕にぴったりひっついた。困った時のうさぎちゃん。だからぬいぐるみを少しずつ処分しなければいけなかった時もなかなか手放すことができなかった。

 

『なきむしこぞう』を読んだ。

しずかな夏の夕方、ぬいぐるみのゾウとライオンとキリンは家出をすることにしました。もといた動物園の売店に帰るのです。でも、庭で出会った屋根裏ネズミに持ち主の男の子が3匹がいなくなって大泣きしていると聞き…。いとおしく宝物のような絵童話。

出版社HPの紹介文なのだが、ここに書かれている「いとおしくて宝物のような絵童話」という言葉がまったくそのとおりだった。絵もお話も素敵だった。

ぬいぐるみのゾウとライオンとキリンが、持ち主の男の子があまりにも自分達の扱いが乱暴すぎるので家出しようとするお話だ。話の先を書いてしまうと、男の子の扱いが乱暴だと思っていたけれど、それ自体も男の子の愛情表現であり、自分達はけっして嫌われておらず、むしろいなくなったことで大泣きする男の子を目の当たりにしてまた男の子のもとへ帰って行くのだった。

 

愛情表現というのは難しい。テレビで幼稚園の女の子が「たろうくんが好きだけど、結婚するならじろうくんとしたいの!」と無邪気に答えているのを見たことがあるが、大人の女性が同じ発言をしたなら「おい、ちょっと待て」となりそうなものだけど、こどもなら「まあ、かわいい」で許される。だけど、実際にそれを言われたたろうくんは何も思わないのだろうかと考えてみると、子どもだって感情があるし、すぐに忘れるかも知れないけれど、言われた直後はちょっぴり寂しくなるんじゃないかなって思うのだ。

小学生ぐらいの男の子が好きな子にちょっかいを出すのもそうで、大人は経験を経て好きだからやっているんだろうなと思うけれど、子どもはそこまで理解せずにただ気を惹きたいだけでやっていたりする。私は小学生の頃に好意を持たれた男の子に靴を隠されたことがあって、どれだけ探しても見つからなかったので仕方なく上履きで帰ったことがある。次の日には何事もなかったように下駄箱に靴が置いてあったけれど、それ以後その男の子を好意的に見ることはできなかった。そしてそれを今も覚えているほど傷ついた。

 

このお話には屋根裏に住んでいるねずみが登場する。ねずみはぬいぐるみ達に「あのいたずら坊主が大声で泣いてるんだよ。面白いだろ?」と楽しそうに話しかける。ぬいぐるみ達はそれを聞いてだんだん腹を立てるシーンがある。これは家族の悪口を自分が言う分には良いが、他人に言われると腹が立つというのと同じだと思った。ぬいぐるみ達は男の子のところから逃げだそうとしたけれど、男の子の好きなところもあって「あの子の良いところも知らずに、ねずみが勝手なことばかり言うな!」って気持ちになったんだ。私もこんな思いを中学生の頃に抱いたことがある。

 

あの日の優しさも、あの時の切なさや悲しみもこの本は思い出させてくれた。

 

酒井駒子さんの絵はいつ見ても素敵で、今村葦子さんのお話は終始優しい。お話の途中からぬいぐるみ達の呼び名が「じょう」「らりろん」「ちりん」と男の子が呼んでいる言葉になっているのが愛らしい。きっとまだ上手に発音できないぐらいの年齢なのだろう。

 

読み終えた後、ざわついていた心に静けさが戻ってきた気がした。

ほんの少し優しくなれそうな気がしたのだ。

 

なきむしこぞう

なきむしこぞう