バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ちょっぴり後ろを振り向いて切なくなっても今日は過ぎ去る

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 歌を歌うのが好きだった。

好きなアニメが始まると、テレビの前を陣取り、大声で主題歌を歌った。振り付けをするのはあまり好きではなくて、とにかく歌うこと好きだった。親は「うるさい」とも言わず、好きなだけ歌わせてくれた。

小学校へ入学すると、音楽の時間に歌を歌える喜びを感じた。楽器を扱うのは得意ではなかったけれど、歌うことは好きだった。教科書に載っている曲はアニメソングとは違う歌い方になるので、それがまた面白いなぁと思ったのだ。当時、教会学校へ通っていたのだが、賛美歌もまた歌い方が違って楽しかった。「大学で歌を教えているんだ」と仰っていた夫婦が教会に通われていたため、クリスマス前には「もろびとこぞりて」などを丁寧に教えてもらった。

「ああ、そんな風に声を出すのか」

こどもながらに感心したのを覚えている。 

だが、小学校の高学年になると、音楽の授業で気持ち良く歌うことが出来なくなった。私が楽しく一生懸命歌うことを笑う人が現れたからだ。

高学年ぐらいになると、「一生懸命やることがダサい」と考える人が出始めた。そしてそれを口にすることで、集団心理が働き「一生懸命はダサいんだ」がクラス中を駆け巡ったのだ。

クラスも40人いればそのようなこととは無縁で過ごしている人も何人かはいたし、「音楽の時間に大きな声で歌を歌って何が悪いんだ」と思う自分もどこかにいた。けれど、指を差され、笑われながらも歌い続けられるほど、私の心は強くはなかった。

次第に音楽で歌を歌う時は口パクになった。

そしてまた笑われた。「今日は大きな声で歌わないの?」って。

結局、この人達は私を笑いたいのであって、私がどう行動しようと同じような態度をとるんだなと思ったらなんだか滑稽に思えてきた。

バカらしい。

バカらしいじゃないか。

けれど、心では泣いた。私はそこまで打たれ強くはない。

***

 小学校を卒業し、中学生になった私は、新品の制服に身を包み入学式へ向かった。その入学式で心を掴まれる出来事があった。中学生の先輩方が新入生の私達をハレルヤコーラスで迎えてくれたのだ。各パートに分かれ、英語で歌っていたため、何を言っているのかわからない部分もあったが、それでも素晴らしいと思った。全校生徒が歌を歌っていることに感動してしまったのである。

どうやら、私が進んだ中学校は合唱に力を入れているらしかった。そのことを知った私はスキップをするように心がぽわんぽわん弾んだ。

「歌に力を入れているってことは、好きなだけ歌を歌っていいということではないか!」

中学校の音楽の授業は必ず体操から始まった。体操と発声練習で15分ぐらい費やしていたように思う。つまり実質の歌を歌える時間は35分程度である。

「声を出す体操や発声練習をしなければ歌は歌えません」

毎回、そう言われたので、私は真面目に取り組んだ。

するとなんだか声が出やすくなった気がしたのだ。以前よりお腹から声を出すことは出来たけれど、腹式呼吸がかなりしっかり出来るようになったからであろう。歌のテストも決して上手ではないけれど、気持ち良く歌えた。3年生になってハレルヤコーラスのソプラノパートを歌い、新入生を迎えられたことも嬉しかった。

何より学校全体がそのような風潮なので歌うことがあまり恥ずかしくなかった。

私は恵まれているなぁと思った。

***

高校へ進学し、芸術科目は音楽を選択した。

高校の音楽の先生はぽっちゃりした温和そうな男性で、大学では声楽を専攻していたようだった。学期末になると、音楽準備室で先生と一対一での歌のテストが行われた。合唱部の子の歌声がドアの外まで漏れてきたのだが、とても上手くてため息が出た。

さあ、いよいよ私の順番だ。準備室のドアを開け、床に書かれたラインに立つ。先生は名前の確認と何部であるかを尋ねられた。部活動を聞くなんて変わった人だなという印象を持った。

テストの曲はモーツァルトの「春への憧れ」だった。日本語、ドイツ語、どちらで歌っても良いということだったので、私はドイツ語を選んだ。この歌はドイツ語で歌った方が気持ちが良いのだ。先生の伴奏に合わせて好きなように歌った。歌のテクニックなどはわからないので、とにかく自分が気持ち良くなるように歌った。

歌い終え、フゥと息を吐いた。先生は軽く頷いてから「バレー部でしたよね?」私に、再度問いかけた。私は「はい」とだけ答え、準備室を後にした。

全員が歌のテストを終え、ざわざわしているとバレー部のカスミが「なんかね、私が歌のテストで『バレー部です』って答えたら、先生が『バレー部には歌の上手い子がいますよね』って言ったんだ。誰だろうね?」と私に話しかけてきた。「へぇ〜、誰だろう?まいちゃんかな?」私も考えてみたけれど、特に思い浮かばなかった。

そんなことも忘れかけた1学期の終業式。成績表が手渡され、期待もせず開いてみて驚いた。私の音楽の成績が10段階で10だったのである。

「歌を歌うのは好きだけど、たいして上手くないのに何故だろう?」

疑問だけが頭の中を巡ったが、音楽の先生に会う機会もなかったのでそのまま夏休みに突入した。

2学期に入り、音楽の授業があった際、先生と話をする機会があった。そして言われたのだ。

「あなたは発声が出来てるのですが、合唱の経験があるのですか?」

「合唱を習ったことはありませんが、中学校の音楽の授業は体操から始めるような学校でした」

「そうですか。ではそこで学んだんですね。発声がちゃんと出来るまでが大変ですから。今から合唱部に来てもいいぐらいですよ」

この言葉を聞いた時、私は涙が出そうなくらい嬉しかった。ちょっと照れくさいが、歌うのが好きで良かったと思った。

***

私はなんだかんだ言っても恵まれていたように思う。歌うのが嫌になりかけたのに、合唱をする中学校へ入れて、高校で評価をしてもらえるなんて、そんな上手い話はそうそう転がっていないような気がする。けど、それは過ぎ去ったからそう思えるだけで、当時はいつも目の前のことでいっぱいだった。終わりが良かったからやや脚色された記憶になっているが、小学校の状態が続いたのなら私は歌が嫌いになっていたかも知れない。

なんでも紙一重だなと思う。自らの手で手繰り寄せられることもあるが、運命に身を委ねなければいけないこともある。「だから1日1日を大切にしましょう」なんてことを言うつもりはない。1日は身構えずに過ぎ去るからいいのだ。ちょっぴり後ろを振り向いて切なくなるぐらいがちょうどいい。

結局、何が言いたいかというと、儚い1日が感じられるブログを読むのが好きなんです。

後ろを向いて、もがいて、けれど1日が過ぎ去っていく。

そういう日常、良いですよね?

 

 


しまじろうのわお!(ペトロールズ) 『はの うた』 - YouTube

 

ペトロールズの「雨」を貼ろうかと思いましたが

「はの うた」ほど切ない歯の歌を聞いたことがないのでこちらにします。

良い曲だ♪