バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

どんな絵本を読んできた?

母が幼稚園教諭(のちに保育士)であったためか、家にはたくさんの絵本があった。毎日毎日本棚から絵本を取り出して読んだり、読み聞かせてをしてもらっていたので「思い出の絵本は?」と問われると逆にしばらく悩む羽目になった。

私にはとにかく何度も擦り切れるまで読んだ絵本は存在していない気がしている。好んで読む絵本はあったけれど、どれか1冊に定まることはなかったように思うのだ。インパクトのある絵本はその場面だけを覚えているし、楽しい絵本、悲しい絵本、いろいろ読んだけれど、コレ!という1冊を選べと言われるとなかなか難しい。

だけど、この際、悩むだけ悩んで考えて見よう!と頭を抱えながら数日を過ごし、なんとか2冊に絞ることができた。

せっかく頭を悩ませたのだから、ここで紹介しておくことにする。

 

1冊目は『げんきなマドレーヌ』だ。

 

げんきなマドレーヌ (世界傑作絵本シリーズ)

げんきなマドレーヌ (世界傑作絵本シリーズ)

 

 

『げんきなマドレーヌ』はパリの寄宿舎に12人の女の子が住んでいるお話なのだが「パリってどこ?寄宿舎って?」と冒頭からわからないこと続出で、幼き日の私はとても興味を持った。いちばん不思議で面白く感じたのはマドレーヌが盲腸になって入院した際、お見舞いに行った女の子たちに手術のキズを誇らしげに見せていたシーンだった。そのページを見るたびに「マドレーヌ、かっこいい!!」と目が釘付けになり、私も自分をこれだけ誇らしく思って生きたいと思った。みんなと違う部分があることを隠すわけでもなく、堂々と見せていたマドレーヌに強さを感じたのだ。

この絵本に出て来る先生、ミス・クラベルの何事にも動じない性格も好きであった。それはすべての子を受け入れてくれているようにも思えたのだ。

パリの美しい街並みを描いている絵も好きだし、「2れつになって、パンをたべ、2れつになって、はをみがき、2れつになって、やすみました」というリズムの文章も好きだった。

そして、この絵本を眠る前に母に読んでもらうのが好きだった。

 

2冊目は『ひみつのかいだん』である。

 

ひみつのかいだん (講談社の翻訳絵本シリーズ―のばらの村のものがたり)
 

 

うちにはジル・バークレムの「のばらの村のものがたり」シリーズはすべてあったと記憶しているけれど、その中でも「ひみつのかいだん」が一番好きだった。ジル・バークレムの絵本はとにかく絵が細部まで描かれていてとても美しい。こんな家に住んでみたい!から始まり、ねずみ達の可愛らしさにやられてしまう。私はねずみ達と友達になっておうちに招待してもらいたいと本気で思っていた。

「ひみつのかいだん」は冬至まつりで詩を朗読するための練習場所を探していたねずみが隠れ扉をみつけ、その先にひみつの階段を見つけるという設定で、美しい絵だけにとどまらず、先に何があるのかというどきどきわくわく感に惹きこまれた。

穏やかな心で読めるこの絵本は部屋の隅でひとりで読むのが好きだった。

窓から日が差し込むと、絵がさらに美しく輝いて見えた。

 

***

そんなふうに懐かしき絵本と景色を思い浮かべるに至ったのは「どんな絵本を読んできた?」を読んだからである。表紙に描かれたこうの史代さんの絵が可愛くて手に取ったのだが、内容はちょっとした絵本ブックガイドのようである。57人の著名人がそれぞれ思い出の絵本について語っており、1つのエピソードが短いため少しずつ読んでいくこともできる本に仕上がっている。中には同じ絵本についてのエピソードもあったが、絵本を読んだ思いと背景は、同じ絵本を読んでいても人によって異なっているのが面白かった。

その中でも一番最後に書かれている柴田元幸さんの「どんな絵本も読んできてません」に考えるものがあった。幼い頃に絵本に触れる機会が少なかった人もいるということを忘れてはいけない。絵本に限らず本に触れる機会が少なかった人ももちろんいるのだろう。

絵本はこどもだけのものではなく、大人が読んでも楽しくて面白いものなので、今からでもぜひ読んでほしいと思う。

絵本売り場でちょっとだけ手に取ってみるとか、図書館でインスピレーションで選んだ絵本を何冊か読んでみるぐらいの軽い気持ちで良いと思う。

 

気楽に読書。

絵本にはそのような魅力もあると私は思っている。

  

どんな絵本を読んできた?

どんな絵本を読んできた?

 

 

 

 

今週のお題「読書の秋」

そろそろ歩いてぱーっと走る

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モノを捨てるのが苦手だ。

もしかしたら使えるかも?もしかしたらまだ着るかも?

裁縫もたいしてしないくせに、もしかしたらリメイクできるかも?

もしかしたら……は恐ろしい魔法のようにずっと頭の中をぐるぐる回っている。

でも、ほとんどの場合、結局「もしかしたら」の時はやってこない。

 

私はモノを捨てるのが苦手だけど、捨てると決めたらとことん捨ててしまう。

こどもの頃からそうだった。母に「モノが多いから少し片づけなさい」と言われ、最初は嫌々始めるのだけれど、スイッチが入るとがんがん捨ててしまい「え?それも捨てちゃうの?」と驚かれた。

本当は、押し入れや物入れが四次元ポケットのようにいくらでも収納できるならば、私は捨てたくはないのだ。耳が取れかかっているうさぎのぬいぐるみだって、角がちょっとだけ黄ばんだカードだって、押しても音がならなくなったおもちゃだって私には大事だった。宝物だった。ずっと上手につきあっていきたかった。

でも、いつかは離れなくてはいけないし、これ以上傷を負う姿を見るのも心が痛いので、自ら別れを告げることを決断した瞬間、私は動き出す。

「えこは慎重で大胆だよねー」

今まで何度友達に言われただろうか。物事を決めるまではうじうじしていて、一歩がとてつもなく小さい。石橋を何度叩いて歩いてるの!ってなぐらいトントコトントコ叩きながらそろそろ歩く。けれど、ある時突然、周りの景色も見えないくらいパーッと駆け出してしまうのだ。

私は臆病だから動き出せないだけだし、大丈夫と思っていてももどこかで怖いし、周りの景色を見たくないから駆け足しているだけなのだ。

それが友達には慎重で大胆に映るのかもしれないと思った。

 

不安をとりのぞくための表現が相手には伝わらないこともある。

過度に期待してしまい、がっかり度が増したこともある。

それでも私は進んで行く。

周りの目を気にするばかりでは疲れてしまうし、何より私が楽しくないから。

 

ぜったいにおしちゃダメ? ダメよ?ダメだよ?

こどもは繰り返し遊びが大好きである。

大人にとっては「えー、まだやるの?」と思わず言ってしまうくらい過酷な状況になることもあるけれど、それでもこどもは繰り返し遊んでは、また、けたけた笑う。

 

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『ぜったいに おしちゃダメ?』を読んだ。

表紙をみてわかるように、あの赤いボタンをおしちゃダメなのだ。

でも「ダメ」と言われれば押してみたいし、むしろ、ダチョウ倶楽部ノリで「ダメっていうんだから逆に押せってことじゃ?」と勘繰りたくもなってくる。

押しちゃダメなボタン。

ただえさえ、押したくてしょうがないところに、ラリーという紫色のモンスターがあらわれ「ほれほれ、押してみな?」と誘惑してくる。

ラリーのナビゲートに従って、次々にページを進めていくと、ああ、そうか、そんなことになるのねと思わずくすくす笑ってしまう。

単純明快でありながら、読んであげる大人がこどもとともに楽しめる絵本なのではないかと思った。

あー、この本を一番けらけら笑ってくれるのはきっと幼児ぐらいなんだろうなー。

そう思うと、幼児年齢ぐらいのこどもが欲しくなってしまった。

こどもの反応も含めて楽しみながら一緒に読みたいなって思える絵本って貴重!

 

 

表紙のボタン、触り心地も良いので本屋でみかけたら、ぜひ押してみて下さいな☆

 

 

 

ぜったいに おしちゃダメ?

ぜったいに おしちゃダメ?