朝、夫が6時30分ぐらいには家を出るので 6時前に起きてお弁当を作り始める。
その時間はまだ暗くて外は闇の中だ。
子どもたちが起きてきて7時を過ぎると私は洗濯物を干し始める。
外に出るとひんやりとした空気が頬に当たり、空にはもう太陽が出て明るくなっていた。
スズメが電線に止まっているのを横目で見ながら空を眺めた。
そしたら思い出したんだ。
「どんなに忙しい時でも、季節を感じられる心のゆとりは持っていたい」
多少は感じられたけど、もっと五感をフルに使ってちゃんとつかまないと入ってこない。
でも絶対逃がさないんだ。
バタバタしながら上の子を送り出し、下の子を保育所へ送っていく。
保育所では必ず明るく挨拶をしようと決めている。
先生にも、子どもにも、お母さんたちにも。
そうすると子どもがニッコリと笑ってちゃんと 「いってらっしゃい」って言ってくれる気がするんだ。
保育所から一歩出ると私は「○○ちゃんのお母さん」という肩書から一端離れ一人の「個」として動き出す。
それが私にとってはとても重要で自分がそこにいること、 そこにいる意味をゆっくりと考えられる。
車で1人、長い道を走っているとそれはどこまで続いているんだろうと思う。
きっとあの先にはまだ見えない何かがあって、 私はそれをずっと探し続けるんだ。
ここで止まってる訳には行かない。
小さくても必ず進んで行かなければいけない。
心が高鳴る時も弾む時もざわめく時も乱れる時も。
延々それを続けた時に知らぬ間に手に入れる物があるのだろう。
それがきっと自分が探していた物なんだと思う。
*
数年前に書いたのが出てきた。探し物はまだ見つからない。