バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

私はそれでも生きている。

いつも会社を出てから駐車場まで歩くのだけれど、こないだまでは真っ暗で道路を通る車にはねられないように気をつけながら端っこを歩いていたのが、いつの間にか帰る時間も周りが見渡せるくらい明るくなっていた。1年を通して1番寒いのは今頃だと思うけど(雪も降るし)、冬至は12月だもんなぁなどとそのアンバランスさがなんだかおかしくて笑った。

こないだ動物園の話をしていて三重県なんてちょいと夜に山の方へ行けば野生の鹿は見放題だし、野ウサギだってぴょんぴょんしているわーと言ったら「え?会社のまわりも野ウサギいるよ?」と言われて驚いた。何年も勤めているのに私はまだ野ウサギには遭遇していない。これはちっちゃな楽しみができたと思った。

毎日、いかに快適に過ごせるかを見つけることに力を注いでいて、他のことにはあんまり関心がない。というか毎日眠いのでずっと寝ていたい。冬眠したい。

私はこどもがいても私の大事なものを削ることはしておらず、年に数回ライブへ行ったり舞台を見たりしている。自分がこどもだった時の記憶も含めて思うのだが、こどもにとってなんでも出来すぎる親というのは少々窮屈に感じることってあるんじゃないだろうか。ダメなところもあって、それでもなんとか生きていて、あれあれちょっと楽しそうかもーぐらいがリラックスできて良いように感じるのだ。

「もうー、お母さんは!」

などという言葉を息子や娘からよく言われる。私はこども達と笑って過ごしたい。どれだけ賢くあろうとも毎日ホッとできる場がないと崩れていくような気がしている。親は子を養育する義務はあるけれどその立場を利用して子どもの意見をないがしろにしてはいけないと思う。私は間違ったこともするのでこどもにも謝っている。

「さっきは言い過ぎたと思う。そこまで言うこともなかったのにごめんなさい」

塾へ行った息子にメールを送ったら返信はなかったけれど、迎えに行ったときはいつもどおりだった。私は大人であって母親であるけれどよく間違う。息子も娘もよくわかっている。

学校の話も友達の話もこちらが話をふらずとも語ってくれることが嬉しいと思いながら夕飯を食べる。ささやかな時間はいつまでも続かない。小さな時間は大きな時間で知らぬ間に過ぎ去ることを私は知っている。