バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

毎秒新しくなっていくんだ!

七夕も過ぎてしまった。

日付は変わっていくけれど、気持ちはあまり更新されず焦りを感じている。

とは言っても、上がったり下がったりしながらなんとか食らいついて生きてるのでご心配なく。


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ブックオフ大学ぶらぶら学部』を読んだ。面白かったー。私はがっつりブックオフに染まった時代はないけれど、わかるところもあるし、読み物としてとても楽しかった。サクサク読めるので今の私にちょうど良かった。

画像、本の横にあるタムくんステッカーは頂きモノ。

「えこさんにぴったりのステッカーが!あったので!」

私に送ってくれると話していた書類とともに送られてきた。

ありがとうございます。

お言葉どおり、私は毎秒毎秒新しくなっていくので見届けよ!(声を震わせながら)

 

さて。

ブックオフ大学ぶらぶら学部』を読んだ人はもれなく全員ブックオフへ足を運ぶ病を発症すると思うのだが、例にもれず、私も発症したので行ってきた。

行ったら何かを購入してしまう病も同時に発症。


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ええやん。すべて210円だから。

パトリック・ネスの「怪物はささやく」は何年か前に読んで良いなって思ったので迷わず買ってきた。

絵本の棚も見たかったけど、ずっと何かを探してる人がいたので今回はパス。ちなみにビームは出していなかった。

 

そうそう。

以前に「シャリキン(酒)をスマック(炭酸飲料)で割るとおいしい」って記事を書いたことがあるのだけど、その記事をこちらで紹介してくれてます。

https://kango-oshigoto.jp/media/article/3024/

雑記オブ雑記ブログなのに、目を留めてくれてありがとうと思いました!

 

ひとつ前の記事とテンションが違い過ぎるあたり、雑記オブ雑記の醍醐味よね。

ってごまかしながら、今日は終わり!

 

 


https://youtu.be/gHsUaS9r5R8

 

結婚された方もいて、めでたいので。

 

『髪の長いオバケが

あなたに恋をしたとしても

その手を掴んで二度と離さないわ』

 

 

家族の在り方

先日、Twitterでも呟いたが、調停を開始した。昨年、別居してからどうしていくのが良いのかを頭が痛くなるくらい考えた。

家を出る前に「出ていくならすぐに調停をする」と書かれた書面をもらっていたため、相手がそうするなら流れに乗るしかないとは思っていた。だが、一向に申し立てられることはなく、こちらから動くこととなった。協議も考えたりしたが、今後のことを考えると調停の方がなあなあにならずに物事がひとつずつ明確になっていく気がしたのでこちらを選択した。

自分ですべてを判断すると、偏った考えになるので、息子と話したり、法律事務所へ相談にも行った。相談は2ヶ所伺った。慎重に進めるために弁護士の考え方、自分との相性をさまざまな角度から考えた。

依頼した弁護士との相性はとても良いと思っている。私が意図することをくみ取ってくれることや、経験と知識からよりベターな方向を導きだし、それを説明してくれることなどが信頼に値する。また、待ち時間などは雑談にも応じてくれ、リラックスすることができた。

弁護士に依頼することはお金のかかることである。依頼する前は私の知識を補完するため、お金はかかっても専門の人に任せたい思いが強かったが、いざ始まってみると、弁護士は知識うんぬんだけではなく、不安な気持ちを和らげてくれ、とても心強い存在なのだと身をもって理解した。

まだはじまったばかりで、今後どうなっていくのかはわからない。けれど、お互いにとってより良い方向へ進めたら良いと思っている。

いつも子どもたちが安心した生活を送れるように頑張ろうと思っている。だが、思いが空回りして、体調を崩すこともある。

「お母さんはすぐ気持ちが落ちちゃうんだから~」

娘は呆れながらも楽しくなるような話をしてくれる。息子は静かに自分のやるべきことをこなしてくれる。

何でもないことで笑い合い、時々言い合いをする日常が、ふとした瞬間に尊いものに感じる。

当たり前のことだけど、家族であっても性格や考え方は違う。だが、そこで、自分の意のように操ったり、見捨てることなく、お互いを理解し合う姿勢を持てていることに安心する。

それは綺麗事だとおもうけれど、綺麗事の中におさまるうちはそこで楽しく暮らしていたいと思う。

 

 

20200619 ~流れるままに

手に力が入らないことがたびたびある。

極度の不安からきているのではないかと推測しているが、心の在り方がどうにもわからず、もやもやした日々を送っている。

「行動すること」がいちばんの近道だと数ヵ月前に心を決め、動き出した。だが、世の中の動きと合致せず、決めた心がゆらゆら揺らいでしまい、現状に至っている。

一度、揺らいだ心を立て直すことは、容易ではないのだなと身をもって感じた。

 

先日、教会へ行った。

娘が「行きたい」と言ったのがきっかけなのだが、私は幼少期に教会へ通っていたし、加えて、知人の牧師がいる教会を選んだのでそこまでハードルの高いことではなかった。

それでも新しい場へ赴くことが苦手なため、目的の教会が近づくに連れて緊張していた。入り口がどこかもわからずにくるくるしてしまったが、入ってみると妙に落ち着くことができた。おそらく、教会は違えど、私はこの空気を知っているからなのだと思った。長椅子に腰かけて礼拝前の雰囲気を久しぶりに感じた。窓から入ってくる風が気持ち良かった。オルガンの音も心を落ち着けてくれた。「主の祈り」は何年も口にしていなかったのに、口から勝手に言葉が飛び出していった。牧師の説教は時に緊張し、時ににやにやしながら聞いていた。

話しかけて下さる方の穏やかな声のトーンが優しかった。

 

春夏秋冬の順番を変えることができないように抗うことのできない流れはある。自分の手でどうにもならないことは、流れるままでいてもいいのだろう。そこでじたばたしても手足に傷を作るだけなのだろう。

ただ、季節の順番が変わったら面白いよなぁと願ったり、思うことは自由だ。

 

何度も心を立て直すことを繰り返している。とても苦しく、先が見えないのだが、一筋の希望があるとするならば毎回がゼロからの出発ではないように感じることだ。

イメージとしては、ブロックで組み立てた家を誤って壊してしまったときに似ている。全部のピースがばらばらになることは少なく、たいていは土台であったり、家のどこかの部分は繋がった状態からもう一度作り直すことができる。また、出来上がったカタチを思い描けるため、改善することもできる。

 

不器用なのだから、ゆっくりやっていこう。

基盤となる生活を見つめていこう。

「私らしさ」を取り戻すために、行動することを恐れないで進んでいきたい。

動くことは怖いけれど、何も変わらずにこの場に留まることはもっと怖いことなのだと理解しているのだから。