『夢見月』がもうすぐ終わる。
夢見月は変化が多い月で夢を見るから・・・ではない。
桜の別称が『夢見草』だからだ。桜が『夢見草』と呼ばれる所以は「夢のように美しく儚い」から。
昨日、ふと上を見上げたら桜が五分咲きぐらいになっていた。
もう放置気味になっているが、ずっと前からmixiのプロフィールにこう書いている。
「どんなに忙しい時でも、季節を感じられる心のゆとりは持っていたい」
桜の蕾が膨らんだ事に気付かなかったのは、心のゆとりがほんの少し足りなかったのかも知れない。
だけれども、あの時感じた陽射しの暖かさと日暮れの肌を刺すような冷たさのコントラストは移り変わる季節を感じさせてくれた。
目も開けられないような突風は、それもまた穏やかに訪れる季節の前触れであった。
田んぼにはいつしか水が張られ、苗が植えられていた。
きっとまた慌ただしく過ごして行くうちに稲が育ち、青々とした姿でむっとした草いきれを感じさせてくれるのであろう。
そんな頃には私も8%に馴染んでいるのかも知れない。