バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

息子が転学します

9月は自分がしていることがすべて裏目にでるような日々で正直疲れてしまっている。1つの問題を解決する方法がみつかり、気持ちがちょっぴり楽になったと思ったら新たな問題が発生するというループ。自分でどうにもならないこともあれば、どうにかなったなぁと思うこともあるけれど、進んでいけばどうにかなるだろう。

1つ進んだことは息子の転学である。受験をして4月から自身が希望する高校へ入学したのだが、ゴールデンウィーク以降学校が合わないと感じるようになり登校しなくなった。特に大きな理由があるわけではなく、小さな事柄を拾い集めたら「いられない」との判断になったようだ。行けないものをどうにもすることもできないので、毎日学校へ欠席の連絡を入れてから仕事へ向かう日々を送った。ある日から担任に「もう、朝の欠席連絡は大変でしょうから入れなくていいですよ」と言われた。

担任と教育担当の先生は息子がぽつぽつ話すことに耳を傾け、彼が自ら選んだ選択を尊重してくれた。とても助かった。けれど息子の近くにいる人の中には「せっかく〇〇高校へ入学したのにもったいない。休学などでなんとかならないのか」と助言してくれた。私もひとかけらもそう思わなかったかと問われれば嘘になるが、その言葉は息子自身が一番わかっていることであってとても酷な気がした。

はたして私は息子にどういう人になってほしいと願っていたのだろう。

息子との日々を思い返し、今の息子を見た。私は息子に意思を持って行動できる自立した人になってほしいと願っていた。そうであるならば、彼がどういう選択をしても私は彼の味方であろう、これだけは曲げてはいけないのだと思った。

登校できない。それは皆が当たり前のようにできていることができないとこどもが自らを責めて苦しむ姿を見て過ごさなければいけないことである。親が無理に学校へ連れ出そうとするのは親のエゴだと思う。親が楽になりたいからじゃないかと思う。

夏休みに入る前に息子は教育担当教諭に転学の意思を伝えた。彼が自分で考え、自分で選んだことである。私は息子とともに転学先のガイダンスに出席した。その後、息子は試験を受けて無事に合格したので10月から通信制高校での生活が始まる。

転学届を自宅へ持ってきてくれた担任は「おめでとう」と言ってくれた。そのあとに「まだ、クラスのみんなに息子くんが転学するとは伝えていないのだけれど、伝えてもいいかな?それと伝える時期も希望はあるかな?」と聞いてくれた。

「僕はいつでもいいです」きっぱりと答えた時に息子は前向きに動いていこうとしていると確信した。

上手く順応できないことなんてこれから先もたくさんあるだろうし、現在、特に問題のない生活を送っている子でもいずれ遭遇するかも知れない。それが息子にとって今であっただけのことであり、息子が考えた道を尊重し、私も支えになろうと思う。

失敗したらどうするかって?そしたらまたやり直せばいいじゃない。

自分が進んで行く道くらい自分で選んでいけばいいじゃない。

自分が考えに考え抜いたことは今後の糧になると思うよ。

 

今日、あることで落ちていた私に友人がどなたかの詩を送ってくれた。

 

あなたがそこにいてほしい

 

「まあ あんまりしんこくに考えないで

 ただそこにいてくれるだけで

 きみは世界の役に立ってるんだよ

 エスカレーターの下に立って

 ベルトを拭いているひとみたいに」

 

この詩をそのまま息子に渡したいと思う。