先日、息子のいじめについてのブログを書きましたが、私は以前にこんなブログ記事も書いています。
これは私が子どもの時に体験したことの話であり、記憶の中にあるのはあくまでも「こども目線」での私だと思って下さい。
当時、私は先生が良かれと思ってされた行動に不満がありました。
それはきっと先生にとっては気にも留めないことだったのでしょう。
今回、私が息子のことを書いた時に「息子の気持ちはどうなのか?」と思われた方もいらっしゃったと思います。
それは近くにいる私でも「どうなのだろう?」としか答えることが出来ません。
なぜなら、私は息子ではないからです。
推測としてこうではないか?と思うこともありますが、それは私の想像でしかありません。
「ね、こうでしょ?こうなんでしょ?だからこうして欲しいよね」
と自分勝手に気持ちを押し付ける訳にもいきませんし、見えているつもりでも本人なりに様々な思いを巡らせていると思うのです。当時の私のように。
ですが、寄り添うことはしたいと思っています。SOSを出されたのならそれを逃さずにいたいと思っていますし、日常の変化にも出来るだけ気づけたらと思っています。
私が思う「優しさ」は、弱ったり困っている時に慰めたり相手が安らぐ言葉を投げかけるだけではありません。
当事者が自分を顧みつつ、前を見て進めるように、自分自身の力で進めるように出来るだけ手助けすること。
時には厳しい言葉も入るかも知れません。
でもそれが気づきとなれば、ステップになれば良いのではないかと思っています。
私は息子ではないし、息子も私ではありません。
親子ではあるけれども、お互い違う人生を歩むのです。
こういう想像はしたくはないのですが、仮に自分が先立つことがあるとした時に、そこに残された子ども達が出来るだけ前を見て進めること。
それはいつもどこかで意識しています。
まあ、そう思っているだけで実際にどうなるかはわからないんですけどね。
***
そんな事を思いながら、また今日も過ぎ去っていく。
「ほら、もう起きないとラジオ体操間に合わないよ!」
「ねぇ!洋服脱ぎっぱなしだから片付けて!」
「夏休みだからってダラダラとゲームばっかりしてちゃダメだからねー」
・・・私は今日もブレずに騒々しい。
あ、いや、もうちょっと静かにしようと思っているんですけどねぇ。
こればっかりは、なかなか難しいですね。。
↓はなこさんが書いたこちらの内容と同じ思いですよ。
私はこの子を幸せにすることは出来ない。 - はなこのブログ。