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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ワンカップからこぼれ落ちた恋

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朝方の繁華街はそこらじゅうに夜の蝶が倒れているらしい。

夜の帳が下りてから蝶は水を得た魚のようにひらひらと舞い始める。頬がこけたおっさんや前にお腹の突き出た若社長を名乗る男性、どんな相手にも蝶は鱗粉を撒き散らしながら明日へ続く夢を与え続ける。蝶は自らの身を鰹節を削るかのように薄く薄くそぎ落としていく。

「夢を与える仕事だから。私のことは放っておいて」
蝶は羽根を広げ、優雅に舞いながらそう言った。
 
 
「だからさ、倒れている蝶に話しかけるわけよ。ここで眠ったら危ないですよって」
ネズミはチーズが入った大きなコッペパンにかじりついた。
「だってね、無防備じゃない?綺麗な蝶が倒れているんだもの。やっぱり誰かが手を差し伸べなくちゃ」
ネズミは小さな口を忙しなく動かしながらパンとチーズを咀嚼している。モシャモシャ音を立てて食べるネズミはなんて下品なのかしらとウサギは紅茶をすすりながら思っていた。ネズミはウサギの気持ちなぞ気づく気配もなく、更にパンを頬張ると、口の中のパンを飛ばしながら喋り続けた。
「でもね、蝶はボクの気持ちなんてわからないみたい。『私は夢を与えるのが仕事だから。私のことは放っておいて』を繰り返すばかりでさ。あのままじゃ、カマキリにでもやられちまうよ」
けほんけほん。ネズミは咳き込みながらお茶が入ったカップに手を伸ばした。パンを食べながら喋っていたためむせたようだ。ネズミの忙しなさはもう少し何とかならないものか。ウサギはスコーンにイチゴジャムを塗りながら、お茶をすすり「あちっ!あつい!」と跳ね回るネズミを眺め、溜息をついた。
 
「ねえ、ネズミさん。あなたじゃなくて、私が蝶に声をかけてみようかしら?」
ウサギは名案を思いついたとばかりに早口でネズミに話しかけた。
「ウサギさんがやっても同じ反応だと思うよ」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない」
「まあ、そうかも知れないけど……ウサギさんて、優しく声をかけるって言うより、一升瓶を片手に持って蝶を踏んづけて歩くタイプでしょう?そっちの方が心配だよ」
 ネズミはパンの中に入っているチーズをほじくりながら言った。
ウサギは優雅なティータイムをきどり、紅茶とスコーンを食べているように見せているが、その紅茶の中に日本酒を混ぜていることをネズミは知っていた。湯気に混ざるほのかなお酒のにおい、それからウサギの頬がやや赤みを帯び、ただでさえ赤い目はルビーのようにきらきらしていることも知っていた。ウサギの愛車であるロードバイクのバーエンドキャップが週替わりで違う銘柄の酒蓋になっていることも知っているのだ。
 
「まあ!失礼なネズミね。私はマリオじゃないんだから、なんでも踏んで歩かないわよ。キノコぐらいは踏みつけるかも知れないけど、カメや蝶は踏みつけないわよ!」
ウサギは腹を立て、ついでに耳もピンッ!と立てると、ネズミがほじくったチーズを鷲掴みにし、一気に口に放り込んだ。
「あ、ああ、ボクのチーズがぁぁぁ・・」
うなだれたネズミは涙をこぼしながら小さくちぎったパンを口へ運んだ。ウサギは真っ赤な目を一度閉じてから、ネズミに背を向けると、野原の方角へピョンピョン跳ねていった。
 
ネズミはそんな自然体のウサギが好きだよって言うつもりだった。蝶が倒れている場所は危険が多いからウサギには行ってほしくなくて「そっちの方が心配だよ」と言ったのだ。だが、余計な言葉と紛らわしい言葉はウサギには届くはずもなく、かえって怒らせてしまう結果となった。
 
辺りが薄暗くなり、小さな街灯がポツポツ明かりを灯しだすと、ネズミは家に向かって駆け出した。薄明薄暮性のネズミはこの時間から活動的になるのだが、夜には新聞配達の仕事があるため、一度仮眠を取ってから仕事へ向かうのだ。身支度をし、ベッドへ入ったネズミは仰向けになり天井を眺めた。天井の木目は時々不思議な景色を映し出す。この日は怖い顔をしたウサギの顔がぽっかり現れた。ネズミは目を潤ませ、頭まですっぽりと毛布をかぶった。
 
**
真っ暗闇の中にスーパーカブのヘッドライトが眩しく光っている。カブに乗ったネズミはいつものように新聞をポストへ入れていく。軍手をはめた手で新聞をポストへ投函するのだが、以前に考え事をしていたら手がポストに引っかかったままカブを動かしてしまい、手を数針縫うけがを負った。新聞配達中は他のことを考えてはいけない。いや、考えないようにする。ネズミは常日頃から自分に言い聞かせていた。そのせいか、だんだんフラットな状態で仕事ができるようになってきた。だが、今日はなんだか上手くいかなかった。ポストに入れようとして新聞を落としたり、カブが田んぼに落ちそうになったりした上に、配達店に新聞不着の連絡まで入っていた。ボヤッとしてどこかの家を素っ飛ばしたらしい。連絡を聞き、慌てて新聞を届けに行った。新聞購読者であるハチさんはとても優しい方だった。ひたすら謝るネズミに「そんなに謝らなくても良いのよ。ほら、これを持っていきなさい。たくさん採れたのよ」とはちみつの入った瓶を3つくれた。光にかざすと七色に見える瓶と、黄色い小瓶と「One CUP OZEKI」と書かれた瓶。「こんな瓶に入っているけど、どれも美味しいわよ」ハチさんはネズミに微笑みながら言ったのだ。
 
はちみつの入った瓶をカブに乗せ、ネズミは繁華街へ向かった。でこぼこ道に差し掛かると、瓶が揺れてぶつかり合い、カチャンカチャンと音を立てた。
カチャンカチャン。明るい音。
カチャンカチャン。さびしい音。
カチャンカチャン。恋しい音。
ぶつかり合うたび、違う音色を響かせているようにネズミには聞こえたのだった。
 
***
繁華街の片隅にカブを止めると、瓶が入った袋を持ち、ネズミはいつものように倒れている蝶へ近づいていった。すると、蝶の傍らに耳をピンッと立てた見覚えのある後ろ姿があることに気づいた。
ウサギだ。
ネズミはすぐに気がついたが、背後からウサギに声をかけることを躊躇った。ネズミはじっとり濡れた手をぐいっと握りしめると、音も立てずゆっくり歩き、静かにウサギの横へしゃがみこんだ。
「ウサギさん、どうしてここに来たんだい?」
ネズミから発せられたか細い声にウサギの耳はピクンと動いた。
「ここは危険だよ。だからウサギさんには来てほしくなかったんだ」
ネズミはぎゅっと手を握りしめた。その拍子に袋の中にある瓶がぶつかり合い、カチャンと音を立てた。
「私は蝶に声をかけてみたかったの。私ならなんとか出来るんじゃないかってどこかで思ってたの。でも、そんなの思い上がりだったわ。私が声をかけても蝶はピクリとも動かないの。言葉も発さないの」
ウサギは耳を垂らし、赤い目を潤ませた。
「昨日はごめんなさい。私、ネズミさんが好きなものは後に食べるタイプって知ってたのに、チーズを全部食べてしまった。ネズミさんが言ったことにムカッとしたけど、ネズミさんはちっとも間違ってない。私、お酒が好きだし、笑うことも好きだわ。ネズミさんは私が笑うと思ってあんな言い方をしたのでしょう?」
ネズミを見つめたウサギの目から涙が玉になって溢れ出た。ネズミはウサギに向かって微笑んだ。
「ボクもあんな言い方して悪かったよ。ごめん。言いすぎた。ボクはウサギさんを危険にさらしたくなかったんだ。好きなんだ。ウサギさんが。一升瓶を抱えて飲んでても、長い耳をほじっていたとしても、すべてが愛おしく思えるよ」
ネズミの言葉にウサギは涙を流しながら微笑んだ。
「ネズミさんてこんな時でもデリカシーないわね!」
耳をピンッと立てたウサギはネズミのしっぽを軽くつまんだ。
「私ね、好きだとか愛してるとは言われたことがあるけれど、愛おしいって言われたの初めてよ。愛おしいって素敵な響きね。私の足の裏が臭くても、まあるいうんちをぽろぽろ落としても大丈夫と思えるほどあたたかい言葉ね」
「それは…さすがに程度の問題が……」とネズミは言いかけたが、ウサギがそっと頬にキスをしてくれたので、それ以上は黙っていることにした。
 
「ネズミさん、ところでその袋には何が入っているの?カチャンと音がしたけれど」
「これはね、さっきハチさんにはちみつをもらったんだよ」
ネズミは袋の中から七色の瓶に入ったはちみつを取り出した。朝陽にかざされたはちみつはダイヤモンドのように光輝いていた。
「キレイね。ピカピカ光ってる。……あ、ネズミさんっ!蝶が!」
ウサギの声に驚き、ネズミが蝶に目を向けると、倒れていた蝶の羽根が七色の光を浴びてピクンと動いたのだ。ネズミは出来るだけ平静を保ちながら蝶に話しかけた。
「動けますか?ここで眠ったら危ないですよ」
「………」
「大丈夫ですか?」
「……私は夢を与えるのが仕事だから。私のことは放っておいて。……だけど、私に七色の光を浴びせてくれてありがとう。これで輝いたまま夢を終えられるわ」
優しい声でそういった蝶は羽根を大きく広げると、光に吸い込まれるように姿を消していた。
隣に倒れていた蝶もファストフード店の軒先に倒れていた蝶も七色の光浴びせると、吸い込まれるように姿を消していった。ネズミとウサギは不思議な気分で消えていく蝶を眺めていた。手にした七色の瓶のはちみつがなくなっていることも気づかずに。
 
 
「蝶は美しいまま生涯を終えたかったのかしら?」
「そうかも知れないね。でもさ、それだったら倒れるまで力を使い果たさなければいいじゃないか。家にも帰れるし化粧も出来るし、つらいところを人に見せなくてもすむじゃないか」
「蝶は帰れる場所がなかったのかも知れないわ。綺麗だ、美しい、好き、愛してる…たくさんのきらびやかな言葉をかけてもらっても、"愛おしい"とは言ってもらえなかったのかも知れない」
 
蝶が消えた今、すべては憶測でしかない。ただネズミとウサギは蝶が懸命に輝いていたことは覚えておこうと思った。
 
「そうそう、ウサギさん。ウサギさんの分のハチミツもあるよ」
「ほんと?うれしい。あんなにきれいな七色のハチミツだったらずっと眺めていたいわ」
 
ネズミは袋に手を入れると、ウサギの目の前に「One CUP OZEKI」と書かれた瓶を差し出した。
「One CUP OZEKI」
青地に白い文字で書かれた瓶もまた琥珀色のはちみつを輝かせた。だが、ウサギの耳がいつも以上にピピピピンッ!と立ち、目が炎のようにめらめら光っていることにネズミはまだ気づいてはいなかったのだ。