喉の奥が痛い。強い痛みではなく、亀の子だわしを軽くにぎにぎしたような痛みだ。ただ、にぎにぎした痛みではあるけれど、にぎにぎよりも不快感は強い。雨でずぶ濡れになり、びちゃびちゃしちゃったスニーカーを履いてまだ1kmぐらい歩かねばならないぐらいの不快感があるのだ。はよ、治したい。
昨夜はこれ以上悪化させてはいけないと毛布をたくさんかけて、ミノムシになったのち、のどぬーるぬれマスクをして就寝した。結果、午前3時に目を覚ました。なんでやー!と叫びたかったけれど、夜中に騒ぐのは迷惑行為なのでおとなしく「黒い十人の女」を見た。バカリズムが脚本のこのドラマはゲスくて黒くて本当に面白い。なんだよ、佳代さん!好きだよ、佳代さん!このドラマをみて、ますます水野美紀と佐藤仁美が好きになった気がする。水野美紀って勘違いしてる人の役がちょー似合うなぁ、佐藤仁美っていつから、隣の嫌なおばさんキャラが定着したんだっけ?もしかして20代ですでにこのキャラだったのかしら?なんて考えているところに成海璃子ちゃんがぶっこんでくるのが面白くてしょうがない。佳代さん、ただの空気読めない人じゃなかったし、集団心理ってあるある!と手をたたいて喜んだ。
午前3時に目を覚まし、「黒い十人の女」を見たらそりゃさらに眠れなくなるってもんで、読みかけの本をぱらぱらめくったりしてた。そしたら知らぬ間に眠ってた。
朝。起きてからもなんとなく寂しさがあって、ああ、そこまで私はあの人に対して親しみをもっていたのだとわかった。もういない。だけど、ずっといる。
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せきしろの『たとえる技術』を読んだ。日記の冒頭で亀の子だわしだとかスニーカーとか言ってるのはこの本を読んだからである。読むと、なんでも例えて言いたくなってしまう、恐ろしき本である。
モノを例えて言い表すと、相手に具体的に状況を伝えることができる。この「たとえ」ってのは簡単なようで難しい。例えるチョイスによって人柄が出てしまうし、センスも問われるような気がする。生活感とか溢れちゃうからねー。
でも、でも、怖がらずに使っていきたい所存です!
最近みた「たとえ」の中で良いなって思ったのは娘が学校から持ち帰ったプリントに書かれていた文だった。
虫を観察し、それぞれが観察してわかったことを記録したようなのだが、その中で先生がいくつかチョイスしたものに娘が書いた文があったのだ。
娘はコオロギを観察した際にこう書いていた。
「枯れ木のような色をしていた」
多くの子は観察したものを「茶色」や「黄色」など色そのもので表していたが、娘はコオロギに限らず、すべて「たとえ」で表していた。バッタは「草のような色」とか簡単なものではあったけれど、面白いなって思った。
コオロギも枯れ木も茶色の濃淡があるもんね。似てるよね。
雲がわたがしに似ているだとか、ちぎって全部食べたいとか思っていられる時間は、それだけで愛おしいと思う。
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画像は四日市の『ラジ・カフェ・アパートメント』で食べたいちじくとクルミのタルトです。クルミがざくざくして美味しかったです☆