バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

学校からの配信メールで感じたこと

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 学校からの連絡事項をメールで受け取っている。

その昔は連絡網があって、電話でなんとか回していた記憶があるが、最近は学校からの一斉配信メールで成り立っている。
4月になると、毎年配信メールが届くようにこどものクラスや地域、クラブ活動を選んで登録するのだ。
今年は息子が中学生になったので、小学校と中学校の登録をした。
 
今まで、小学校から来ていた配信メールの内容は、行事前の確認・不審者情報・気象による登下校や短縮授業の連絡などで、事務的な口調で書かれた一般的なメールであった。簡潔でわかりやすく、差し障りのない文章なのが配信メールの利点だと思う。
 
5月に息子の宿泊学習があった。そこで初めて中学校からの配信メールを受け取ったのだが、そこにいくつかもやもやを感じてしまった。
ひとつめは1泊の宿泊学習で、1日に3回もメール配信をするものなのかということ。これに関しては丁寧な対応なので、あまりもやっとしてはいけないのかも知れない。けれど、小学校の修学旅行でさえ、「何事もなく1日が終了しました」の1回だけのメールだったことを思うと、必要性をあまり感じないのだ。もちろん、何か起こった時に連絡がないのは困るが、概ね順調に進んでいる内容のメールが何度も来ると「なんだかなぁ…」と思ってしまった。配信メールは緊急な内容の事もあるので、仕事をしていても時間みつけて読むようにしている身としてはふぅぅと力が抜けてしまう。
 
そしてもう一つの理由が文章が読みづらかったことである。これは学校からの配信メールとしては致命的ではないかと思う。
例を挙げると1日目が終了した旨を伝えるメールはこのような感じであった。
 
「(1日の内容ずらっと並べた文章)〜発熱する人もいましたが、宿泊施設のご好意によるお茶の追加もいただき、元気に過ごしています。夕食は、結構おいしかったです。本日はこれまでです。おやすみなさい。」
 
「夕食は、結構おいしかったです」とはこの文章を書いている先生の個人的意見ではなかろうか?「皆で美味しくいただきました」だったらまだわかるような気がするのだけれど。
配信メールの締めの言葉が「おやすみなさい」なのも初めて見たので、少々驚いた。
内容は書けないが、2日目に届いたメールは、一文が長すぎて何を言いたいのか理解するのに時間がかかってしまった。これだったら箇条書きのように句点で区切って、一文を短くした方が伝わるのではないかと感じた。
 
先日、息子の家庭訪問があった。
一通り、息子の話をした後で、そう言えば…とこのメールはどなたが書かれているのですか?と尋ねてみた。担任はおそらくこの先生ではないか?と言うのはあるようだが、誰とはわからなかったようだ。「あの、配信メールは先生も読まれましたか?」そう尋ねてみると「職員には違うメールが届いているんですよ」と担任は仰った。
私は、届いた文章に感じた違和感を話し「配信されたメールを読んで下さればおそらく私が言わんとしている事がわかると思います」と伝えた。
クレーマーっぽくならないように気をつけたつもりだが、余計なお世話だったかな。
 
けれど、言わないとわからないし、あの文章のメールが今後も学校配信メールとして届くのは私は嫌だと伝えたかった。
上手な文章でなくても良いけれど、もう少し相手は何の情報が欲しいのかは考えてもらいたいと思った。