こどもの頃、自分より年下の子に慕われることが多かった。
遠い親戚にしぃちゃんという女の子がいた。間柄は遠いのだけれど、家が3つ隣の町とわりと近かったため、年に数回会うことがあった。はじめて会った時はお互いに様子を伺って親の後ろに隠れながら相手をちらちら見ていた。しぃちゃんは一人っ子で大人しそうな雰囲気に見えた。
数回会ってもまだお互いに距離を取っていた。私の立場からすると5歳年下のしぃちゃんに話しかけて仲良くすればよいのだろうけど、私は自ら話しかけにいくことを得意としていなかったし、今までもわざわざ距離を縮めにいかなくても横に座って仲良くできる子がいると知っていたからだ。
気が合えば何もせずとも近づける。無理して距離を縮めることを私は好まなかった。
はじめて会ってから1年もすると、しぃちゃんは私についてくるようになった。多くの言葉を発することはなかったけれど、ただついてくるのだ。まるで後追いをするこどものようだった。あまりにもついてくるので私は時々鬱陶しく思っていた。表向きは仲良くしていたが、気持ちのどこかにある「鬱陶しい」がいつも私を苦しめた。しぃちゃんがほどほどに距離を取ってくれないのは私より5歳も年下であるのだから仕方のないことであった。わかっていた。だけど、そう理解すればするほど気持ちとの乖離にまた苦しくなるのだった。
しばらくするとしぃちゃんは遊びに来なくなった。母に尋ねてみたら県外へ引っ越しをしたとのことだった。
引っ越しの理由はしぃちゃんのお母さんが亡くなったことと関係していた。私がはじめてしぃちゃんにあった時、しぃちゃんには優しそうなお母さんいた。だが、あとから思い返してみれば、しぃちゃんのお母さんをみたのは1、2度しかなかったことに気づいた。しぃちゃんのお母さんは精神的に不安定で治療をしていたが、ある日、電車に飛び込んで命を落としたのである。亡くなった直後はばたばたしていたようだったが、少し落ち着いたため引っ越しをしたらしい。
しぃちゃんのお母さんが亡くなった経緯を親達の会話で薄々知ってはいたけれど、私には現実的に捉えられなかったためかその部分の記憶が欠落していたようだった。さらに思い返してみると、しぃちゃんがあまりにもしつこくついてきたのはその頃だったように思う。私は自分がどうしていいかわからなかったのだ。それほど近しい間柄でもないしぃちゃんとの接し方がわからなかったのだ。考えることをやめたい、逃げたい、その先にあった「鬱陶しい」であったことに今更ながらに気づいたのである。
自分にとって都合の悪い記憶を排除した事実にやや気分が重くなりながらも、それが私であると納得せざるを得なかった。
なぜ、それらのことを突然思い出したのかというと、角田光代の「笹の舟で海を渡る」を読んだからである。
過去の記憶を辿った時に私は美化するというより、蓋をして見なかったことにしていることが多いように思ったのだ。何かのきっかけでまた蓋を開けてしまうこともあるだろうけど、私はそんな自分も受け入れて次へ進んで行けるだろうか。
弱さを見せることも強さだと笑い飛ばせるだろうか。
世の中は理不尽にできている。幸せを願っても幸せが遠い人もいる。でも本当の幸せがなにかなんて誰もわからないんじゃないだろうか。私は何かわからないものを掴もうとして必死になり、ひとりで勝手に苦しくなっているだけではないだろうか。
自分の身に降りかかっていないことは想像力である程度カバーできると思っていたけれど、現実は想像を遥かに越えていく。私が見たものをここに記しておきたいと思うのは自分への慰めであり、自己満足でしかないのだと思う。