気づいたら12月になっていた。
心も体もバタバタしているけれど空回りして着地に失敗しているような日々。
先日、伊勢で行われた一箱古本市をのぞいてきた。
駐車場から川沿いを歩いて会場へ向かう。
水面をすいすい進む鳥は優雅でのんびりした雰囲気だった。
穏やかな川で情緒も溢れていると思いながら、写真を撮ってみたら向こう岸あったソーラーパネルが映っていた。一気に情緒が吹き飛んだが、これが今の姿なのであろう。
使用されなくなったボートから雑草が生えていた。雑草の生きる力にはいつも驚かされる。
川沿いに丸ポストがあった。この道は車は通れないのでポストへ手紙を投函するためには歩いてくるか自転車ぐらいしか選択肢がない。いちにちにどれぐらい手紙が投函されるのか気になってしかたなかった。
一箱古本市が行われていた建物へ入る前に、同時開催されていた「だいどこ市」をちらちら見ながら歩いた。そこで美味しそうな干し柿が売っていたので1つ購入した。干し柿は丸のままで干しているのではなく、くし形になっているため種もなくて食べやすかった。何より美味しかった。あとからおみやげ用にと5つも追加で購入した。
友人が一箱古本市に出店していたため、友人のお店のところでゆっくりしていた。
お客さんは愉快な方が多かったような気がする。私も店番をお手伝いしていたのだけど、詩集が好きと語るお兄さんや古物商をやっているおばさまなどの話を聞いているのは楽しかった。
友人のお店に私が持っていた本4冊をこそっと置いておいたら3冊ほど売れたので嬉しかった。本を読みたいと思ってくれた人がいるという事実が嬉しかったのだ。
そのうち私も一箱古本市でお店を出してしまうかもしれない。かなり近いうちかもしれない。そんなことを思った。
私が持っている絵本でも内容は優れているけれど、私よりもっとこの絵本を必要としている人、または楽しんでくれる人がいるんじゃないかと思える本があり、そういったものを私の手から離して循環させることを最近は考えている。少し前までは収集癖があるので手放したくない気持ちが大きかったけれど、読まれてなんぼだと思えば気持ちも変わってくる。
kalas最新号「かさねぎのたまねぎ」を読んだ。
廃れた町を発展させるなどと大それたことは思ってはいないのかも知れないが、それぞれが生き生きと暮らしていけば楽しき未来が開けるのではないかという希望が感じられるようだった。「何もしない」がいちばんよろしくない。
あけぼの座という劇場のプログラムディレクターをされている油田さんとkalasを作られている西屋さんの会話の中で、油田さんは俳優と演技への意見がずれた時は俳優がやりたい方を優先させていると話している。納得のいかない演技をさせられている役者は見るに堪えないからだという。だが、続けてこう話している。「でも面白いもんで、自分の役を分かり過ぎていない俳優の演技が良かったりするもんですよ」と。
今、放送されている「トットちゃん!」で、少し形は違うけれど黒柳徹子と向田邦子が演技の話をする場面があった。黒柳徹子がいつもぎりぎりで脚本を書き終える向田邦子へ「なんでそんなに書くのが遅いの?」と問うのだ。そこで向田邦子は答える。「早く台本を渡すと役者さんが考える過ぎるのよ。ドラマなんてそんなに考えずにパパッと作った方がいいんだから。それに役者はみんな台本の先を知りたがるでしょ?でも人生なんて明日のことわかんないんだもん。先のこと知られて逆算されて芝居されたっていいことないのよ」
先がわからないから面白くもあり難しくもある。当たり前のことを当たり前に思って生きていきたい。
今号のkalasは夫婦で納棺師をされている人や女性バーテンダー、ルリユールなど興味深く、とても面白かった。田舎と思われるこの地域で自分の道をひたすら進んで行く様はかっこいいと思う。
私も憧れているばかりでなく、地道に足元を踏み固めていきたいと思った。