バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ツイードに恋して

まだインターネットで情報を得ることのできなかった高校生の頃、Oliveに載っていた東京のお洋服SHOPマップを眺めるのが好きだった。当時は埼玉に住んでいたため、東京はそんなに遠くはなかったけれど、部活動が忙しく(詳しくはスポ根カテゴリ参照)なかなか休みがなかったのだ。たまに休みの日があっても疲れきった体をずっと横たえているだけで買い物へ行く気力がわかなかった。そういう意味では私はあまりにも部活動にたいして真面目過ぎた。手を抜く加減がわからなかった。というより、今も良くわかっておらず、やり過ぎてしまうことがある。

そんなわけで洋服屋さんへ行きたい欲求ばかりずんずん大きくなり、ついに「行ってやるぞー!」って気持ちがMAX達した。

「疲れなど知らん!知らん!私は行くのだ!」

 私はSHOPマップを開き、横にぺらっと取り出したルーズリーフをおいた。そしてマップを眺めながらルーズリーフに地図を描き始めた。買い物へ行くならそのSHOPマップを切り取って持っていけばいいじゃん!とか思ったあなたはまだまだわかっていない。当日を最高の日にするためにはまずは旅のしおりから書けと昔の人は言っていたではないか。

私は気持ちを高めるべく、一軒ずつ場所を頭に叩き込みながら地図を描いた。この時間は至福の時だった。

当日、自ら描いた地図を折り畳んでバッグに忍ばせた。目指すは原宿。原宿と言っても原宿で降り、明治通りを歩いて渋谷へ向かう計画だ。当時から「地図を読める女」として定評のあった私は道を1本くらい間違えることはあっても迷子になることはないのだ。

地図は何度も眺めていたため、ほとんど頭に入っていた。不安になった時だけバッグの中でかさっと地図を開き確かめる程度に。決してバッグからは出さない。そんな田舎者丸出しの行為だけは止めようと心に決めていた。一軒、また一軒と目当てのSHOPへ入るたび、心が踊った。次のSHOPに入ったとき、見覚えのある人がお店の中にいた。それは同じクラスの千秋ちゃんだった。まさか東京のこんなおしゃれスポットで同じクラスの子に会うとは想像もしなかった。千秋ちゃんはゴリゴリのパンクファッションで首と手首にトゲトゲしたアクセサリーをつけていた。千秋ちゃんのセーラー服姿しか知らない私は「かっけーー!」と思いながら声をかけられないでいたが、千秋ちゃんが私に気がついてくれ「わー、こんなところで会うとは思わなかった!こんなお店にも来るんだね!」と話しかけてきた。なんだか私もテンションが上がってしまい、二人でしばらく話をして別れた。

後日、私が学校でOliveを読んでいることを知った千秋ちゃんは度々「Olive貸してー」と来るようになった。新作のお菓子を食べながら、洋服の話をしてたまに音楽の話をする、他愛もない女子高生時代を過ごした。

 

最近、あの頃読んでいたファッション雑誌から知らぬ間に数々のファッション用語を知識として得ているのだと気がついた。娘が洋服の素材やスタイルなどの質問をしてきたとき、答えられることが多かったのだ。

なんだかそれが心地良い懐かしさをつれてきた。

 

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私が好きな素材を語るにあたってツイードは外せない。ツイードの織り目に何度心ときめいただろう。色の組み合わせによってまったく異質のものに見えることもあり、とても面白い。

先日、UNIQLO×INES DE LA FRESSANGEのツイードセットアップを購入した。おいおい、ユニクロさん。これは良いものですよ。生地の厚さと形がいいし、裏に地味にあるステッチもいい。というか、着ている人が楽しくなるお洋服は何でも良いものだと思う。

 

良すぎて、原宿行った話から書いてしまったよね。

そんな日もある。

 


「君のうた」 haruka nakamura / MV by 上野千蔵 - YouTube

集中する

夏期休暇明け。

昨夜、仕事のことを考えていたらなかなか眠りにつけず、ようやく眠りについたと思ったら酷い生理痛であまりにも痛くて真夜中に起きた。薬を飲んだけれど、また眠れなくて結局、頭がぼやっとしたまま朝になった。

それでも休み明けの忙しさはやってくる。8時前から17時までトイレ以外の休憩なしで働きマンになっていた。時々、とんでもない集中力を発揮するなあと自分でも思う。

こどもの頃から時折、集中力についてはほめられた。でも、ここぞ!ってならないとやらないのでなかなかその出番はやってこない。

いちばん集中力を発揮したのはバレーボールを上手くなりたかった時かもしれない。

セッターが変わったときに、その人のクセとタイミングがわからなくて焦ったことがある。あまりにも焦ったので他の人がスパイクを打っているとき、セッターの動きにあわせて毎回助走に入る練習をしていた。他の人にどう思われようと毎日やった。いつもそうやって積み重ねて生きている。高校を卒業し、OG会へ行ったとき、顧問にちょっとした愚痴をこぼしたら「なに言っているんだ。お前は一生懸命やるところが良いんじゃないか」って言われた。中学生の頃に通っていた塾の塾長にも「どうしたら、そうやって頑張れるんだ?」と言われた。

問われるたび、考える。

導き出した答えは、私が私に納得したいからだった。自分の限界を決めるのも自分であるなら、どこまでできるのか決めるのも自分だとずっと思っている。


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さっぱりしたものが食べたくて、鶏むね肉にネギ胡麻だれをかけてみた。何かのレシピを参考にしてタレを作ろうとも思ったけど、面倒になったので自分の舌を信じることにした。そういう時は「適当に作った」とこどもに言うのだけど、こども達は「お母さんが適当に作ったと言うときはたいてい美味しい」っていつも言う。むしろ「適当」との言葉が入ると当たり!みたいなテンションで笑う。

まあ、美味しく食べれくれるならいいかな。

 

 


クラムボン「Re-雲ゆき」(Official Music Video) - YouTube

クラムボンの中でも好きな曲。

歌詞がとてもとても好き。

 

 

傍観者


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昨日は『本の会』があったので参加した。出かけることや人が集まることが制限される中で会を開くのは、決断と勇気が必要なんじゃないかと思うので、主催者には感謝している。

いつも参加される人と話す楽しみ、新しい人と関わる楽しみもあるけれど、それらが少しずつ融合され、違った色に染まっていく過程を眺めているときがいちばん楽しいと感じる。今回は青っぽいイメージ。過去の長い歴史や宇宙、コンプレックスや食べることがすべて頭の中の川に流れていく。だから青っぽいイメージ。

ここで出会わなければ、ただすれ違うだけであったと思われる人の考えに触れるのは、街中に数多の思いが動いていることを想像させる。


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今日は、いつも『本の会』でお会いしている久保舎己さんの木版画展を観に行った。ギャラリーに足を踏み入れたとき、たまたま私ひとりだったので、深呼吸をしてひとつひとつをゆっくり鑑賞した。戦争は何も日本に限ったことではなく、常にその芽は世界のどこかで広がっていこうとしている。自分にできることはあるのだろうかと多くの人は思うだろうし、私自身もよく考える。

 

私が小学5年生だった頃、ある男の子(Sくん)がHくんに対し、気絶をさせるゲームをしたりいじめをしていたことが明るみになった。

私はその2人と5年生のクラスは別であったが、4年生の時に同じクラスだった。先生はこれは4年生の頃から継続されたいじめだと話した。そういえば、4年生の頃、男子が教室の後ろの方でプロレスごっこをしていた。多くの子はHくんが笑っていたこともあり、ふざけているだけだと思っていたが、そもそもHくんはやりたくなくて、あれこそがいじめの芽だったのだと、その時理解した。

4年生の頃同じクラスであった者は先生から全員作文を書くように言われた。Sくんと一緒になってHくんに対し、攻撃的な態度を取った者、それを知っていて囃し立てていた者、それからその行動を特に何の気にも留めていなかった傍観者。私は明らかなる傍観者だった。今思えば、いじめを直視したことがなく、気づくのは難しかったこともあるように思うのだが、先生は「気づかなかった者の責任も大きい」と話した。

私はそれまで成績表に「真面目」という単語が絶対に出てくるような児童だったため、このときのショックは心臓が止まるかと思ったぐらい大きかった。私は加害者と同等であるのか。どうすれば良かったのか。私は先生から「気づかなかった者の責任も大きい」と言われたあとの休み時間にふらふらとトイレに行き、個室で泣いていた。何にたいして泣いているのかよくわからなくなっていても、泣いていた。私の過失がどれほどなのかわからないけれど、同じ教室で苦しみを持った人がいたことを知らずに平穏に過ごしていたことは事実であることは理解した。

傍観者であった児童のうち多くは、自分の責任はそこまで重くないと捉え、とりあえずの作文を書いたようだった。

私はとても真剣にそのことに向き合った。先生は「あとで発表するようなことはしないから、自分の思いを正直に書きなさい」と言っていたので、私が思うすべてのことを書いた。

翌日、先生は名前は伏せるけれど、皆に聞いて欲しい作文があると原稿用紙を持って読み始めた。

私の作文だった。

先生は時折、涙声で言葉が詰まりそうになりながら作文を読んでいた。とても良い文だと言った。

私の心はなくなった。

私が向き合ったものは人に読まれるべきものではなかったのだと思った。何も考えていない、原稿用紙のマスを埋めるだけで良いと思えた子に何が届くのだろうと思っていた。

だが、あとからその作文で何かの思いを持ってくれた子がいたと先生から言われた。

「発表しない」と言った先生の言葉が本当ではなかったことを私は今でも許せていないし、飲み込むつもりもない。けれど、小さな言葉でも誰かに届くことがあることを知った。

だから自分はちっぽけではあるけれど、何もできないとは思っていない。いつも自分にできることは何かを考え、生活の中でできることからするようにしている。

もしかしたら方向性が違っていたりすることもあるだろう。それでも歩みを止めなければ、遠回りでも進んで行けるのではないだろうか。今、こうして文章を書いていることも私ができる「何か」だと思っている。

 

 


銀杏BOYZ - GOD SAVE THE わーるど (Music Video) - YouTube