バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

マイノリティは貫けない

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昨日、友達とやりとりしている中で「私、普通だから」と発言したら「普通って何?」と問われ「あれ?普通ってなんだろう?」としばし考えてしまった。

辞書で【普通】と引くと『特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること』とあった。

私が友達に対して言った「普通だから」は過半数に入っている安心感を得たいからの発言だ。つまり逃げ道である。多数決社会に身をおいていると少数派でいることがこわくなる時があるのだ。

心身ともに正常な時は少数派でもあんまり不安にならないのだけれど、どこかが欠如している時は多数派である「普通」という言葉を使うことにより「私、多数派!仲間がたくさんいるから安心だもんねー」と上っ面だけはそう見せたくなるのである。

 子どもが親に物をねだる時に「みんなが持っているから」という発言をするのに少し似ているかもしれない。「みんなが持っているから」はその品物に対する話の輪に入れない不安からくる発言であり、本当にその品物が欲しいかどうかの冷静な判断は二の次になっていると思うのだ。

私なんて本当は「右へ倣え」ってのが嫌いなはずなのに「私、(多数派の)普通だから」という発言をするのは全くおかしな話である。

まあ、あれですね、ずっとマイノリティを貫くのは疲れるので、疲れた時には休憩する場所として、公園の四阿的な位置づけでマジョリティ発言しますわーという身勝手極まりない話な訳です。はい。

・・・着地点がみつからないのでちょっと話は変わりまして。

昨日、童貞根性は前外しのブラの夢を見るか - ←ズイショ→を読んだのです。なんてことはない話を膨らませているズイショさんが素晴らしいわー。

で、私はセーラー服が人気のわりと清楚な子が多い女子高へ通っていたのですが、当時でもフロントホックの子はいましたね。どれぐらいとかそんなことはわかりませんが、「いる」か「いない」で答えるなら「いました」です。というか、フロントホックでそんなに夢広がるものなんですね。いいですね。なんだか。

高3の時に隣の席に座っていたアユという子がいたんですけど、この子は私からすると色々な意味で学ばせてもらうことが多く、発言の1つ1つが新鮮でした。ある日、アユは私にフロントホック以上の衝撃を与えてくれました。なんとその日のアユは・・・Oバックだったんです。これ、けっこうビックリした。セーラー服の下がそれなんて誰も思わんって。当時、Oバックはヒップアップ効果があるとかいう話があったりもしましたが、まさか隣の席の子が履いているなんて。。アユが大人びていたからまあわかる部分もあったけど、お子様すぎる私には遠い遠い存在すぎました。

というかこの歳になった私にとっても遠い存在のモノであるという現実にほんの少しの悲しみを覚えた次第です。

まあそんな感じでお開き。