バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20210412


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ひたすらメール応対をしていたら、1日が終わっていた。

夕方。18時を回っても外が闇に包まれていないことにふと気がつく。年が明けてからずっと仕事中は気を張っていて、緩めかたがわからないでいる。生きるのが相変わらず下手っぴだなって思う。

 

ベランダに出て、洗濯物を干すときの空気が気持ち良い。ちょっとひんやりしていて、なんとなくやさしい。そういえば、洗濯物を干すピンチハンガーを買いかえなくちゃ。

隣の部屋に先月から新しいひとが入居していて、話し声が聞こえてくる。男のひとの低音が響くので、どんな人が暮らしているのかなって思っていたら、ドアがガチャリと開いたので挨拶したら女のひとだった。女のひとも男のひともいるらしい。ぼそぼそ聞こえる声を不快に思うことはなく、気配を感じることで何処か安心している私がいる。

そういえば、久しぶりに洋服を予約した。年齢相応の服ってあるのかもしれないけれど、私はどこかに色がある着こなしが好きなので、いつまでもシンプルにはなれない。

赤い靴。

黄色いスカート。

グリーンカーディガン。

どれも惹かれてしまうし、色がある方が私は元気になれるのだ。

自分のご機嫌は自分でとらないと。

誰かに期待することなんてもう、ないかもしれない。

 

 

 


Predawn / Deadwood [Live@明日館 20/02/23] 期間限定公開 - YouTube

「ささやか」


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毎日必死に生きている。

力を抜こうとするのだけれど、やり方がわからなくなっているようだ。とりあえず、楽しいことをしなければ!と、毎週映画を観ている。行くのは決まって朝の早い回。映画を観終えて帰っても、子どもたちと過ごす時間が持てるから。

子どもたちと特に何かをするわけではなくても、同じ空間で呼吸をしていることだけで安心することがある。

おなかを膨らませてへこませる。

素早く動く指、くしゃみをする前に歪む顔、何を観ているのか突然笑いだして、こちらが可笑しくなってくることもある。

 

そんなささやかな日々は脆くて薄い硝子のようだと思う。向こう側が鮮明に見えるくらい薄い膜のような硝子を、私は両手のひらでそっと包む。

 

 

先日、養育費が指定日より遅れて振り込まれていた。指定日までに振込がないだけで、心がぐらりと揺れる。怒りではなく、残念な思いがもやもやと身体中を覆うような気分になるのだ。「子どものための養育費」と「私へ向ける感情」が未だに切り離せていないのだろうかと要らぬことを推測し、うまく眠りにつくことができなかった。その後、振込みがされていて安心したのだが、そのときに自分でもバカみたいだなって思う感情がいきなり顔を出してきた。

「ああ、振込みができるのなら、あの人は元気でいるのだな」

そう思ったのだった。

自分へ悪意を持っている人の健康を気にしている自分にやや呆れてしまったが、紛れもない私の感情であるし、きっと、このままの私で良いのだと思う。

だって私はそういう人間なのだから。

 

桜は咲いてあっという間に散っていった。

落ちていく花びらがダンスをしているかのように優雅に舞いながらアスファルトに着地した。

 

 


ハナレグミ - 「発光帯」 Music Video - YouTube

 

 

つまらない住宅地のすべての家

つまらない住宅地のすべての家

  • 作者:津村 記久子
  • 発売日: 2021/03/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

津村記久子さんの『つまらない住宅地のすべての家』がとても良かった。

序盤は登場人物が多く、住宅地図と照らし合わせながら、読んでいたけれど、途中からぐいぐいのめり込んでしまった。

ささやかな関わりとやさしさから気持ちがほぐれることはあるのだと思えた。

 

 

20200308


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忙しさを言い訳にして。

言葉を紡いでいなかった。

 

平日はずっと仕事のことを考えている。もう少しラクになるかと思ったが、人は伝えやすい(長くいるからピンと来るのが早いだけ)者に、何でも頼んでくるのだなと思う。許容を超えると判断し、断ると不機嫌になるような人はもう少し周りを見た方が良いし、自分のご機嫌を取るように努めたらいい。

笑ってる方がやりやすいことってあると思う。

 

昔、チャット部屋で、ただ流れていく文字を眺めていたことがある。話をしたかったわけではない。そのとき、無気力だった私と同じ時間を過ごしている誰かを感じたかっただけだ。人がせかせか動くように、文字が次々と書きこまれていく。人数が10人を越えると誰と誰が話しているのかもよくわからなくなってくる。

私はざわついた教室にいるような気分になって、ちょっぴり安心できたのだった。

 

人が出会うのは、ほんの少し肩がぶつかったようなものだと表現する人がいた。実際、そうなのだろう。それでもたまたま同じ場所に存在し、肩がぶつかるくらいの距離まで来られたのなら、場合によってはがんがん肩をぶつけて腕組んで踊っても良いのではないかと思っている。もちろん、相手次第ではあるけれど私は楽しく暮らしたいのだ。

 

ひとりで動くのも好きなので、最近はたくさん映画を観ている。映画を観るのはひとりの方が好きかもしれない。

 

1月2月は気を張っていたのでとても疲れた。ずっと昼抜き1日2食生活が続いてるけれど(集中しすぎて昼食を食べるタイミングを逃すのです)、帰宅時間が遅くなり過ぎないように気をつけているのでなんとかなっている。

私の心を支えてくれるモノを大事にしながら、ぼちぼちやっていくことにする。

 

 


畠山美由紀 「わが美しき故郷よ」(2011.11.17 LIVE "Fragile" ver.) PV - YouTube

 

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

『推し、燃ゆ』読んだ。軽快でサクサク読めるのに、なんだろう。不思議な感覚がのこっている。