バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を観ました

 f:id:bambi_eco1020:20180305212314p:plain

ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』をみました。

http://hi-bye.net/plays/sotonidetemitano

 

『ヒッキー・ソトニデテミターノ』は以前にみた『ヒッキー・カンクーントルネード』の続編にあたる作品です。

bambi-eco1020.hatenablog.com

いずれも「ひきこもり」をテーマにした作品なのですが、「そもそもなんでひきこもりの話にしたんだ?」と思って調べてみたら、ハイバイの主宰である岩井さん自身がひきこもりだったようで、自らの体験をもとに描いた作品とのことで納得しました。

ここから先、ネタバレもあります。

「カンクーントルネード」はひきこもりであった登美男が外に出られたのか出られなかったのか、結末を描いていませんでした。そのことについては私も感想を書いていて結末を描いていないからこそ、考えることが多かったように思いました。

もしも家から出られていたら?それとも出られていなかったら?

私が登美男だったら?それとも親だったら?

想定できる範疇を超えていて答えは出ませんでしたけど、物事を考えるうえで少しだけ視野が広がった気はしました。

岩井さんはインタビューで続編「ソトニデテミターノ」を執筆した動機のひとつとして「カンクーントルネードを観た人が結構な比率で“外に出られて良かった”と言うことに違和感を抱いた」と話しています。ひきこもりが外へ飛び出せたことは「良かった良かった」で終われることなのかについては私も疑問に思います。ここでいじめ問題を引き合いに出すのはどうかと思うんですけど、けど出しちゃいますけど、いじめ問題が発覚していじめっこが咎められてそこにいじめがなくなったとしても、いじめ問題は終わりじゃないじゃないですか。いじめられた方は「いじめなくなりました!はい、きれいに癒されましたー!」なんてならんのですよ。周りがあなたに非がないと言い続けたとしても、原因は自分にあったのではないかと思うし、また同じことが起こるのではないかという恐怖もあるし、新しい所へ飛び出す勇気が以前よりなくなると思うんです。ひきこもりが外へ出ることもおそらく簡単ではないし、出られたことは微かな変化でしかなく、そこから長い時間をかけて自らの身を置く場を構築していく果てしなき旅ですよ。ミスチルでいうところの終わりなき旅でしょうかね。

で、「カンクーントルネード」で外に出られたか出られなかったのか明かされなかった登美男が「ソトニデテミターノ」では引きこもり時代にお世話になった、引きこもりの自立支援センターのアシスタントとなって登場するのです。

 ひきこもり生活からひとまず脱出した登美男は、「出張お姉さん」の黒木と共に、現在引きこもりの人々に会いに行っている。そこで出会った、二人の引きこもり。暴力をもって親に接しているが、そこに他人が現れた瞬間、出来すぎなほどの社会性を発揮する、二十歳の太郎。「もし道端で他人に道を聞かれたらどういった態度で、どう返答すればいいいのか、その答えを探している」と、四十を過ぎて年金生活の父に養わせている和夫。なんとか二人を、引きこもりを外に出すための前段階としての「寮」に住まわせることに成功し、登美男はかつての引きこもり経験を元に、二人と打ち解けていくだが…。

太郎は自己中心的で自分がご飯を食べる時間に居間に親がいるだけで「なんでオレがご飯を食べる時間におまえらがいるのだ!」とか言っちゃうタイプで、いろんな意味で痛いなーと思ってみてました。自分が強く出られる相手にだけ横柄な態度をとり、物事が上手く進んだ時は自分の力だけで出来たと思いこんじゃう人ってどこにでもいるけれど、それです。本当は気が小さいところもあるんでしょうけど理解を得るのは難しいですね。対して、和夫は昨今話題になっている40歳を過ぎた引きこもりで、心配性の極みみたいなところがあり、ひとつの行動をするのにいくつもの想定されるパターンを考えないと気が済まない気難しい感じ。この二人は歳も離れているし性格が違うことが功を奏したのか、わりと仲良くていつもしどろもどろな支援センターアシスタントの登美男に「登美男さんみたいな人でも生きられるんだと思うとできるかなと思いますよ」と笑いながら話しかけたりします。

しばらくして、太郎と和夫は仕事に就くことになり、みんなで就職祝いパーティーなんてしちゃって華やかな雰囲気に背中を押されながら仕事へ行くんですよね、ふたりで。で、ですよ、ふたりは途中で別れてそれぞれの職場へ向かうんですけど、和夫は自殺するんですよ。ここで。どーんときます。

病気でもなんでも治りかけというか、少し体が動くようになった時がいちばん危ないって言いますよね。気持ちはついてきていない、けれど体は少し動くぞ?みたいな時のアンバランスさってなんだろうっていつも考えます。

世界のほとんどはイレギュラーであるし、考えすぎたって仕方ないと思うけれど、やっぱりぐるぐると考えてしまう。

「これから知ればいいじゃーん」と発する登美男の妹の声がリフレインする。

 そこで登美男が家から出て良かったのか?という疑問がまたよぎるんですけど、登美男は登美男なんですよね。誰でもなくて同じ人なんていなくて、誰でも思うままに動いたら良いんじゃないかと思うんですよね。行動のすべてに答えを探す必要性ってないんじゃないかな。

重いテーマでそんなに笑えないのかと問われるとそうでもなくて、春巻を作るのに、餃子の皮をはげ!っていうの意味わかんないし、それ春巻きの皮じゃなくて餃子の皮だし…なんてつっこんだりもしながら緩急のある話の展開を楽しみました。

うん、面白かったです。

役者さんも皆さん素晴らしいので、動きのひとつひとつ、間の取り方を見ていても飽きませんでした。

演劇の楽しさってこういう作品でも感じられると思います。

忙しい合間をぬって観に行って良かったです!

 

梅のど飴のようだった

f:id:bambi_eco1020:20180222212635j:plain

 

「飴をなめたのって本当に久しぶり」

お姉さんはもらったマスカット味の飴の袋の端にあるギザギザをきれいに縦に裂いた後、緑色をした飴を口に放り込んで言った。そういえば私もそんなに飴を舐めない。冬は喉がいがいがするからのど飴をなめるけれど、春から秋にかけてはあんまり口にしない。たまに飴を買ってもバッグの中に入れっぱなしにしてバッグのポケットをねちゃねちゃにさせてしまい、半分泣きながらふき取ることを繰り返した。だから夏場の飴は要注意でまず手を出さない。

冬場になめるのど飴はほぼ100%に近いくらいキシリクリスタルになった。もっと若い時はホールズだった。さらに若い高校生の頃はカンロの梅のど飴を持ち歩いていた記憶がある。しかもスティック状のものではなく、チャック付きで開閉できる大袋をである。梅のど飴はのどを労わるためではなく単純に味が好きだった。これを書いてて思い出したのだが、高校生の時にみんなが持ち歩いていた飴もそこそこ渋いチョイスだった。タミちゃんは純露だったし、トモちゃんは一里飴だったのだから。パッケージの可愛さとかそういうの本当にどうでもよくて今だったらインスタ映えないだろうと思った。

冬の日は肉まんでも買おうかとコンビニへ向かうと、コンビニの店長さんが「これ、新作だから食べて味を聞かせてよ」とまだ見たことない具がつまった肉まん(肉まん的なものの名称ってなんなの?)をタダで食べさせてくれたりした。私たちは遠慮なくいただいてビシバシとこれまた遠慮なく感想を述べた。女子高生の意見を企業が参考にしていたのはあの頃から変わっていないのかもしれない。

どこからともなく漂ってくる焼き鳥のにおいに耐えられなくなり、焼き鳥を食べながら歩いたこともある。数日後、卒業生から「セーラー服と焼き鳥は合わないと思うし、なんとはしたないことか!」と学校へ苦情が入ったがそれでもやめられなかった。セーラー服にほんのりついた焼き鳥のにおいを嗅ぎながらバスに揺られてうたた寝するのは最高に心地が良かった。

あの頃のほんのりした温かさをもう感じることはないけれど、あの頃に知らなかった温かさを今の私は知っている。

 

今日は猫の日らしい。先日、図書館で「わたしたちの猫」を借りた。ピンクの紙に書かれている恋に関する詩は梅のど飴のようだった。

 

人の心には一匹の猫がいて、そのもらい手を絶えず探している。

 

私の心の猫はどんな模様をしているのだろう。

 

 

 

くるり - その線は水平線

 

 

わたしたちの猫

わたしたちの猫

 

 

 

2018.2.14

塾の保護者会の場で「この時期は生徒以上に親が緊張していることが多い」と講師が言っていた。確かに私も息子の受験を控えているので、まったく緊張していないわけではないけれど、何に緊張するかは人によって少しずつ異なるような気がしている。私の緊張は自分の受験であればただがむしゃらに自分が勉強と向き合い、自信をつけることで緊張を和らげることができるけれど、こどもの受験は見守ることしかできないもどがしさからきているように思う。

ふと自分が高校受験をした頃を思い返して見た。私は自分の目的に向かってただただ進んでいた。三者面談で合格率が30%ぐらいと言われようと落ちる気がしていなかった。今となってはその自信はどこからきているのだ?あの時の私!!などと鼻で笑ってしまいそうになるのだけれど、私は自己暗示をかけていたのだと思う。これだけやっている私が落ちるわけはないだとかきっと1ヶ月後には笑っているんだとかそういうイメージしかなかった。母は「行きたいところがあるならそれが一番良いから」と言うだけでそれ以上のことは私には言わなかった。私を追い詰めるような発言をされなくて本当に助かったと思う。

保護者会では受験生に対する声掛けの良い例と悪い例にも触れていたが、特に目新しいことはなかった。過度な期待が本人には重くのしかかることもあるということをわかっていればそれだけでいい。私は良い例にも悪い例にも入らないようなことばかり話していて、息子には呆れられるのだが、むしろそれぐらいが良いよとも言われるのでこのままの私でいようと思う。

高校の頃、部活動でレギュラーになったとき、ベンチに入れなかった先輩から飛んでくる声は厳しかった。プレーに対する思いの他に、自身が試合に出られないもどかしさも一緒にぶつけてきていた。重い、重いと思いながらもたくさんかけられる声の中から私に対する期待の一筋を感じ取れるようになってからは最後まで諦めないと決めた。以後、ボールが床につくその瞬間まで諦めたことはなく、途中で諦めた者に対して行われる顧問のあつい指導を受けることはなかった。あがく。もがく。カッコ悪くてもジタバタしたらいい。

仮に結果が伴わなかったとしてもジタバタした者は次へのステップとして糧にすることができると思う。

 

夕方、なんだかオムライスが食べたくなった。

そういえばケチャップが足りないなぁと思い、スーパーへ寄ったらケチャップが特売だった。ついでにマッシュルームも安くなっていたので購入した。なんだか今日はツイているなと少し嬉しくなった。

チキンライスを作り、その上にとろけるチーズをのせ、またその上に卵を乗せる。久しぶりに作ったチーズオムライスはとっても美味しかった。「これはうまい!」と言ってくれた息子の言葉を小さなポケットに入れて持ち歩こうと思う。