バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

知らないことが多すぎて

1年のうち、ケーキを食べる日は家族それぞれの誕生日とクリスマスで、あとは入学などの祝いごとだけだった。そこに2年前から「独立記念日」(離婚成立日)が増え、ケーキを食べる日になった。2年目にしてなかなか子どもと一緒に買いに行けず、独立記念日から20日も経過したのち、やっとケーキを買えた。


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子どもたちが「自分で選びたい!」と言うから一緒に買いに行ったけれど、ここから何年これが続けられるのだろうと思う。あと1年半で学生生活を終える息子はその後、どうなっていくのだろう。

私の実家のルール(というより、亡き祖母が決めたようだが)では、25歳になると家から出ないといけないらしい。私は25歳で結婚してしまったために、長いこと知らずにいたが、兄は実家から出されたのだと言う。そして従兄妹たちも。

そのルールに乗っ取るとあと5年ちょっとで息子が出ていく。

「うち出たら、埼玉の祖母のところに行くわ!」

息子の言葉に、え?それって家から出たことになるの?と返したら、私の母が「いいよー、おいでー」と許可したらしい。

随分ゆるいルールだったようだ。

私の実家は、そういうゆるい空気に包まれている。


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子どもの頃から、から揚げが大好きで定期的に作りたくなる。お肉は鶏がいちばん好きで、次は豚と牛が同じくらい。とにかく鶏。値段的にも味もレパートリーも鶏が好み。

そろそろ鶏むね肉のストックがなくなるので買いに行かないといけない。家計におけるエンゲル係数を減らしていかないと、教育費で圧迫され、教育に押しつぶされそうだ。教育費はなんとか係数とかあるのかしら?

学校費用、塾費用、その他参考書、試験代など、いったい1年で幾らになるか怖くて計算したくない。

ひとり親家庭が捻出できる教育費について考えることが増えたのだが、本当のところ、ひとり親ではなく、世帯収入が多いにも関わらず、何某かの理由により子どもに十分な教育費を与えていない家庭の方が色々厳しいと思った。

例えば、世帯収入が十分にあるのに、親が良しとするルートを辿らないから学費は出さない!ってなると、奨学金などの申請が出来ず、希望を絶たなければいけなくなる。

離婚成立前の別居時に、世帯収入(籍を抜いていなければ合算)が恩恵を受けられる範囲を超えたため、学費も医療費もなんの免除もなく、とても苦しかったのことを思い出す。

ひとり親は申請さえすれば支援金や奨学金が通りやすいと身を持って経験したが、そう簡単に離婚成立まで持っていけないケースや、親子で対立したパターンなどを考えてしまい、私だけがもらっていいのだろうか……などと申し訳なく思いながら、大事に使っている。

すべては世帯収入における教育格差が招いているのでしょうから、学びたい意欲のある子が学べる世の中であることを切に願う。


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ビスコッティを焼いた。最近は時間の捻出が難しいときがあるので、お手軽にできるビスコッティに逃げがち。味は美味しい。

お菓子を作っていると、ほめてくれる方がおり、とても嬉しい。

確かにお菓子作りは料理よりも繊細。

でもね、その時間はそのことに集中できるから、余計なことを考えなくてもいいのです。

物事に集中する時間を定期的に設けられるって意味でもお菓子作りは良いですよ。

 

 


サニーデイ・サービス「恋におちたら」(Official Music Video) - YouTube

わかち合いの『共有地』づくりを一緒に応援して下さい

私がはじめて「ひびうた」を訪れたのは、友人が主催をしている本の会へ参加するためだった。不安が多い時期で、常に身の危険がないか神経を尖らせている頃だった。家にいても、人の足音が聞こえるたびに怯え、息を殺して過ごしていたため、人がいるところ、ましてや知らない場所へ足を踏み入れるのはとても勇気のいることだった。

知り合いは主催者のみ。とても怖くてそれでも本のことを話せる人と知り合いたくて向かったその日、話しかけてくれたのはひびうたのスタッフである、にゃーさんとひびうた代表のみみちゃんだった。あの瞬間の光景を私は忘れることがない。

にゃーさんが私が座る場所を空けてくれ、「イケメンの隣だよ。良かったね」と言い、イケメンと呼ばれたみみちゃんが「また……そういうフリをして……」と、少々困ったように笑った。

もう、それだけでもう十分だった。私は今、ここに座っていることが許され、気を張らなくても良いのだと思えた。緊張しすぎて絵本の紹介が上手く出来なくても、みみちゃんが「じゅうぶん話せてますよ。僕なんかよりずっと」と言ってくれた。そのあと、みみちゃんが本の紹介(確か、モウリーニョ)したのだが、その本が読んで見たくなるほど鮮やかだったので、私へ向けた言葉は私を安心させるための言葉であったと受け止めた。

それから何度も本の会へ参加するために(その他に音楽の会にも参加していた)ひびうたを訪れた。

私はひびうたへ10回くらい行っても、まだ、車のハンドルを握る手が汗でベタベタになるくらい緊張していた。それから、遅刻することも怖くていつも30分以上前にひびうたへ到着していた。

今思えば、確かにはじめての場所は苦手ではあるけれど、常に神経を尖らせて過ごしていたため、安心できる時間の方が少なかったことが原因だと思う。

早く着いて、心を落ち着けているときは、たいていみみちゃんと他愛もない話をした。日々のことであったり、映画の話であったり。その時間が私には楽しみな時間で、とてもありがたかった。

 

私はとても不器用で、離婚調停を開始しようと決意したとき、大好きで心の拠り所であった「本の会」へ行くのをしばらく止めた。

「しばらく来ないと思います。心を固くするために、やるべきことをやります。すべて終えたらまた、ここに来ますね」

私の不器用すぎる発言もみみちゃんは静かに聞いてくれた。次にひびうたへ行けるのは何ヵ月、何年後になるかわからない。それくらいの決意を持って挑んだ離婚調停を10ヶ月弱で終えることができたとき、内心ホッとし、なんだか泣けてきたのだった。

久しぶりにおとずれたひびうた。やや緊張しながら、扉を開けると、にゃーさんが「おひさしぶーりーね♪」と小柳ルミ子ばりの歌唱力で歌ってくれ、思わず笑ってしまった。何も特別ではない、ひびうたでは良くある光景なのだ。ゆるやかな時間がそこでは流れていて、見えない何かで守られているようだった。

 

そこから数年、私は今もひびうたで遊び、笑い、お世話になっている。

みみちゃんは毎年、新しいことをはじめる。例えば、まちライブラリーをしてみたり、本屋さんを始めたみたり、シェアハウスを作ったりする。そのたびに私は「すごいですね。新しいことをするのはパワーがいるのに、次から次へとビックリします!」とみみちゃんへ話しかける。すると、みみちゃんは決まってこう話すのだった。

「利用者さんの声を聞き、カタチにしようと思ったら自然とこうなったんですよ」

 

***

その「ひびうた」がまた、新しいことを始めようとしています。

私の傍らで寄り添ってくれた場所とヒトを私は応援したいと思っています。

良かったら、リンク先に飛んで一緒に応援していただけないでしょうか?

わたしたちの『共有地』を作り、また、ここから広がっていければと願っております。

 


違いのある人が共に過ごせる、わかち合いの『共有地』をつくる。(大東 悠二 2022/09/08 公開) - クラウドファンディング READYFOR

『さかなのこ』を観ました

映画『さかなのこ』を観た。
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公式サイトのあらすじを引用。

お魚が大好きな小学生・ミー坊は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、信じて応援し続ける母親に背中を押されながらミー坊はのびのびと大きくなった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、まるで何かの主人公のようにいつの間にかみんなの中心にいたが、卒業後は、お魚の仕事をしたくてもなかなかうまくいかず悩んでいた…。そんな時もお魚への「好き」を貫き続けるミー坊は、たくさんの出会いと優しさに導かれ、ミー坊だけの道へ飛び込んでゆくーー。

『さかなのこ』は、今や知らぬひとはいないのではないかと思うほど、有名な「さかなクン」の自伝を元にした映画で、主演をのんが務めている。予告等で何度か目にしたときは、そんなに観に行くつもりはなかったのだが、評判が良いのと時間の都合がついた(というよりつけた、職場から直行でスクリーンへ)ため、観に行くことにした。

 

以下、ネタバレもあり。個人的メモ要素を含む感想。

『さかなのこ』は好きなものを追い求め続け、それにより確固たる地位を築いたさかなクンのハートフルな話ではあるのだけれど、細かい箇所を挙げていくと違った側面も見えてくる。

まず、ミー坊が幼少期におそらく一日中、水族館でたこを観ていたところ。母親はミー坊を叱ることもなく、好きなだけ水槽の前に居させてあげていた。なんと理解のある母だと思うけれど、その横には、長椅子に横になって眠っているミー坊の兄の姿があった。この映画において、母がミー坊の兄に寄り添うシーンがないので何とも言えないが、母はミー坊を優先するばかりに他のことが見えていなかったのではないかと思えた。それを裏付けるのが、ミー坊が子役からのんに切り替わったあと、両親、兄、ミー坊の4人家族であったはずなのに、母とミー坊の2人暮らしになっていたことである。父と兄が何処へ行ったのか、語られてはいないけれどおそらくは別居(離婚もあるかも)に至ったのだろう。大人になってテレビで活躍し始めたミー坊を父と兄が観ているシーンがあるため、関係性は悪くないと感じたが、一緒に暮らせない理由もあったと推測する。

あと、子ども時代のミー坊がギョキョおじさん(なんとさかなクンが演じている)と出会い、魚の話で仲良くなり、ギョキョおじさんの家へ遊びに行きたいと言ったシーンも気になった。ミー坊は純粋に魚を好きなギョキョおじさんと仲良くなりたかっただけだろうけれど、怪しいおじさんの家へ一人で遊びに行くことを大抵の親は許さないだろう。ミー坊の父もそうだった。コレについては私も同意する。子どもの心に入りこみ、仲良くなってから危険な行為に及ぶ大人がいることを知らない子どもだとしたら、判断能力のある親が止めるのが当然だと思う。それなのに、母親はミー坊が行きたいなら行っていい」と言ったのだ。これには驚いた。子どもの興味を削がないためとは言え、危険回避をしないのであれば、それは保護者として疑問が残る。百歩譲って、自分も一緒に行く選択はなかったのだろうかと思った。この辺りからミー坊の母は寛大なようでいてやや危ういと思うようになった。

とは言え、温かい仲間たちに恵まれたミー坊は困りながらも好きなことへ向かっていくことができ、とても面白かった。

特に不良グループたちとの交流が良い。柳楽優弥演じるヒヨが自分の彼女とミー坊を会わせた際、彼女がミー坊のことを見下すように笑ったのだが、ヒヨは迷わず彼女よりもミー坊を選んでいて素敵だと思った。総長とのカブトガニ、籾山がイカの味を知った瞬間、モモコとの淡く切ない同居生活など、どれもこれも良かった。

この話はさかなクンを「ミー坊」の名でのんが演じている訳だが、ミー坊の性別が語られていないと思われる。(あったらごめんなさい)。幼少期の教室で、ミー坊が女の子と話していたら、男の子に囃し立てられるシーンがあるので、ミー坊は男?かとも思ったが、それ以降、特に性別を気にするような場面が存在しない。

そう考えたら、私が今まで社会の中で生きてきてこの話のように性別を気にせず生きてこられたかと思うと、ハッキリ「NO!」と言うだろう。私が意識しないようにしても、周囲が性別を押しつけてくる出来事もあり、苦悩したこともある。

男女には体格差や体の仕組みに違いがあるのは逃れようがないので、それらを受け入れつつも性差を感じない、隔てることのない世界であれば楽しそうだと思った。

 

『さかなのこ』、ちょっと変で、ちょっと考えて、だいぶ面白くて、とてものんが可愛いので、ぜひぜひ観て下さいねー。

 

 


CHAI - 夢のはなし (Official Music Video) - YouTube