昨日、息子が私に言った。
「2学期から授業妨害をしていた女の子は野村先生が怒ったら泣いたんだよ」って。
野村先生は背が高くひょろっとした若い男の先生で、いつもニコニコ温和な方である。怒ることもほぼなく、息子も「あの先生って怒ることがあるのかなぁ?」と口にするぐらいだった。
その野村先生が怒ったのである。
そして女の子は泣いた。
「野村先生、怒ったら思っていたよりこわかった」と息子は言った。
その場を見ていないので何とも言えないが、きっと怒り具合より、いつも見ない先生の姿が怖かったんじゃないのかなと思っている。
私は野村先生の感情が女の子にぶつかったんだと思っている。
別にふてくされてそのまま教室から出ていくことも出来るのに、出て行った先で泣くことも出来るのに、教室で泣いたことはそういうことなんじゃないかと思う。
今日、こちらの記事を読んだ。
ぜろすけさん主催の「短編小説の集い」に参加させて頂いたので、こちらもふむふむ、なるほど~と読んでいく中で、
感情さえ乗っかっていれば意外とめちゃくちゃな作品でも光って見える。逆に自分を誤魔化して表面をなぞるような作品には魂が見えてこない。
と書かれている部分があった。これって小説に限らず口から発する言葉もそうなんじゃないかなと思った。
感情のある言葉は綺麗でなくても心が動く。
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昨日、10月2日は私の父の誕生日であり、昨年、同居していた義祖母が亡くなった日でもある。1年って言うのは、短くて長い。ついこないだの事だったとも思うし、そこから長かったとも思う。倒れてその日に旅立つのは義父の時と同じで、感情が行き場を失い、彷徨っている間に葬儀が終わる。その後はぽかーんとした無の状態がしばらく続く。当時、私ははてなダイアリーでゆるゆるとした日記を書いて友達に見てもらっていた。
義祖母の葬儀を終え、ブログはなんだか書く気にはなれなかったが、1か月更新しないのも・・と思った私は、昔書いた文章をででんと貼り付けてごまかした。
それがこちら。
そして、義祖母の四十九日を終えてから、気分を変えようとはてなブログへ移行したのだった。
そこからのrestart。気持ちの切り替えが出来ればそれだけで良かったのだけど、私が手にしたものはそれより大きなモノだった。
友達へのお手紙日記がもっと多くの人に読まれると言うこと。それを意識したことにより、少しばかり文章が上手くなったんじゃないかなと思っている。
だけど、せっかくなのでもう少し、あともう少し伝えられるよう、私も「ことば」を考え、感情を表現したい。日々、精進。
※今週末行われるF1日本グランプリのテスト走行が本日ありました。
チラッと観てきたのですが、例年に比べて音が静かで驚きました。
会社へ戻り、「なんで?どうして?」とみんなに聞いた結果、「F1のエンジンは今年から『V型6気筒直噴ターボ』に統一され、 排出される騒音が大きく軽減された」ってことがわかりました。
うむ。前はうるさいと思っていたけど、これはこれでちょっと寂しいかな?