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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

iaku『流れんな』を観ました

 
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iaku『流れんな』を観ました。

 
 
貝毒の被害は甚大で、タイラギ(平貝)漁で栄えたこの港町も長くはないのかもしれない。当然、うちの小さな食堂「とまりぎ」も先行き不安だ。ネイルサロンにした方がマシだなんて話は、さすがにバカげてると思うんだけど。重なるときは、重なるもんで、先日、父親が重度の肝臓疾患で入院、店は休業状態に。40歳を間近にして、畳み掛けてくるよう。店で一人、思う。母親が生きていたら。子どもの頃、汲取式の便所を友人に見られるのが恥ずかしくて、ムリと言って洋式トイレにかえてもらったことがある。それがあんなことになるなんて。妹もずっと私を恨んでる。26年前の出来事が、今も私を滞留させる。この土地に、この店に。ああ、流れんな、私の記憶。
 
拙いただの感想を書きたいと思うのだけれど、何から書いて良いかわからないぐらいの問題がどさっと盛り込まれた話だった。
40歳目前の独身女性の不安、親の病気、肝移植、不倫、トラウマ、母を知らない女性が母親へなろうとする際の不安、姉妹の関係、過疎化、出生前診断貝毒、汚染物質の処理…。
 
これだけ、いや、これ以上のものを約90分に入れ込んでもごちゃごちゃせず、ストーリーがわからなくなることもなく、そしてひどく苦しいまではいかないサラッとした感じで終われるってすごいなぁと思った。
私は40歳前の睦美の気持ちがわかところもあるし、妊娠し、様々な不安を持つサツキの気持ちもわかる部分がある。それは自身の経験に基づいているからなのだけど、これを書いた横山さんが30代の男性だと思うと「なんでそこまでわかるのか?」という驚きしかない。これから先、親の介護もするかも知れない、それに加えて少しずつ老いていく自分もいる。過疎の町から出ることもなく、独りだと思ったら…。
すがる先が不倫なんて陳腐で滑稽だ。終盤、投げつけた割り箸がバラバラと落ちていくのを眺めていたら、痛みと悲しさとアホらしさがみえた。
父や姉である睦美の手により大切に育ててもらったが、母親の顔を知らず、母親の愛情も知らないサツキが妊娠し、これから自分が未知のものである「母親」になる不安を姉にぶつける場面がある。姉である睦美にはそれとは違った葛藤がある。たくさんのことを犠牲にし、我慢し、母を助けられなかったのは自分であると攻め続けた20年以上の月日…。
 
誰しも人間であるから、間違いも犯すし、安っぽい行動に苛立ちもするけれど、それらが「透けて見えるぐらいがちょうどいい」というセリフに集約されているように思った。
どの問題も話の中で解決しないのだが、自分が日々暮らしている中で答えのあることなんてほとんどない。救われないぐらいの方が現実味があってすんなりと受け入れられると思った。
 
 
iakuは昨年観た「目頭を押さえた」に続いて今回2度目だったのだが、どちらも素晴らしく良かった。
今後も観られる機会があるなら足を運んでしまうと思う。
重いのに重くない。だが、持ち帰ってしばし考える。
今回、司役だった緒方晋さんは前作の時も感じたけど本当に立ち位置が良いと思う。
緒方さん絡みの笑いがどれだけあったか。飄々として鈍感で優しさはあるけれど不器用で。
iakuの作品には必要な人なのかも。もちろん、他の役者さんも素晴らしかった。
 
演劇は本を読んでいる時とは違い、そこに演じている役者さんがいるので100%の説明をしなくても、表情や動き、間の取り方で足りない部分を補える。阿吽の呼吸、つうかあの仲ではないけれど、そういった事をものすごく感じたお芝居だった。
 
 
観劇後、作者である横山拓也さんと演出家の上田一軒さんのアフタートークがあった。
横山さんは自身で演出をされる時もあるのだけど、なぜ上田さんに演出を依頼するのか?という問いに「客観的に自分の作品をみたいから」と答えていた。
そして、稽古を見ながら自分の作品なのに、大笑いしたり、泣いたりするんだそうだ。だって自分の作品が大好きだから。
 
 
良いよなぁと。
私も自分の書く文章を好きだ!と言いながら、またぼちぼちブログを書いていきますよ!
 
 
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