週末、年に一度開催される「ホンツヅキ三重」へ行った。
私はひどく疲れていた。
「からだ」と「こころ」の場所が大きくズレており、何もない空を見ていた。例年よりホンツヅキを心待ちにする高揚も忘れ、気がついたらその日になっていた。だが、行かない理由はなく、半分義務感にかられながら会場へ車を走らせた。建物に入り、ゆっくりと会場へ向かって歩く。近づいていくと本を手にした人が見えた。棚の前には多くの人がおり、皆真剣に本を目で追っていた。ぐるりと周りを見渡すと、知り合いの顔が見えたので声をかけた。本を探すよりも先に誰かに触れたかったのだった。一言二言かわしたのち、今回のイベントで珈琲とお菓子と古本を販売しているCAFEめがね書房さんへお菓子を買いに行った。店主とも言葉を交わた。店主は私が身につけていた赤地にランダムな黒ドットが描いてあるスカートを「すいかみたい」と話した。そのあとも知り合いの顔を見つけては挨拶をした。
それからやっと本棚の前に立った。
ふと、向き合うことを考えた。
人、物事、場所、時代、世界。
考えることができないときは、多くのことに触れるのはやめて目の前の本棚に集中しようと思った。背表紙に書かれたタイトルをひとつひとつ黙読していく。だんだんリズムが出来てきて楽しくなってきた。今、この空間でこんな遊びをしているのは私だけなのだろうなと思いつつ、顔をあげたら目の前に友人がいて笑った。友人を前にして「金…金!」と発してしまい、「やめなさい」とたしなめられた(友人に渡す必要のあるお金があったのだ)
友人と話をしていたら、夜に開催されるホンツヅキで購入した本について話す会の話題になった。友人は何も言わずとも私が参加する前提で話していたので「私は行った方がいいのかな……」と言ってしまった。行きたくないのではなく、この状態の私が行けるのだろうかという不安に近い思いから発せられた言葉だった。ここしばらく友人たちに会っておらず、本の会にも参加しなかったくらい疲れていた。話したいようで話したくないのだ。
まるで人に意地悪しているのに好かれたいみたいな、かまってちゃんみたいな、どうしようもないわたしが輪に入りにいって良いのだろうかと思った。友人は特に気に留めず、私の自由な言葉を野放しにしてくれた。
友人と別れたあと、何冊かの本を購入し、壁際に設置されていた椅子に腰かけた。
本を選んでいる人の横顔や背中を眺める。
このイベントを動かしているスタッフの古本屋さんたちの動きを眺める。
香りを嗅ぐ。
大きく息を吸う。
目を瞑って音を聞く。
だんだん、私がこのままの私でここに居てもいいと思えてきた。
ふーっと息をはいて天井を見上げた。
「よし、夜に開催される購入した本について話す会に参加しよう」と決めた。
だって私はさきほど購入した本をぎゅっと抱きしめていたのだから。