バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

自由に本が読めるので。

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現在、放送されている「越路吹雪物語」を見ている。越路吹雪に興味があるわけでも出演者に興味があるわけでもなかったが、前クールの「トットちゃん!」の流れで今回も見始めたら思ったより面白くて毎日楽しみにしている。私は月丘夢路役の早織さんの雰囲気が好きなのだけれど、主演の瀧本美織さんの愛らしさもいいなと思っている。ストーリーから宝塚の華やかな雰囲気は感じられるが、会ったこともない人と結婚しなければいけない八重子の姿や戦時中の様子が時代を物語っている。先日の放送で、宝塚が発行している「歌劇」という雑誌の編集者、時子の家へ越路吹雪遊びにいくという場面があった。時子の家にはたくさんの本があるのだが、それらのほとんどは書棚ではなく押し入れの中に並べられていた。「なんで押し入れの中なの?」と問う吹雪に「特高警察に目をつけられても……まあ、変わった本はないんですけどね」と時子が答えていた。まだドラマはこの先も続くのだが、戦時中の娯楽には自由がないと思った。

今、佐藤亜紀の『スウィングしなけりゃ意味がない』を読んでいる。舞台が1940年代のナチス政権化のドイツで敵性音楽とされるジャズに夢中になる少年達の話だ。まだ途中までしか読んでいないけれど、戦時中の自由がどれほどあるかを感じるには越路吹雪物語と重なるところもあると思った。

それから前に読んだピエルドメニコ・バッカラリオの『コミック密売人』も思い出した。コミック密売人は1989年、独裁政権下のハンガリーが舞台で制限されていたアメコミを売りさばいていた少年の話だ。

自由を制限されるとどうにか抜け道を探して自由を求める。誰でもそうだろう。

私は生活の中で多少の我慢はあれど、読む本は制限されていない。読みたい本があったらどれでも手に取り、自由に読むことができる。

これほどの喜びってあるのだろうか。

自由の中にいると、自由であることすら忘れてしまう。制限されてはじめて「あの時は自由だった」と気づく。この先不安なことはいくらでもあるけれど、自由に本を読み、自由に動き回れる今を大切に思いながら楽しく過ごしたい。

がはははー!と笑って寝て本を読んで明日からも生きる!

 

 

スウィングしなけりゃ意味がない

スウィングしなけりゃ意味がない

 

 

 

コミック密売人 (STAMP BOOKS)

コミック密売人 (STAMP BOOKS)

 

 

 

私はそれでも生きている。

いつも会社を出てから駐車場まで歩くのだけれど、こないだまでは真っ暗で道路を通る車にはねられないように気をつけながら端っこを歩いていたのが、いつの間にか帰る時間も周りが見渡せるくらい明るくなっていた。1年を通して1番寒いのは今頃だと思うけど(雪も降るし)、冬至は12月だもんなぁなどとそのアンバランスさがなんだかおかしくて笑った。

こないだ動物園の話をしていて三重県なんてちょいと夜に山の方へ行けば野生の鹿は見放題だし、野ウサギだってぴょんぴょんしているわーと言ったら「え?会社のまわりも野ウサギいるよ?」と言われて驚いた。何年も勤めているのに私はまだ野ウサギには遭遇していない。これはちっちゃな楽しみができたと思った。

毎日、いかに快適に過ごせるかを見つけることに力を注いでいて、他のことにはあんまり関心がない。というか毎日眠いのでずっと寝ていたい。冬眠したい。

私はこどもがいても私の大事なものを削ることはしておらず、年に数回ライブへ行ったり舞台を見たりしている。自分がこどもだった時の記憶も含めて思うのだが、こどもにとってなんでも出来すぎる親というのは少々窮屈に感じることってあるんじゃないだろうか。ダメなところもあって、それでもなんとか生きていて、あれあれちょっと楽しそうかもーぐらいがリラックスできて良いように感じるのだ。

「もうー、お母さんは!」

などという言葉を息子や娘からよく言われる。私はこども達と笑って過ごしたい。どれだけ賢くあろうとも毎日ホッとできる場がないと崩れていくような気がしている。親は子を養育する義務はあるけれどその立場を利用して子どもの意見をないがしろにしてはいけないと思う。私は間違ったこともするのでこどもにも謝っている。

「さっきは言い過ぎたと思う。そこまで言うこともなかったのにごめんなさい」

塾へ行った息子にメールを送ったら返信はなかったけれど、迎えに行ったときはいつもどおりだった。私は大人であって母親であるけれどよく間違う。息子も娘もよくわかっている。

学校の話も友達の話もこちらが話をふらずとも語ってくれることが嬉しいと思いながら夕飯を食べる。ささやかな時間はいつまでも続かない。小さな時間は大きな時間で知らぬ間に過ぎ去ることを私は知っている。

 

 

受験シーズン

週末は息子の私立高校入試だった。公立志望のため、いわゆるすべり止めってやつなのだが、すべり止めもすべったら…などと少しだけ思ってしまった。たぶん、大丈夫だと思うけど。

私が育った地域は私立高校がたくさんあって自分の学力に合わせた学校を受ければ良かったけれど、この辺りは少し違う。学校数自体が少ないため、1つの学校がかなりの数の生徒を受け入れられるように頭の良い子クラスからちょっと勉強得意じゃないよクラスまで設けているのだ。ざっくりいうと一番成績の良いクラスと一番下のクラスでは偏差値で20ぐらい違う。だから学校名を述べただけでは賢いのはどうかは判断できない。地域が違うとこんなに条件が違うのだな、へぇ~などと、のんきに思っていたけれど、試験当日の人の多さに驚いた。そうだよな、これだけ幅広く受け入れると受験生は多いわなと雪が降る中で思った。

試験が終わる頃、車で迎えに行き、指定の駐車場で待機していた。何人かの保護者は生徒がすぐに気づくようにと車から降りて駐車場の入り口まで歩いていた。私は車の中で待っていた。ふと考えた。同じ条件で息子ではなく娘の迎えだったら私は入り口まで歩いているだろうなと。娘と息子は当たり前だけれど性格が違う。息子は自分で目的物を探すことに優れており、車の色や形を頼りに効率よく探していくことも得意なので、下手に私が動かない方がスムーズに事が進むと判断した。結果、息子は迷いもなく私の車を見つけ、乗り込んできた。

「入口まで迎えに行っている人もいたけれど私はあえて行かなかったよ」

「それで正解」

息子とのやりとりにふふっと笑いながらも「これが娘だったら私は迎えに行ってるよ」と話した。娘は非日常の場面では焦って判断が鈍くなる可能性が高い。落ち着けばなんの問題もないのに、ただ闇雲に動くことになり、しまいには車を探し当ててもひとりで怒っている場面まで容易に想像出来てしまった。そのことを息子に話したら笑いながら「わかる」と言った。きょうだいに差をつけることはないが、対応は個々によって異なることを理解してくれていると本当に助かると思った。

「あの高校のエレベーターは三菱でトイレはINAXだったよ。チャイムの音がPanasonicというかnational系だよね」

試験の出来について語るよりも先に息子がいつもの調子で話をし出したのでウフフと声に出して笑った。

高校受験も通過点でしかないのなら、ひとつでも楽しみがあった方が良いように思う。

まだまだ先は長いよ。

これから楽しいこと、たくさんあるよ。