バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

「岐阜駅本の市 IPMのこと」と最近作ったもの。

3月2日に岐阜で開催された『岐阜駅本の市』に参加した。岐阜駅本の市は13の古書店による古書市と主にZINEなどを販売するIndependent Pubkishing Market(IPM)があり、私はIPMで出店した。

過去、一箱古本市には10回以上出店しているが、自分が製作したものがメインになる販売は初めてだった。今回の出店を決めてから、エッセイ集『ノースポール』を制作した。

コピー本ではなく、印刷所へ依頼して冊子を作るのも初めてだった。中身は「私の父の話」をメインに今までに書いた文章をブラッシュアップしたものと新たに書いた何篇かで構成されている。自己満足の域を脱していないかもしれないが、それでもやり遂げたことに意味があるような気がした。

冊子の他に奈良にある本屋「とほん」の栞展で販売したこともある、切手の栞と、今までに制作した折本をセット販売した。

「IPM」会場であるアクティブGは室内であるため、天候に左右されることがないのが何より嬉しかった。今回、一番手に取ってもらえたのが切手の栞だった。10枚まとめ買いして下さる方や、この栞を制作するに至った動機を質問してこられる方もいらっしゃった。アイデアを褒められたり、フリーペーパーの表紙になっているお菓子も私が作ったものだと伝えると「なんだか心が温かくなったわ。ありがとう」と言われたのがじんわりと嬉しかった。

販売方法に関してはまだ試行錯誤を繰り返す必要があるとは思うが、現段階で私が作り出すものをとにかくたくさん販売したいという欲はあまりない。とりあえずは欲しいと思って下さる方に届けられればいいと考えている。

何か雑念が入ると、私らしさが失われる気がするので、しばらくは何か書いたものを細々販売し、来てくださった方とのコミュニケーションを大事にしていきたい。

 

古本市の方は大盛況で一時、レジ待ち時間が40分だったらしい。本が売れないと叫ばれる時代にこんなにも本を求めて足を運ぶ人々がいるのかと胸が熱くなった。

あれくらい人でごった返していたら、興味がなかったのになんとなく覗いて見るひともいたかもしれない。だって、並ぶのが大好きな人種ですもの。きっとそうであったに違いない。

 

***

最近作ったもの。

 

フレンチトーストいちごのせ

実家からいちごが送られてきたので、フレンチトーストに乗せてみた。フレッシュいっちごの酸味がさわやかで、「インスタ映えの見た目だけお菓子」ではなく、バランスも良かった。いちごが安かったらまた作りたい。

 

鶏のから揚げネギソースがけ

から揚げが好きなのだが、さっぱり食べたいときはネギソースを作って食べている。生姜が効いているのが好き。娘がから揚げにマヨネーズをつけているのを見て「若いっ!!胃袋若い!!」と叫んでしまった。

 

祝蕾の天ぷら

ここ数年、農産物直売所で「祝蕾」と書かれた野菜を見かけるようになった。子持ち高菜とも言うらしい。春の野菜らしくほんのり苦みがあって、個人的には天ぷらが一番好き。

 

祝蕾を入れたオイルパスタ

やや苦みのある祝蕾はオイルパスタにもよく合う。パスタに入れたら苦みはやや薄れ、イメージとしてはブロッコリーの茎に近い。

 

ピクルス(セロリ、きゅうり、ピーマン、ニンジン)

新鮮なセロリが売っているとピクルスを作りたくなる。なぜなら娘がいちばん好きなピクルスがセロリなのだ。かんたん酢でお手軽に作ったこともあるが、かんたん酢はやや甘みが強いため、時間があるときは、酢、水、塩、砂糖、鷹の爪、ホールの黒胡椒、ローリエを入れて火にかける。野菜も軽くゆでる。

煮沸消毒した瓶に野菜とピクルス液を入れて、冷蔵庫入れておく。

何もしたくないくらい疲れて帰って来た日にひとつつまむと、体に流れていく酸味とほのかな甘味に正直泣きそうになることがある。自分の舌で感じたあじわいが、自らが生きている証のようでもある。

 

食べることは生命を維持する上で必要だが、栄養を補給だけすれば良いと言うものではないと思う。目でみて、舌で味わって、ひとつの生活の営みとして楽しめるものであればいい。

きっと小さな楽しみが明日を連れてくるはず。

 

沙東すずさん『奇貨』読みました

f:id:bambi_eco1020:20231122145106j:image

沙東すずさん(旧 メレ山メレ子さん)『奇貨』を読んだ。

恋人を終わりを迎えたことによる数々のエピソードをX(旧ツイッター)にたくさん投稿されていたのを眺めていた頃から「これは本になるはず。まとまった文章になったら必ず読む」と決めていたのだった。その頃のすずさんの投稿にたくさん「いいね」をしてしまったので気持ち悪がらせてしまったかもしれないと後から思ったので、この場で謝っておきます。ごめんなさい。出来事が良かったわけではなく、「私も知っている何か」と「辛さをたくさん言葉にして出して欲しい」気持ちが合わさったのです。

 

『奇貨』は先にも触れたように、すずさんが恋人に唐突に別れを告げられた話である。ここまで開示してもいいの?と読んでいるこちらがドキマギしてしまうくらい、数々のエピソードが書かれており、時にはナイフで刺されたような気持ちになった。

つまるところ、恋人の心変わりであり、おそらく大なり小なり多くの人が体験したようなことなのかもしれない。けれど、個人の気持ちに大小などなく、自らを立て直す上で言葉にすることが必要であれば、どんどん書いていいと私は思っている。というのも、私もこちらと似たような経験をしたことがあるのだが、私は自分のために言葉にすることよりも相手の立場を慮ってしまったのだった。その選択が間違っているとは思わないが「まずは自分を大事にする」という根本的な回復への道を自ら閉ざしたため、とてもしんどい思いをしたのだ。周りが何を言おうが、まずは自分が楽しいことを楽しいと思えるぐらい、回復するのが最優先で良いと思う。そこから新たに構築される人間関係はより良いものになるはずだ。というより、なってほしい。

さて「心変わり」とはなんだろうか。

心が変わったと言えば、すべてが許されるのだろうか。相手のあることだから、その相手から心が離れることがあるだろうことは理解する。ただ、そうあるならば、一層、悪者になってもらいたい。それでも「よいひと」に見られたいと思わないでもらいたい。すずさんも書かれているが、心が離れたことよりも、そんな言い訳で簡単に納得する相手と軽んじられたことに腹が立つのだ。自分はいい人に見られたい、けれど、あなたはそれぐらい許してくれるでしょ。みたいな考え、どんだけだよ!って、読みながら腹を立てていた。こちらは長く時をともにした相手であるのだ。どんな人であるかも多少は理解しているはずなのに、どうしてそんなことができるのか。もしかしたら、長く時を共にし、お互いわかった気になっていただけではないだろうか。言葉が足りなかったのではないだろうか。そもそも私が足りていなかったのではないか。もはや人格否定になりかねないとは言いすぎだろうか。

一度、心に深く残った傷は表面上の関係が終わりを迎えても長く残り続ける。疑心暗鬼になり、知らぬ間に行動に制限をかけている。それでもどこかに回復の糸口があると思いながら今日、ここに立っている。

すずさんが「楽しくなるためにすること」を別れを告げられてから1週間以内に作ったと書いていたのだが、私も同じことをしたので笑ってしまった。今も「楽しくなるためにすること」を日々更新している。

どんなかたちであれ、すずさんの文章を読めたことは私にとって幸福なことだ。なにしろメレ山メレ子さんの『ときめき昆虫学』を読んで、友人を誘いエスカルゴ牧場へ行ったのだ。めちゃくちゃ元気な高瀬社長が口の端に泡をためながらエスカルゴとご自身の話をするのを楽しく眺めた。あのときは手に這わせたエスカルゴがゆっくり動いていくさまに、心の回復を願った。

どこかではっきりとした区切りが見えることはなく、回復に2年かかる、3年かかるなども個人差がある。ただグラデーションのなかで過ごし、いつしか暖色が増え、穏やかに過ごせる日が1日でも多くなっていてほしい。

私はいまだになんかもやっとするけれど、今日も生きています!

 

すずさん手書きのマンドラゴラちゃん、かわいい。
f:id:bambi_eco1020:20231122145115j:image

『奇貨』ぜひ、読んでねー。

京都へ行った日記。ふたたび。

f:id:bambi_eco1020:20231122145000j:image

京都へ行った。

娘が京大で講習を受けるとのことだったので、そのあいだ京都の町をぶらぶらしたのだ。

京大へ娘を送ってから古書善行堂へ向かった。京大から善行堂までのゆるやかな坂は、秋の香りと学生街の香りが混ざり合い、どこか郷愁を感じた。

やや汗ばみながら善行堂にたどり着き、静かにドアを開けた。「こんにちは」店内へ足を踏み入れる。心地よい音楽が流れ、そのほかの雑音はひとつも聞こえてこなかった。文庫本の棚を端からゆっくりと眺めた。時折、手に取りぱらぱらとページをめくり、私を呼んでいる本を探した。そのあと、新刊、音楽、単行本、詩歌と巡り、出会う本のひとつひとつを楽しんだ。私が楽しんでいるあいだに他のお客がやってきた。狭い通路を「すみません」と声をかけながらすれ違うのがなんだか新鮮だった。「すみません」の一言でも知らない誰かと関わった事実が疲れた私には心地よかった。店内をざっくりと1周してから、欲しいと思った本を各棚から、スパッスパッと手に取った。(このときの私の動きの切れ味を誰かにお見せしたいくらいだ)

お会計をすませると、善行さんが青年が持ち込まれたフリーペーパーを渡してくれた。三重から来たことなど少しだけ話をし、店を出た。

坂を下った。

途中で気にある雑貨屋さんがあったので吸い込まれるように入っていった。美しいかたちのスプーンやちょっと高級なチョコレートを眺めた先に、50%OFFになっていた六角形のピアスがあったので購入した。ついでにレジ横にあったビッグイシューを購入。表紙が奈良美智で目立っていたのだ。「今日は観光ですか?」などと店員に話しかけられた。まだ昼食を取っていないと話したら、近くにあるカフェを勧められた。それもいいなあと思ったが、そのカフェに行くにはまた坂を上らなければならなかったので、またの機会に行くことにした。

出町柳の駅が近づいてくると、忘れかけていた学生の頃の私を思い出した。何をするでもなく歩くのが楽しかった。

叡山電車に乗り、一乗寺へ向かった。一乗寺駅を出てすぐのところにパン屋さんがあった。荷物になるとは思いつつも、パンの誘惑には勝てず、気が付いたらトングとトレーを持っていた。ベーコンエピとエンゼルナッツとマフィンを購入した。

次は恵文社一乗寺店へ。クリスマス仕様になったお店には多くの人が溢れていた。見たことがない本を見つけては手に取ることを繰り返していると、だいぶ時が過ぎていた。楽しかったけれど、人が多すぎてやや疲れてしまった。

次はマヤルカ古書店へ。ドアを開けると男性の話声が聞こえてきた。常連さんとでも話してるのかなと思いながら、私は棚に目を向けた。本に夢中になっていたため、最初は気がつかなかったが、会話が盛り上がっているというより、男性がひとりで話続け、女性店主は相槌のみを繰り返していた。この男性がどんな人であるか、私には知る由もないが、なんとなく、この男性が帰るまで店内に居座ろうと思った。声が聞こえる方を気にしつつ、本を眺めた。しばらくするとひとり、またひとりとお客が増えていた。すると男性はやっと話を切り上げて帰っていった。

マヤルカ古書店は私が欲しくなる本が多くて困った。韓国文学に始まり、読みたかった海外文学の本もあって嬉しくなった。ここでも本を購入し、バッグがさらに重たくなった。「バッグの重みは私の喜び」そう思うことで気を紛らせようとしたが、やはり身体的にはきつかったので近くの喫茶店で休憩することにした。

なんのリサーチもせずにふらっと寄ったその喫茶店アイリッシュ音楽が流れる素敵なお店だった。珈琲とピザトーストを注文した。待っているあいだ壁に貼ってあったアイリッシュ音楽セッションのチラシを眺めた。初心者でも一緒に楽しくやりましょうとあり、近くに住んでいたらやりたかったなと思った。山歩きの本や苔の本が並んでいるのも良かった。珈琲がとても美味しく、ピザトーストは素朴で美味しかった。緑茶などを注文すると和菓子がついてくるらしいので次はお茶にしようかなと思ったりした。常連さんが多いようでマスターが気さくに話をしていた。珈琲が美味しかったので豆を購入した。私が飲んだ珈琲はそのときマスターがブレンドしてくれたものらしかったので、おすすめして頂いた豆にした。

叡山電車に乗り、出町柳に戻った。娘には駅で待っていると伝えていたが、娘は極度の方向音痴のため、京大の中で校舎を移動したらいまいち場所がわからなくなったらしく、仕方なく京大へ向かった。バスでも良いのかも知れないが、歩きの目線だからわかる街並みがある。歩いているひとの声や音がその場所を作っている。娘を連れて駅へ向かう。場所も生きものであることを考えつつ、電車に飛び乗った。