この半年ぐらいは色んなことがありすぎてなんだかよくわからなくなっている。私は何処を向いて進めば良いのかいつも考えていたようにも思うし、今立っている場所でさえ不安定だと感じている。
数年、娘とお休みの日に一緒に出かけることがあまり出来なかった事実があって、取り戻すかのように娘と息子とちょっとしたところに出かけたりしている。
最初に選んだのは大きな公園にお弁当を持って遊びに行くことであった。11歳の娘と16歳の息子、年齢的なことを考えればもしかしたらもうそんなことは似合わないと思われるかもしれない。だが、私たちはそれを選んだ。朝、早起きして大きなお弁当箱におにぎりとおかずを詰めて、レジャーシートを片手に持って車に乗り込んだ。駐車場の入り口がわからず、最後にちょっと迷ったけれど、それすら楽しく思えた。
芝生の大きな広場で他の人の邪魔にならないようにレジャーシートを敷いた。多くの人はは日差しを避けようとワンタッチテントを設置していた。ああ、私は公園に行くにあたっての当たり前さえわからぬぐらい公園から遠ざかっていたのだと痛感した。
私はチューリップを見に行き、息子は自由に動き回り、娘はアスレチックをしていた。三者三様であっても一緒にいるという事実があって私たちはとても安心していた。お昼にお弁当を食べた。娘も息子も美味しいと言って食べてくれた。通りすがりの親子が私たちをみて「お弁当持ってくれば良かったね」と話していた。少しだけ嬉しかった。
ただ座って遊んでいる子どもを眺め、風に乗ってやってくる何処かの家族の笑い声を聞き、草のにおいを感じる。これだけのささやかなことが幸せに思え、目に涙がたまってしまってバカみたいだと隠れて手で拭った。
次にお祭りに行った。屋台で売っている食べ物を笑いながら選んだ。「イカ焼きはゲソに限る!」と意見が一致したので3つ買うことにした。1つ300円のゲソなのに3つで500円にしてくれた。お礼を言って頬張った。ニンニクのきいたタレが美味しかった。チョコバナナ、からあげ、欲しがるものは全部買った。子ども達がお腹を膨らましてくれることは私の幸せだと思った。
今日は娘が学校で割引券をもらってきた野外博物館へ行ってみた。娘から行きたいと言われていたし、行きたがるところには出来る限り連れていってあげたいと思っていた。
その博物館は起伏の多い場所にあり、歩いていたら汗がだらだら流れてきた。世界各地の家屋があり、ひとつひとつ興味深く眺めて回った。南アフリカの家屋には第二夫人の部屋などもあって思わず設計図を見てしまった。イタリアの家屋にガイドをする男性がいて、眺めていたら勝手に説明を始めていた。「そうだった、私はガイドにつかまりやすいんだった」と思いだし、可笑しくて笑ってしまった。ジェラートを食べ、豚まんも食べた。「自販機がこういう施設価格になってなくて良心的!」と話す息子にも笑ってしまった。
ささやかな日常は決してささやかなものではない。「なくなってはじめて気づく」なんてどんな歌の歌詞にも出てきそうなくらいありきたりな言葉だけど、それほど尊いものである。ましてや、その時に得られなかった時間はもう戻ってはこない。
ずっと考えていたし、そのことにずっと苦しめられていたようにも思う。自分の力だけではどうにも出来ないことが悔しかった。
今は日々笑っていられることに喜びを感じている。息子が娘に何かを話しかけ、ふたりで笑っている姿を見ると嬉しくなるし、本当のところ毎回泣きそうになっている。
この涙はなんだろうと考えていたのだが、きっと3つの意味があると結論を出した。
1つは単純に子ども達が笑っていることが嬉しい。
1つは笑わせてあげることが出来なかったことへの罪悪感。
もう1つはこれからも仲良くあってほしい未来への希望である。