iaku『車窓から、世界の』を観た。
日曜日、雪がどんどん降り積もる中、それでも津にある四天王寺スクエアへ足を運んだのは、私の中で「iakuはおもしろい」「iakuはうらぎらない」という感情がすでに出来上がっていたからだと思う。
会場である四天王寺スクエア3階に着くと、ストーブがたかれており、ほわっとした温かさが私を包んだ。開演までの時間、あたたかい飲み物を提供して下さったり、開演中にストーブを消さなければいけないため、希望者にブランケットや使い捨てカイロを配ったりされていたのがなんだか微笑ましかった。大きな会場ではきっとありえないことだもの。
『車窓から、世界の』
地元有志のはたらきかけによって出来た念願の新駅「東奥原」(ひがしおくばる)。
しかし、多くの住民は従来から利用していた特急が止まる隣の奥原駅から離れることはなかった。
おかげで、当初見込んでいた年間乗降利用客数には程遠く、駅前開発は停滞、東奥原駅は地域発信型請願駅の代表的な失敗例となってしまった。この駅のホームから中学生女子三人が特急電車に飛び込むという凄惨な事件から2週間。
今日は彼女たちがかつて所属したガールスカウト主催の「お別れ会」が行なわれる……。
女子中学生三人が手をつないで電車に飛び込んだというショッキングは出来事が起きたあとの話。舞台は東奥原駅のホーム。そこで会話劇が繰り広げられる。
彼女達を殺したのは自分だと主張する人、もう少し何かしてあげられなかったのかと悔やむ人、学校の対処ばかり気にする人、こういったことは迷惑でしかないと言う人…立場が違うとひとつの事柄も見え方が違う。
例えば、通勤途中で急いでいるにも関わらず、どこかの駅で飛び込みがあり、電車が止まってしまったら。多くの人はおそらく「迷惑だ」と感じるだろう。飛び込んだ人がどんな状況にさらされていたかはここではまったく別の話で、自分が日常通りの動きができない原因を作ったことをただ、迷惑だと感じる。
ここで起きた人身事故も、
駅一つ離れたら「迷惑」でしかなかったんかな。
駅員さんのこの言葉がそれをあらわしている。
もしも、知らぬ人であっても目の前で飛び込むところを目撃したら、迷惑という感情とはまた別の何かがきっと生まれる。目撃したことを自己消化するのには時間がかかる。
亡くなった人すべてを思いやることなんてできない。関係性もあるし、すべてを思いやっていたらこちらの体がもたない。冷たいようで自衛でもある。ただ、そこには生きていた人がいて、その人の背景もあるということは感じても良いかなと思えた。
一見、重い話のようであるが、軽快な関西弁がきいていて笑いどころも多々ある。ガールスカウト指導者の女性がこども達にあだ名をつけられたエピソードを話す場面も面白かった。こども達に「わかづくりおばさん」って言われたってさ。それから頭の薄い方は「頭髪の状態が芳しくない人」と言うらしい。
iakuの面白さは痛快な笑いの面白さではない。誰しもが抱えている様々な感情を表現し、重くなりそうなテーマでも軽快なテンポで進めていく心地良さにあるような気がする。観劇直後より、少し経ってからの方が色々考えたりする。今回でiakuの作品を観るのは3回目だったが毎回同じように思っている。
私が観た三作品には橋爪未萠里さんと緒方晋さんがすべて出演していたのでiakuイコールになりつつある。お二方とも素敵な役者さんです。iakuは良い演劇ユニットだと思うので、機会があればまた観たい。そして、人にもすすめたい。
2年前にiakuから届いた年賀状。
書いてあるのは『車窓から、世界の』のセリフ。
この時も「あぁ」と思ったけど、舞台を観た後だと、さらに深く入ってくる。
『かじってみないと ダメなんですね。』
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