真夜中に目が覚めた。
隣で寝ていた娘がごそごそと動いていたかと思うと、ティッシュペーパーを箱から何枚も引っ張り出す音が聞こえてきた。ああ、鼻血が出たんだなと思い、電気を点けて様子を見た。
寝ている間に鼻に手が触れるのか、起きたら血だらけと言うのは娘も息子も、かつての私も経験していることである。慌てない慌てない。
なんとか鼻血が止まると娘はまた毛布にもぐって寝息を立てはじめた。
私も毛布にくるまってもう少し寝よう・・と目を瞑ってみたのだが、なんだか眠れない。
そのうちに東の空が白んできた。
ああ、朝なのか。
もう朝なのだ。
最近は、朝方冷えるので、毛布さんは私に「起きろ!」とは言わず、いつまでも一緒にいてくれる。だから私も甘えて一緒にぐるぐるっと巻き付いて抱きしめる。
そんなふうに、だらだら、うとうとしているとだいぶ時が過ぎていた。
これではいかん!と重たい体を何とか起こしてベッドから降りる。一歩、二歩。
頭がやっと動き始めた頃、ブルブルッと携帯が震えた。
友達からのメールだった。
メールを読んでふふっと笑い、ありがとうと心の中で呟いた。
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息子が乳児だった頃、子育てで不安になると情報を集めようと色んな子育てサイトをのぞいたり、知らない方のブログを読んだりしていた。
そこにはとても穏やか調子で、子どもの成長が嬉しくて楽しくて仕方がない様を映し出している言葉の数々が並んでいた。
見たとたん、私はいつもパソコンを閉じた。
その頃の私は育児が楽しいとか子どもが可愛いとかそんなことは全然思えなくて、1日1日をなんとか終えることで精一杯だった。消しゴムサイズぐらいの余裕もなくて、いつも真っ白い紙がすべて黒く染まるくらい鉛筆書きをしているようだった。光りも色もない。鉛筆のみのそんな色。
それでも何とか日々を過ごしていると、気持ちが重い時に微笑んでくれる息子の顔が少しだけ見えてきた。黒い中にほんの少しだけ、ポチッと色がついた。
またある時は、ポチポチッと2つほど色が増えたのがわかった。
毎日、ほんの少しだけ嬉しいこと、優しくなれたことを思い返すと、夜に流す涙の量が1滴ぐらい減ったような気もした。
息子の成長とともに、私はいつの間にか手のひらサイズの余裕が持てるようになっていた。
すると、羨んでいただけの子育てブログも実は、単なる育児の側面でしかないという事を感じるようになった。誰しも、すべてが上手く行っている訳ではないのだと思った。
辛いことの中に見出した嬉しかったことをクローズアップしてブログに書く人もいるだろうし、辛い気持ちをブログに吐き出してバランスを取る人もいる。それぞれの思うように、自分が居心地の良いようにしたら良いのだと思う。
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1週間くらい前からこの記事へのアクセスが増えた。
『うれしい悲鳴をあげてくれ』 いしわたり 淳治 - バンビのあくび
どうやら「今年1番の発掘文庫に決定」というPOPを筑摩書房がつけ始めたことが理由らしい。私もそのPOPをこの週末で2回ほど目にした。
面白いですよ。これ。
その記事にも引用しているが、あとがきの一部にこう書いてある。
いつだって若者たちは怖がりなのに怖いもの知らずで孤独は嫌なのに人付き合いに心底疲れていて携帯電話がないと不安なのに携帯電話が煩わしいと思っていて皆より目立ちたいけども目立ちすぎたくはなくて笑わせるのはいいけど笑われたくなくて表面上は楽しくしていても内心はナイーブで傷ついていたりして皆と違うことをする勇気はないけど皆と同じだとは思われたくなくて…といった具合にとにかく複雑で…
私、若者じゃないけどそう思ったりする。
いつも心は複雑で、迷って、息が苦しくなって、岩陰に身を潜めたくなって。
だけど、小さな光と色を探すことでほんの少しだけ心が和らぐ。私の書く文章に「色」の表現が多いのはそのためかも知れない。
「そんな小さなモノを探すんじゃなくて、でっかいモノを探したいよ」と言った友達がいたけれど、確かにそんな考えもあると思う。人それぞれ思いは違う。
そして次への扉を開けるタイミングも人それぞれ。
私は今日、1つ扉を開けるので、背中を押すように「お誕生日おめでとう」って言ってくれると嬉しいです♪
(結局、それが言いたいのかって?そうですー♡)