会社で毎日たくさんの電話に出る。といっても大きな会社じゃないので、私が取っている電話の数は三桁まではいかないだろう。それでもまあ、それなりの数の電話に出ている。
夕方。電話が鳴ったのでいつものように受話器を取った。
「…佐藤ですけど」
若い女の人の声だった。女の人は声を発するまでに一拍の間を置いた。こちらを窺うようなやや緊張した声を聞いた時、私はこの電話をかけてきた人が誰かわかった。
「あ、もしかしてマリちゃん?」
私の問いかけに「そ、そうです、そうです。」と受話器から明るい声が響いてきた。
マリちゃんは私の勤めている会社で働いている佐藤さんの娘さんである。マリちゃんは高校生で滅多に会社に電話をかけてくることはない。前に私がマリちゃんからの電話を取ったのはおそらく5年以上前だと思う。私はマリちゃんと会ったことが数回しかなく、声もわからないぐらいなのに、なぜか電話を取った時に「あ、これはマリちゃんだ」と思った。
会社にかかってくる電話はお客様であることも多いのに、私は「あ、もしかしてマリちゃん?」なんてよく言えたもんだなとあとから思った。でも、なぜか、これはマリちゃんだってわかったのだ。
たまにそういうことがある。
不思議だなって思う。
***
『指差すことができない』を読んだ。
その中に「うるさい動物」という詩があるのだが一部抜粋する。
わたしは絶えずおしゃべりしながら歩行する動物である
私の見た光景はわたしにしか語ることができないのではない
あなたの見た光景はあなたにしか語ることできないのではない
言葉は嘘つきで夢見がちだ
臆病で出たがりだ
理想ばかり立派で何にも出来ない
言葉は何の力も持っていない
言葉にできることは何にもない
だから、言葉を信じるな
言葉だけに頼ってはいけないなって思う。
でも、言葉に助けられる時もあるとは思うので「信じるな」は私には強すぎる。
「過信しない」ぐらいに留めて心のどっかに置いておこうとは思うけれど。