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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

子育ては不安しかないけれどキミと一緒に楽しんでいきたい

少し前から自分の子育てというかこどもとの接し方について漠然と考えていて、ぽつりぽつりと言葉にしていくうちに見えてきたモノがあったのでここにちょっとだけ書いておきます(後で自分が読み返せるように)

私はこどものことを時々ブログに書いているので、大きく分類すれば子育てブログということになるのかも知れません。ですが、それは日記を書く上でこどもが登場するだけのことであり、それ以上に論じたりしたことはほとんどないと思います。なぜなら、子どもの学習がどうだとか、円滑に子育てをすることを論じるところまで私自身が至っていないからです。

私はいつも不安の中で子育てをしています。本当はもっとこどもの能力を伸ばすために色々調べて実践させてあげた方がよいと思うのですが、もっと根本のところでいつも引っかかってしまい、それ以上がなかなか進めません。

 私自身のことは厳しくしたり甘やかしたりしながら、ひらひら身をかわし、誤魔化しながら生きてきましたけど、こどもとなるとそうもいきません。こどもは私ではありません。私の思いとこどもの考えが一致することはそんなに多くないと思っています。

 

数日前、私はこんなツイートをしました。

 

これは私と同じ母親という立場の方がブログで「子供たちにとって自分が、誰よりも何よりもかけがえのない存在だということを知ってる」と書いているのをみて、素直にすごいなって思ったからです。

私は「こどもにとって自分が、誰よりも何よりもかけがえのない存在であるということを知らない」です。こどもは働けるわけではありませんから、金銭的な面で頼られることはあっても、果たして私は誰よりも何よりもかけがえのない存在なのかな?と考えたときに頷くことは出来ません。

私ができるだけ生きていたいと思ったのは、私がこの子達の行く末を見ていたいからです。こどもが可哀想だから生きるという考えはあまり持っていません。

 ただ、私がどれだけ願っても私はすぐにいなくなってしまうかも知れません。

そんなときに、こども達が没頭できるほど好きな趣味を持っていたら、それは彼らの助けになるのではないかと私は考え始めました。その考えを意識し始めたのはおそらく息子がいじめにあった頃だと思います。対処するがために外部から手を出したとしても、彼自身が充実した生活を送れるだけの心がなければ意味がないと感じたのです。

私が息子とエレベーターに乗りまくって調査をしたり、娘をアニメイトへ連れて行こうと考える先には、そのような思いが根にあったことを再び思い出しました。

 

 この言葉どおりです。

私の力なんて微力の「微」もないかも知れません。

こどもが自分自身の手で自分の人生を作りだすこと、作り出せることの手伝いをするのが私の立ち位置かなと思っています。舞台で言えば主役はこどもで、私は木の役Cみたいな立ち位置です。

以前にも書いたことがあるのですが、私は自分とこどもは違う考えの生きものだと意識して生きているところがあります。こどもより私の方が経験を積んでいるのは確かなので、導く手助けはしますが、私が答えを出してはいけないのだと考えているのです。

当たり前のようでなかなか難しいのですが、心のどこかに置いておけば、理不尽な言動をしてもあとでこどもに謝ることができるので、そこで軌道修正しています。

 

と、まあ、つらつら並べてみましたが、こどもと共に生きるのは悩み事が多いですよね。私は子育てには本当に自信がなくて、オロオロしているだけなんですけど、やっぱりこども達には笑っていてほしいと願っています。

 

こども達が好きなこと、私もだいぶ勉強したんですよ!

油圧式エレベーターの段差調整の違いがわかるようになってきたくらいですからね。

これからもこの子達がどんなところに興味を持ったのか探りながら、一緒に楽しんでいこうと思っています。

 

 

近々、またエレベーター調査記事を書く予定ですので、マニアな方々は楽しみに待っていて下さいね☆