バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

4周年

8月21日は私たち家族にとっての記念日だった。

だが、夏季休暇明けに確認した仕事量が思った以上に膨大であったため、忙しさで記念日があったことすら忘れていた。気がついたのは翌日の22日であった。この記念日を覚えておくことはある意味重要であるが、忘れてしまうこともまた、平穏に時間が経過したことを示しており、喜ばしいことなのだと思う。

2020年8月21日に調停離婚が成立した。あれから毎年、この時期に私と子ども達の今までを振り返ることにしている。調停が成立した際、母から「とりあえず良かったね。けれどこの結果が正しかったのか、答えが出るのは数年後だから」と言われた。母が伝えたかったことはこの言葉がすべてだと思った。元配偶者がどういう人があったなどは問題ではなく、如何なる理由においても婚姻関係を継続できなかったことは夫婦双方の理解が行き届かなかった結果であり、それらは子ども達には何の責任もない。子どもたちは親の身勝手に巻き込まれているだけなのだ。

親権を私が持つことに調停で決定されても、その決定が子どもたちにとって最善であるかは誰にもわからない。親権を持つことは同時に責任を持つことである。また、子どもとともに過ごす機会を奪われた相手の心情も慮り、子どもたちを養育することでもある。

話し合いの過程を持てず、調停離婚を選択した私が相手の心情を慮るなどと発言することに違和感を持たれる方もいるのかもしれないが、相手は私とは一緒に居られないだけの話であって、私が相手の不幸を望んだことはない。私に近づかなければ構わないし、もっと言えば遠くで幸せであってほしいと願っている。

あれから4年。果たして子ども達に平穏な暮らしを持たせてあげているだろうか。

自問自答をし、また、子ども達にも今の心境を問う。息子は4月にこの家を出て一人暮らしをしている。彼はそつなく何でもこなすタイプなので、何も心配していない。息子が家を出てから彼のスマホに近況を問う電話をしたことは一度もない。また、彼から近況を問う電話がきたこともない。メッセージでいくつかやり取りし、生存確認をする程度でお互いに安心して暮らしている。娘は息子が家から出たことで伸び伸び生活に発車がかかっているように感じられる。彼女は好奇心旺盛なことに加え、即実行に移すタイプのため、私が巻き込まれることが多々あるのだが、好奇心を削ることほど生きる上での損害はないと思っているので一緒に巻き込まれてあげている。それが私にできる養育だと思っている。


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数日遅れたが記念日なのでケーキを買ってきた。

これはわたし達の「暮らし」と「心」の独立記念日だ。

ここからまたそれぞれが自身を振り返り、今までの生活を糧にし、新しいモノに手を伸ばしていくのだ。

 

✽✽✽

近くのあなたも遠くのあなたも私達を見守っていてください。私達に現状維持はないのでおそらく進化し続けるはずです。

 

800字

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目の前にあるはずの空気が揺れ、じっとりまとわりつくように湿っている。前日の雨の影響もあるのか、暑さが増すと同時に水分の質量も感じるようだ。

特に着地点を決めずに書き始める文章は何処にたどり着くかまったくわからないため、私は何を考えてこの文章を綴っているのかを更に考えてしまう。入れ子構造みたいに、箱の中の、そのまた中を探るみたいなそういう面白さがあるので、それはそれで嫌いではない。

どんどん箱を開け、中へ中へ進んいく。けれど、おそらく最後の箱を開けてもからっぽなのだろうと思う。何も生み出さない、思考のムダ遣いがある意味、贅沢な時間と言えよう。

書くことを特に用意していないのに、なぜこの文章を書いているのかと言うと、先ほどから娘が明日提出のエッセイが書けずに部屋をうろうろしているからである。「800字ならなんとかいけるでしょ」と言ったら「それならお母さんが書いて」と小学校低学年みたいな発言をし、急に幼さを醸し出してきた。宿題をすることはしないけれど、娘が文章を考えているあいだに私も800字くらいの駄文を書くことにした。

800字くらいの駄文であるならば、すぐに書ける程度には日々、「ことば」に触れていたいと思う。自分で限界を決めたらそこでストップしてしまうけれど、細々とでも続けていればどこかには辿り着くだろう。

数時間前、息子に内定通知が届いた。

別の企業から内々定は頂いてるのだが、先ほど内定を頂いた企業の方が本命に近いらしい。それは内定が来た時の声のトーンが物語っていた。明らかに声が煌めいていた。声に色があるならば、間違いなく暖色で熱を帯びた色だと思う。部屋を移動する足もどこか軽やかで、「喜び」は意識せずとも全身で表現してしまうものなのだと知った。

 

***

はい、ここまででぴったり800字です。

 

 


ミツメ - エスパー - YouTube

頼って生きて行きましょう。


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発売してすぐに『母親になって後悔してる』を購入した。この本には23人の後悔している母親の姿が綴られている。皆、それでも子どもを愛している。

子どもを産むと世間からは「母性のある正しい母親」を求められた。子どもを産んだからと言って、上手く立ち回れるわけではなく「そんな母親いないよ。失格だよ」と言われた。罵られたこともあった。果たして私にどこまで完璧な母を求めているのだろうと途方にくれた。上手く立ち回れないことは私自身が一番よく知っていた。

「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ばれることすら苦痛なこともあった。子どもが主体で私はそのお手伝いをする係のようにしか存在していないのではないかと思った。固有名詞で呼んでもらいたいと願った。けれど、生まれ育った場所ではない、友もいない土地で育児をする私にはそれが叶わなかった。果たして「わたし」はどこに消えてしまったのだろうと光の映らない瞳で空を見つめた。

あの頃、私自身を肯定してくれる誰かがいてくれれば良かったなと思う。手を差し伸べてくれ、声をかけてくれる人がいてくれればもう少し気楽に構えることができたのではないかと今は思っている。

 

『母親になって後悔してる』の訳者、鹿田昌美さんの講演会に参加した。

外で働き、家でも働き、睡眠時間も削られ、それでも育児がなってないと文句を言われる。母親ってだけでどれほど完璧でならないといけないのだろう。

今までなかなか口に出来なかった言葉たちが、発しても良い言葉として語られていく。

近年、生きづらさが多く語られる中で、人々は他人に発せなかった言葉たちを外へ向けるようになったと感じている。その中に「母親になって後悔してる」が含まれているのではないだろうか。

この本が発売されたことだけで救われた人もいると私は思っている。「そんなこと言っていいの?」と思いながら、わが身を振り返り、自分を少しだけ大事に出来るお母さんが増えたら良いなと願う。

講演会の後半で参加者の質問を読み上げる時間があった。現在進行形で育児をしているお母さんたちの切実な声に、あの頃の私を重ねた。

皆、よく頑張ってるよ。もういいよ。少し深呼吸しようか。

私は話を聞いてあげることくらいしか出来ないけれど、誰かに何かをぶちまけたいと思っている方がいればぶちまけて欲しい。

身近な存在ではないからこそ、聞いてあげられることもあると思うから。

あなたは弱くないから、頼って頼って頼りまくって生きて行きましょうね。

 

 

(本当に語りたいのよ!って方がいらっしゃいましたら、メール下さいね)

 

 

 

 

 

 


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