通っていた小学校の裏に公園があった。その公園には遊具とグラウンドとつつじ園があり、その横にはお寺があった。年に1度、その公園で大きなお祭りが開催された。祭りの準備を学校の廊下から眺めることができたため、子どもたちは目を輝かせながら、祭りに行く約束を友達をしていたのだった。
何もなかったグラウンドに屋台が建てられていく様は塗り絵を塗りつぶしていくかのように、日常を非日常へ導いていた。中でも中心付近に建てられる見世物小屋とお化け屋敷には心が躍った。そして、お祭りの日に真正面から見た見世物小屋は怪しい雰囲気を醸し出しながらも、足を止めずにはいられなかった。
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稲泉連『サーカスの子』を読んだ。
大天幕の中に入ると、そこは夢の世界だった。--
舞台の上で繰り広げられる華やかなショー、旅を日常として生きる芸人たち。子供時代をサーカスで過ごした著者が、失われた〈サーカスの時代〉を描く、私的ノンフィクション。
あの場所は、どこへ行ったのか?
僕がそのときいた「サーカス」という一つの共同体は、華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する場所、いわば夢と現が混ざり合ったあわいのある場所だった。(本文より)
幼いころ母とともにキグレサーカスで暮らした著者は、四十年近い歳月を経て、当時の芸人たちの物語を聞きにいく。
それは、かつて日本にあった貴重な場所の記録であり、今は失われた「故郷」と出会い直していくような経験だった。
ある一時期をサーカスで過ごした人々から語られる数々のエピソードは時代を反映しており、興味深く読み進めていった。
芸人たちは幼少期にサーカスで暮らしたことのある著者であるからこそ、心を開き、話してくれたことも多いのだろう。人と人が交わるときに発せられる熱のようなものが感じられ、まったくの部外者であるのに、どこか懐かしさを感じた。
温かく強く、少々乱暴な人の繋がりはこれからの時代で感じることがあるのだろうか。
決して「あの時が良かった」という話ではない。
輝かしい舞台は観客も演じている者をも狂わせてしまう、麻薬のようなモノなのかもしれない。
幼少期に私がみたサーカスの記憶はショーそのものよりも、終わったあとの夢から醒めるような感覚が強く、未だに忘れることがない
親が子どもをサーカスへ連れて行ってくれる家族の温かさを子どもながらに感じ、夢見心地で華やかな時を過ごす。その後にやってくる夢から醒める感覚は、同時に家族の温かさが終わるような気がして恐怖を感じたのだった。
始まるものはやがて終わる。
いつまでもこの温かさが続くわけはないと思い込み、いつもどこか怖かった。
やがて、長く続く温かさの中で恐怖も薄れ、ぬるま湯に浸かるような生活を送るのだが、それでもまだ、自分にいつかやってくるであろう「その時」に怯えた。
「備えあれば憂いなし」なのかもしれないが、準備が良すぎて怯える日が長いのは堪ったものではなく、ただ単に受け流すのが下手だっただけだろう。
何かを始めるとき、考えすぎては何も生まれない。
勢いよく飛び出すことも必要だ。
そうでなければサーカスになど入れないし、いつまでも表舞台に足を踏み入れることはできない。元来、表舞台よりも裏方気質の私だが、それでも表が華やかであれば良いと思うし、興味本位で少しだけ表にも足を踏み入れたいと考えている。いつか、またその先の話なのか、それもまた夢の話なのかは生きてみないとわからない。
全部観て欲しいけれど、3分20秒くらいから『流した涙の数だけ 美しい虹がたつ』を歌われているのでそこだけでも是非。