バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

生きる

お風呂から上がり、屈んだとたん世界がぐらっと揺れ、そのまま立てなくなってしまった。ああ、また回転性のめまいがやったきたのだと理解した。和らげる体操を試みようとするも、吐き気が強く頭を動かせる状態ではなかった。とてもしんどくなってきてしまい、救急車を呼ぶことも頭をよぎったが、とりあえず朝まで様子を見ることにした。真夜中、トイレに行きたくなり、吐くのを覚悟で立ち上がり壁にもたれながら用をすませた。横になった途端、嘔吐。頭位を移動したことで回転が加速したのだった。

目を閉じ、寝ているのか寝ていないのかわからない状態で朝を迎える。トイレに立つとまたぐらぐらしたが、嘔吐まではしなかった。息子に助けを求めたら、息子が学校を休んで病院へ付き添ってくれると言う。息子は洗濯物を干し、学校へ連絡を入れ、アプリでタクシーを手配してくれた。かかりつけの病院で受付をすませ、すぐにベッドへ移動。めまいの点滴をしてもらうとだいぶ楽になった。ふらふらながらも歩けることに安堵する。

薬局で薬を受け取り、タクシーを手配したら行きと同じ運転手さんだった。おしゃべりが好きな運転手のようで、息子とカード決済や近隣のタクシー事情についてずっと話をしていた。息子の知識の豊富さにやや驚く。

帰宅後、眠った。

起きたら日が暮れていた。めまいが起きたあとは、立つことが怖い。立ったら嘔吐するのではないかという不安がしばらくつきまとう。

息子に休ませてごめんね、と謝ると、いいよ、本当は行きたかったけど仕方ないからね、と言われた。

数ヶ月と言えど、学校へ行けなくなり、転学した経験のある息子が、学校へ行きたいと思える日々を送っていることに何とも言えない気持ちになる。また、私が足を引っ張ってしまったことに罪悪感を感じてしまった。

毎日、元気でいたい。

 

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毎日何かを考えている。

書き留めないとすぐに忘れてしまうような考え事は、おそらく特に必要でないものなのだろう。

頭の体操程度と捉えるのが良いのかも知れない。

私が描き出した思考は沫のようなもの。

 

娘が「幸せは自分から作りたい」と話していた。同級生の多くは幸せを他者から受け取ろうとする考えが多いと知っての発言だった。

私は娘の意見に同意するも、「15歳の子が幸せを他者から与えてもらえるものと思えること自体、幸せだと思う」と答えた。「それは理解しているし、心の拠り所に宗教などがあることもわかる。ただ、私は内から幸せを作り出したい」と娘は言った。

家庭が平穏であるほど、自分から大きく働きかけなくても居場所を設けることができる。私も娘もそれが1度壊れたことにより、自分から動く必要性に迫られた。

娘はアウシュヴィッツ強制収容所にいた人の話を読んで、より鮮明にそう思ったと話した。そういえば、私は寺尾紗穂さんにハンセン病療養所にいた明石海人さんの言葉を教えてもらったけれど、同じようなものだった。共通点として閉鎖的な場所に居たことがあるのかもしれない。娘となんとなく納得した。私たちは自らの手でさまざまなモノを作り出したいと思っている。

私たちは内から光を放つ生き方を強く望んでいる。

 

 


寺尾紗穂 歌の生まれる場所 - YouTube