バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読みましたが、感想ではなく思い出話を書きました。

私が住んでいた街のデパートより小規模の商業施設の屋上でヒーローショーが行われるというチラシが新聞に挟まれて家に届いた。兄が「行きたい!行きたい!」と親にせがんだため、私も共にヒーローショーへ行くことになった。

商業施設の屋上は3分の1程度がゲームセンターになっており、私には慣れた場所だった。よく綿菓子を作って食べた。10円を投入するとザラメがでてくるので、私はケースから取り出したわりばしをぐるぐる回して糸くずのような綿菓子のこどもをわりばしにひっつけることに夢中になった。出来上がった綿菓子は屋台にあるような立派なものではなかったが、それでも十分美味しかった。

ヒーローショーが行われる日は屋上にたくさんの親子が集まっていた。ヒーローに会える期待でこども達はテンション高めで熱気に満ち溢れていた。まもなく、ショーが始まった。テレビの中でしか会ったことがなかったヒーローが目の前で動いている興奮が手伝い、皆がヒーローの名を呼んでいた。私はこどもであったが、それらをわりと冷静に見ていた。しばらくして悪者が登場し、ヒーローショーど定番の会場の子が悪者に連れ去られる場面がやってきた。悪者が誰にしようかなと会場を見渡していた時に私はややパニックになり「こんなの聞いてない。どうしよう」と、親の後ろに隠れた。だって、悪者だ。こわいに決まってるじゃないか。それなのに大人は全力でこどもを守る訳でもなく、にこにこしながら笑っている。どういうことなのだろう。いつも優しい私の母でさえ、私を守ってくれている感じには見えなかった。

ステージでは私ではない子どもが悪者に連れ去られ、ヒーローが悪者を撃退していた。みんながヒーローを褒めたたえていた。私はそれ以外にできることがあったのではないかと思うと、みんなの笑顔が不思議でならなかった。

 

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寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読んだ。

大阪市近郊にある暁町。閉店が決まった「あかつきマーケット」のマスコット・あかつきんが突然失踪した。かと思いきや、町のあちこちに出没し、人助けをしているという。いったいなぜ――? さまざまな葛藤を抱えながら今日も頑張る人たちに寄りそう、心にやさしい明かりをともす13の物語。

あかつきマーケットに関わる人を中心とした連作短編集だ。私はこの本を少しずつ、1ヶ月かけて読んだ。もしかしたら少しずつ読むのが正解であったのかもしれないと思うほど、本を読み続ける毎日は穏やかで私の心はあかつきんを探していた。

同じ場にいたとしても他の人の心はわからない。同じものを見ていたとしても同様のことが言える。だから私は相手の気持ちを知った気になるのだけはよそうと思っている。相手が苦しいと言えば、私がたいしたことないと思っても苦しいのだと思う。相手が嬉しいと言う時は私も一緒に嬉しい気持ちになりたいと思う。どれだけの年月生きてもそれだけは守りたいのだ。

はるなさんの文章はさらさら流れるように読めるのに、ハッと思わされる一文がそこかしこに散らばっていて、さながら砂浜に落ちている貝殻のようだ。ちょっぴり目に涙を浮かべてしまった一文もあった。それは読んでいるその時の私の心とシンクロしたためであった。きっと1年後に読んだら私は涙を浮かべるどころかけらけら笑っていることだろう。

内容にはあえて触れない。

皆が散らばっている貝殻をみつけたらいい。

そして貝殻を耳にあててみたらいい。

 

夜が暗いとはかぎらない

夜が暗いとはかぎらない