2学期が始まって3週間以上が過ぎ、夏休みも遠い昔のことと感じられるようになった。
夏休みに、ぐでぐで生活を送っていた子ども達が、すぐに学校生活に馴染むのかしら?と言う心配の他に、息子、娘のそれぞれが1学期に体験した事や感じた事の影響はないのか?が私の一番の心配事であった。
現段階では特に問題ないと言ったところのようだ。
娘は1学期の終わりの方まで、幾度か学校へ行きたがらない日があり、私が一緒に登校したりもしていたが、2学期に入ってからはそう言ったことも全くなくなった。元気に「いってきまーす!」とおかっぱ頭の上のちょんまげを揺らしながら玄関を飛び出して行く。
洗濯物を干しながら「いってらっしゃい」と送り出せることは何と幸せなことだろう。
いざこざのあったお友達とは席替えでだいぶ離れた席になったこともあり、今はあまり関わりがないようだ。小学1年生の娘の世界では席替えも大きな出来事であり、それにより交友関係も変わってくる。娘が話してくれる学校生活の様子を質問を入れながら聞いていると、少しだけその世界が見える気がする。気がする…ではいけないのかも知れないけれど、知ろうとする事を止めてはならないと思う。
息子はと言うと、運動会の練習で組体操があり、なかなか苦戦している。だが、それは運動が苦手だという理由からであり、他児童との関わりの中での摩擦はないようだ。「◯◯菌扱い」のいじめは短期間であったが、それは接触を拒むものであり、組体操のような肌が触れる競技がどうなのかを担任は少なからず懸念していた。だが、その心配は杞憂に過ぎなかったようだ。
一先ず、良い方向へ進んでいて少しだけ安堵した。
息子には学校での様子を時折質問している。万が一、いじめの矛先が息子から他の子へ変わっていないように。そう言ったものは見えづらいのだとは思うけれど、見える部分であるならばそれを見過ごす事は出来ない。
息子の話の中で、2学期に入ってから大きく変化した女の子がいることがわかった。その女の子は、1学期はごくごく普通の子だったようなのだが、2学期に入ってから授業妨害をするようになったらしい。授業中歩き回る、教室から出て行く、担任への暴言…そんなところのようだ。その度に授業が中断されるため、「毎時間、校長や他の先生が授業観に来るんだよ」と息子は言った。
そして、今日、その女の子が今後、国語と算数はクラスとは別で授業を受けることになったと聞いた。
夏休みがどう女の子を変えたのだろう。もしかしたら背景には夏休みとは全く関係のない複雑な事情があるのかも知れないが、私にそれを知る術はない。
誰でも起こり得ること。心は体の変化のように見えやすいものではない。
今週末、娘にとっては初めての、息子にとっては最後の、小学校の運動会が行われる。
私はそれを眺めて何を思うのだろう。
娘や息子だけではなく、他の子ども達を見て何を感じるのであろう。
少しだけ複雑な思いもあるけれど、私はとても楽しみにしている。