紙モノが好きなため、出かけた先でかわいいポストカードが売っているとついつい買ってしまう。一応、ファイリングはしているものの、ごちゃごちゃしてきたので音楽を聴きながら整理した。
ポストカードは私の記憶と紐づいている。あの日の展覧会で購入した、始めて訪れた本屋さんで出会った、仲の良い人と雑貨屋さんに入ったら目があった、など、ひとつひとつを手に取りながら眺める。
アルバムのようなものだと思った。
初対面の人と話をしたとき、私はもしかしたら先入観を持ってしまっているのではないかと感じた。勝手な想像を抱いてしまうと、相手の本質が見えづらくなってしまうのに。なんだか自分の小ささが見えてきてしまったみたいで、ちょっぴり苦しくなったけれど、気づけたのだから、今後はもう少しだけ上手くやれるのではないかと思った。ここは前向きにとらえよう。
毎日、YouTubeのかわいいお姉さんをみながら、一緒に体を動かしている。時間は短いのにすぐに筋肉痛になって驚いた。驚いたのは考え抜かれたメニューにまったくついていけていなかったこの、衰えた体だよ……!
痛みのあるところは普段作っていなかった部分だと思うと、私は全身のうち、ほんの一部分だけを使って生活していたことがわかってくる。使っていなかった筋肉さん、ごめんなさい。本来、必要であるから作られた箇所を使わないのはよくないなぁと思う。そういう部分って退化し、長い歴史を経ていずれなくなってしまうのかもしれない。
一手間かかることに「美」があるように、自身の肉体をあますことなく使うのは「美」なのかもしれない。