バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20230406

4月。

涼やかで綿菓子のように軽く甘い空気が流れている。

新しい扉を開けた者たちと、それを支える者の姿が眩しい。

どれだけ危なっかしくても、新しい道に進むのは希望があるのではないか。

どれだけ難しくてもその先に何かがあるような気がするし、不安を上回る可能性に私はかけたい。

例えそれが甘い考えだとしても、進まぬ者よりたくさんのモノを得られる気がする。

 

***

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寺地はるなさんの『白ゆき紅ばら』を読んだ。

以下、あらすじ。

良い子は天国へ行く。悪い子はどこへでも行ける。
行き場のない母子を守る「のばらのいえ」は、大学のボランティア活動で知り合った志道さんと実奈子さんが、「かわいそうな子どもを救いたい」と理想を掲げ同志となって立ち上げ運営する家。そこに暮らす祐希は、束縛され未来のない現実から高校卒業と同時に逃げ出した。十年後のある日、志道さんが突然迎えに来る。しらゆきちゃん、べにばらちゃんと呼ばれ、幼少のころから一心同体だった紘果を置いてきたことをずっと後悔してきた祐希は、二度と帰らないと出てきた「のばらのいえ」に戻る決意をするが――。

読む前に目にした感想には、辛い、重い、苦しいなどの言葉が散見され、果たしてどんなものがたりなのだろうとドキドキしながら読み始めた。

読み終えた私の感想はこちらだ。

優しさってなんだろうと思う。「優しい自分でありたい」とか「優しい人に思われたい」ではなく、他者が生きやすいように手を差し出すことだろうか。優しさについては考え出すとキリがない。ただひとつ言えるのは、私は大事な人達が困っているときに何も出来なかったとしても、声に耳を傾けることはしていきたい。相手が望む範囲で寄り添い、新たな世界へ連れていきたい。

私が苦しかったとき、世界がとても狭く見えた。その小さな箱は頑丈で壊すことが出来ないと思いこんでいた。その箱の端から「世界はもっと広いよ。そんなところにずっといなくてもいいよ」と光を射し込んでくれた人にずっと感謝している。

あれはきっと「思いやり」だと思う。

 

時がどれだけ過ぎてもあの時の恩はいつか返さなくてはいけないと思っている。

相手が忘れていようとも、その恩を返すことが私にとって生きる意味のひとつかもしれないと考えている。

そうであるならば、あの人は私に生きる意味をも与えたことになるのだろう。

 

 


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