バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

子どもを「子ども扱い」しないこと

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子どもを産み、育てる中で私は何度も「子どもにどうあってほしいのか」を考えてきた。今もずっと考え続けていることであり、その都度、思考の修正や更新を重ねている。

こちらを読んだ。

ninaru-baby.net

内容にほぼ同意であった。というより、私も幡野さんの考えに近い状態でずっと子どもを見守ってきた。

以前にも書いたかも知れないが、私は子どもが自立した人になることを目的としてずっと接してきた。

「自立」とはなんだろうか。自立と言えば、経済的自立が1番最初に浮かぶかも知れないがそれだけではない。自分の考えや置かれている立場を理解し、適切に相手に伝えられる能力を育てること、また、自分の力で対応仕切れない場面に遭遇した際、助けや協力を得られる人であることなども自立だと考えている。

先日、知り合いが「なぜ勉強しなければいけないのか」と子どもに聞かれたらしい。とても良くある質問であり、通販の「良くある質問」につけ加えたいぐらいだが、答えは各々違うのだと思う。

私も以前に子どもに問われたことがある。そのときは「勉強をすることはあなた自身を守ることにつながるので、最低限の勉強はした方が良い」と答えた。例えば、何か生活に困り、助けを求めたいとする。その時に適切な相手を探す、アポイントを取る、その場所まで赴く、現状を伝える、これらの段階を踏むことと、こなすことができなければ自身の状況を回復するまでに時間がかかることなどを説明した。あと、身近な人とのトラブルなども法律の勉強を少しすることで抑止力になるとの記事を読んだので、自分の身を守るために勉強するというのは遠からずなのではないかと思っている。

 

幡野さんの文章に失敗についての記述がある。

人生に失敗はつきものなのだから、失敗に対処する力が大切だ。

私はこの部分を読んで、首をぶんぶん縦に振っていた。

私もたくさんの失敗を繰り返している。穴があったら入りたいと思うけれど、その都度穴を掘って入っていたら私の周りは穴だらけで歩く場所がないに違いない。失敗は必ずするものである。だから、失敗を恐れるのではなく、対処する力を身につける。とても大事なことである。また、私がもう一つ思うのは、自分で選んだ道や方法で失敗をしたとしても諦めがつくことだ。

そんなことを以前に書いたなと思ったら、息子が転学した記事だった。

bambi-eco1020.hatenablog.com

「失敗したらどうするんだ」

「そんな子どもの言うこと間に受けてどうする。なんとか学校へ行かせるのが親のつとめだ」

「子どもの意思を尊重するってなんなの。笑っちゃう」

この頃、私が浴びせられた言葉の数々を私は忘れない。

全部をのんで、息子には「あなたの好きにしたらいい」とだけ伝えた。

 私はずっと子どものことを子ども扱いせずに過ごしてきた。子どもの言うことだからなんだというのか。ただの一個人の意見ではないのか。子どもをずっと見てきた親であるならば、子どもが言うことが足りないと思えば、そこから考えられる良し悪しを一緒に考え、また、子どもに選ばせたらいいのではないだろうか。 

 子どもの人生は子どもが主人公の物語である。RPGの主人公である子どもが色んな人の意見を聞きながら考え、自分自身を操作するのであって、他の者が操作するものではない。まだまだ先が長い物語になるのだと思うけれど、失敗を繰り返しながら歩く道を決めていけたらいいのではないかと思っている。

 私はへらへらしながら見守ることにする。

 

毎日、こういうことばかり言ってるので

「お母さんがいちばんおかしい!」と言われています。