仕事をしている人の手に惹かれるようになったのはいつ頃からか考えてみたのだけど、おそらく国鉄時代の駅員さんがハサミを器用に操り、硬い切符を次々にパチンパチンと切っていた時のような気がする。
母が東京へ買い物へ行くとき、私も度々連れて行ってもらった。母が切符を買っている横で私はいつも改札口にいる駅員さんをボヤッと眺めていた。やや暇そうな面持ちで手にしたハサミをカチカチと動かしていた駅員さんは私が切符を差し出すと目線を下に向け、持っていたハサミでパチンと小気味よい音を立てながら切ってくれたのだった。長方形の硬い切符にできたハサミのあとは、触るとでこぼこしていて気持ちが良かった。ずっと触っていたかったけれど、切符を手で持っているとなくしまいそうだったので、私はバッグに切符をしまった。電車に揺られ、外の景色を眺めながら、時折、バッグの中に手を入れ切符を触るのが好きだった。
東京に着くと母は書店へ向かった。母の目的は専門書なので、私はいつも専門書の階をふらふらしながら、その中でも面白そうなものを見つけて歩いた。変わった表紙やタイトルの本は中身がわからなくても手に取ってみたりしていた。だが、私の手には大きすぎて重たいといつも思っていたのだった。
母は用事がすむとたいてい喫茶店へ連れて行ってくれた。私は小学校の低学年頃まではいつもフルーツパフェを頼んでいた。むしろ、フルーツパフェを食べることが私が東京へついて行く一番の目的だった。地元では滅多に食べないフルーツのたくさん乗ったフルーツパフェはとても豪華で、「これが、東京か!」と幼心に思ったものである。あるとき、ふと、フルーツパフェじゃないものを頼んでみたくなった。メニューを隅から隅まで眺め、私が選んだのはレモンスカッシュだった。
「フルーツパフェじゃなくていいの?」
母は私に問いかけたが、私のその時の気分はレモンスカッシュだった。とはいっても、レモンスカッシュを飲んだことがあるわけではなく「レモン味の飴も好きだし、炭酸も好きだし、上に赤いサクランボも乗ってるから嫌いなわけない!」という私の勝手な思いからだった。運ばれてきたレモンスカッシュはものすごく薄い黄色で、レモンの輪切りと赤いサクランボが乗っかっていた。私はストローに軽く手を添え、すぅっと薄い黄色の液体を吸い込んだ。
おいしかった。
炭酸のしゅわしゅわとともにやってくる酸っぱさが目が覚めるようではあったけれど、おいしいと思った。半分ぐらい飲んだところでサクランボを口に入れた。サクランボを食べた後に飲むレモンスカッシュは一口目よりもっともっと酸っぱかった。
それからは喫茶店へいくたび、レモンスカッシュを頼んだ。何度か頼んでいるうちに気がついたのだが、レモンスカッシュの味は喫茶店によってびっくりするくらい違っていた。私がはじめてレモンスカッシュを飲んだ喫茶店は甘さも酸っぱさもちょうどよかったけれど、別の喫茶店は甘すぎたり、まったく甘くなかったりした。サクランボやレモンが乗っているか否かも店によって違っていた。私が好きなレモンスカッシュの味を求めるのはなかなか難しく(お供で東京へ行っているので選ぶ権利もあまりない)、レモンスカッシュは好きだけどなかなか困ったものだと思った。
「そうだ、自分でレモンスカッシュを作ろう!」
ある日、そう思った。
インターネットのある時代ではなかったので、私は自分が飲んだレモンスカッシュから推測される材料をスーパーへ買いに行った。レモンと炭酸水とサクランボの缶詰。砂糖は家にあるから買わなかった。サクランボは私が思うレモンスカシュには必ず必要なアイテムだった。
帰宅後、早速レモンスカッシュ作りに取りかかった。まずはレモンを半分に切り、絞り器の上でぐいっと回した。レモンの果汁がじゅわじゅわ出てきて、目がしょぼしょぼした。残りの半分のレモンを少しだけ切って、レモンの輪切りも作った。次は食器棚から一番格好の良いグラス持ってきた。グラスにレモンの絞り汁を入れてから、砂糖を入れ、炭酸水をゆっくり注いだ。マドラーで軽く混ぜ、一口飲んでみた。すっぱくて、甘くなくて全然おいしくなかった。大失敗だ。母に失敗した話をしたら「砂糖じゃなくてこれをいれたら?」とガムシロップを渡された。再チャレンジ。さっきは絞ったレモン汁を全部入れたけど、酸っぱすぎたので少しずつ調整していくことにした。そこにガムシロップ。そして炭酸水をゆっくり注ぎ、マドラーでくるくると混ぜた。一口飲んでみると、さっきより美味しかった。レモンの輪切りと真っ赤なサクランボを上に乗せ、上機嫌でレモンスカッシュを飲み干した。
しばらくの間、私はレモンスカッシュづくりにハマった。レモンの絞り汁、ガムシロップ、炭酸水の量を調整しつつ、私が好きな味に近づけた。だが、初めて作った頃と比べればだいぶ美味しく作れるようになったとは思ったけど、あの、喫茶店の味にはならないなと思った。だから、「きっと喫茶店のレモンスカッシュは特別な何かが入っているのだ」という結論に至ったのだった。
今でもあの喫茶店のレモンスカッシュには何が入っていたのか気になることがある。けれど、本当は特に変わったものは入っていなかったのかもしれないと大人になってからは思ったりもしている。
あの場所で、あの空気の中で飲んだレモンスカッシュだから特別な味がしたのではないか、そう考えると私はほんの少し体があたたかくなったような気がして嬉しくなるのだ。
記憶は不確かであり、もう同じ味を味わうことはなく、甘くないのも甘すぎたのもすべて思い出へと変わっていった。
また、レモンスカッシュを作ろうかな。