バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

傍観者


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昨日は『本の会』があったので参加した。出かけることや人が集まることが制限される中で会を開くのは、決断と勇気が必要なんじゃないかと思うので、主催者には感謝している。

いつも参加される人と話す楽しみ、新しい人と関わる楽しみもあるけれど、それらが少しずつ融合され、違った色に染まっていく過程を眺めているときがいちばん楽しいと感じる。今回は青っぽいイメージ。過去の長い歴史や宇宙、コンプレックスや食べることがすべて頭の中の川に流れていく。だから青っぽいイメージ。

ここで出会わなければ、ただすれ違うだけであったと思われる人の考えに触れるのは、街中に数多の思いが動いていることを想像させる。


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今日は、いつも『本の会』でお会いしている久保舎己さんの木版画展を観に行った。ギャラリーに足を踏み入れたとき、たまたま私ひとりだったので、深呼吸をしてひとつひとつをゆっくり鑑賞した。戦争は何も日本に限ったことではなく、常にその芽は世界のどこかで広がっていこうとしている。自分にできることはあるのだろうかと多くの人は思うだろうし、私自身もよく考える。

 

私が小学5年生だった頃、ある男の子(Sくん)がHくんに対し、気絶をさせるゲームをしたりいじめをしていたことが明るみになった。

私はその2人と5年生のクラスは別であったが、4年生の時に同じクラスだった。先生はこれは4年生の頃から継続されたいじめだと話した。そういえば、4年生の頃、男子が教室の後ろの方でプロレスごっこをしていた。多くの子はHくんが笑っていたこともあり、ふざけているだけだと思っていたが、そもそもHくんはやりたくなくて、あれこそがいじめの芽だったのだと、その時理解した。

4年生の頃同じクラスであった者は先生から全員作文を書くように言われた。Sくんと一緒になってHくんに対し、攻撃的な態度を取った者、それを知っていて囃し立てていた者、それからその行動を特に何の気にも留めていなかった傍観者。私は明らかなる傍観者だった。今思えば、いじめを直視したことがなく、気づくのは難しかったこともあるように思うのだが、先生は「気づかなかった者の責任も大きい」と話した。

私はそれまで成績表に「真面目」という単語が絶対に出てくるような児童だったため、このときのショックは心臓が止まるかと思ったぐらい大きかった。私は加害者と同等であるのか。どうすれば良かったのか。私は先生から「気づかなかった者の責任も大きい」と言われたあとの休み時間にふらふらとトイレに行き、個室で泣いていた。何にたいして泣いているのかよくわからなくなっていても、泣いていた。私の過失がどれほどなのかわからないけれど、同じ教室で苦しみを持った人がいたことを知らずに平穏に過ごしていたことは事実であることは理解した。

傍観者であった児童のうち多くは、自分の責任はそこまで重くないと捉え、とりあえずの作文を書いたようだった。

私はとても真剣にそのことに向き合った。先生は「あとで発表するようなことはしないから、自分の思いを正直に書きなさい」と言っていたので、私が思うすべてのことを書いた。

翌日、先生は名前は伏せるけれど、皆に聞いて欲しい作文があると原稿用紙を持って読み始めた。

私の作文だった。

先生は時折、涙声で言葉が詰まりそうになりながら作文を読んでいた。とても良い文だと言った。

私の心はなくなった。

私が向き合ったものは人に読まれるべきものではなかったのだと思った。何も考えていない、原稿用紙のマスを埋めるだけで良いと思えた子に何が届くのだろうと思っていた。

だが、あとからその作文で何かの思いを持ってくれた子がいたと先生から言われた。

「発表しない」と言った先生の言葉が本当ではなかったことを私は今でも許せていないし、飲み込むつもりもない。けれど、小さな言葉でも誰かに届くことがあることを知った。

だから自分はちっぽけではあるけれど、何もできないとは思っていない。いつも自分にできることは何かを考え、生活の中でできることからするようにしている。

もしかしたら方向性が違っていたりすることもあるだろう。それでも歩みを止めなければ、遠回りでも進んで行けるのではないだろうか。今、こうして文章を書いていることも私ができる「何か」だと思っている。

 

 


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