桜も散り、葉が目立ち始めた。
街中でパトカーとすれ違うたびに春の交通安全運動なのだなと思う。選挙の立候補者が「本人」というたすきをするようになったのは最近のことなのかしばらく周りが見えていなかった私にはわからない。
読みかけのまま置きっぱなしにしていた「82年生まれ、キム・ジヨン」を読み終えた。共感したという感想をいくつか見かけたのでよくある話なのだろう。私自身も似たような経験をした部分もあって素直に読み進めることができた。また読んで良かったと思う。
本の内容から離れるが私は共感があまり好きではない。共感の言葉、音、何が好きではないのかわからないがなんとなくしっくりこないのだ。「共感したから受け入れられやすかった」ただそれだけのことかも知れないが、そんなに簡単にわかる!って思って良いのかしら?などと考えてしまっている。ここのところ、私は今までよりも自分を信用しておらず、自分の発言を疑っている。言い換えると、自分を過信しないように律することに徹している。俯瞰したものの見方が足りていないと気づき、情けないと思っている。けど、気づいたからには意識することから始めようと思う。始めることに早いも遅いもないって誰かが言ってたっけ。
時々、私は何処にいるのだろうと思う。皆が生きている社会の中に存在しているのか不安にもなるが、声をかけてくれる人がいるから私の姿は見えているのだろう。
大丈夫。
自身に呼びかけ、眠って起きる。
生きるのは眠ると起きるの繰り返しであると思う。眠れなくなったら起きられない。
笑って泣いて怒って…私が喜怒哀楽を出せているうちは生きていけるはず。
「おはよう」と言える相手がいるうちは立っていられると思うのだ。
絵本「ねえさんといもうと」を読んだ。
うちの子は兄と妹のきょうだいだが、とても仲が良い。
私はにやにやしながら二人のやり取りを眺めている時に幸せだと感じている。